『STAND 立ち上がる選択』を読んで考えたこと。
ここにも書いたが、「ふぇみん」(6月25日号)にも取り上げられている記事について。
著者の大藪さんは、フォトジャーナリスト。アメリカで一人暮らしをしているときに、自宅で外部から侵入してきた男にレイプされるという経験をする。それまでは、そういった被害とは全く関係ないと思っていたのに、突然自分の身に起こり、「魂の殺人」だと実感するほどの苦しみを抱えることになる。
その経過は著書に詳しいが、先日は被害経験者として講演も行われた。そのときには、あまり言及されなかったが、著書によれば、非常に強い信仰心と周囲のサポートによって、多くの被害者が被害を隠している(隠さざるをえない)のに、公にして社会の理解を深める活動を行っておられる。
大藪さんの活動は、自らの経験を話すことばかりでなく、アメリカで同様の性暴力被害を受けた人々の写真をとって展示することもしている。協力者を探す過程で、非常に過酷な被害を受けている人が思っている以上に多く存在することを知る。多くが知っている人、信頼している人、中には聖職者である教会の神父などからの被害というのもある。
非常に過酷な経験を聞いたり読んだりすることは、読者にも結構負荷のかかることだ。でも、知ることは大切なことだと思う。
そして、どうすれば、こんな被害が起こらずにすむのか、を考えることも重要なことだ。
アメリカでは、被害者の写真を撮影する活動が成立したが、日本ではどうだろうか?そういった受け皿が現在の日本にあるのかどうか考えると、あるとは言えないように思う。それは、なぜなのか。社会に被害を受け止める姿勢がないということなのだろうか。
信仰や被害について、いろいろと考えさせられる。
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