『2020年の日本人』を読んで考えたこと。その1
先日、著者の松谷明彦氏の人口減に関する将来予測などを聴く機会があり、大変興味深い分析だったので、遅まきながら著書を読んでみることにした。
日本人の給与は生活給であり、欧米では労働に対する報酬だという指摘は、この分野では常識なのかもしれないが、私にとっては非常に新鮮だった。生活給であるから、特別の利益を出したりしていない社員も正規雇用だということだけで、生活を保障される給与が払われているわけだ。その分、身分によって、たとえば、非正規であれば、それだけで、生活できる単価は支払われない。
終身雇用・年功賃金制は、日本特有の雇用制度と言われるが、松谷さんは、これを「自分に合わない働き方をしてきた日本人」と表現する。理由は、以下に示されている。
P.15-16
戦後の日本では自分に合わない働き方をしてきた人が多いのではないか。もし終身雇用・年功賃金制がこれほどまでに広範な雇用制度ではなかったとしたら、卒業後、いくつかの仕事にトライして、自分の望む働き方をみつけるという就業パターンも可能だったろう。そしてそれは、その人に合った働き方に巡り合う可能性を確実に高めたはずである。単にチャンスだけではない。そうした就業パターンであれば、人々はいろいろな仕事を体感することができる。自分の仕事を実際に評価されることで、客観的にみた自身の適性や能力も知ることができる。いわば自分にとっても望ましい働き方とはいかなるものであるのかを自分自身が十分に認識した上で、職業を、職場を選択できるのである。だから戦後の日本経済は、終身雇用・年功賃金制という画一的な雇用制度によって、自分に合わない仕事をしている人をより多く生み出してきたといえるのではないか。
日本では正規雇用の賃金は年功で決まり、それは「生活給」であるため、諸外国での「能力給」「成果給」とは違うのだというのが興味深い。
P.27
年功賃金とは、実は「生活給」なのである。
なぜ賃金が年齢とともに上がるのか。それは年齢とともに生活コストが増加するからである。なぜ職階や職種による格差が小さいのか。それはポストや能力が違っても、生活コストにはさほどの差がないからにほかならない。すなわち、労力の提供に対して、その人とその家族の生活を保障する、というのがこの賃金制度の設計理念なのである。したがって、労力をそれが生み出す付加価値で測り、賃金をその対価として位置づける能力給、成果給といった賃金制度とは、およそ次元を異にする。
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