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2008年7月16日 (水)

『ダイバーシティ』。その3

ダイバーシティ

その2からのつづき)

 ファンタジーのあとには、童話『ライオンと鼠』をつかった教育劇である。舞台は著者が勤めるアメリカの大学での授業風景だ。その受講者である学生さんたちと、「ヤマグチ教授」は日米両国にある『ライオンと鼠』のストーリー展開の違いに、日米の人間関係や文化の違いを見出し、それについてのディスカッションの様子が描写されている。

 『ライオンと鼠』に国柄の違いが反映されていることはおろか、ストーリーにバリエーションがあることを、今まで私は恥ずかしながら知らなかった。簡単に言うと、寝ているライオンのからだに登れるかどうかを仲間の鼠に聞かれた鼠が「乗れる」と言って実践する。すると、ライオンに気づかれて捕まってしまう。そのとき、ライオンから逃れるために鼠がとる言動に、まず違いがある。アメリカのストーリーでは、鼠は「(自分を)食べても腹の足しにはならない。もしライオンに困ったことが起きたときには、きっと助けましょう」と説得する。そして、ライオンが罠にかかったときには「約束だから」と助けにくる。

 いっぽう、日本のそれでは、鼠はまず謝罪をする。そして、ライオンが罠にかかったときには「恩を返す」ために助けにやってくるのである。

 ここから、日米の人間関係、とくに、義理や恩、謝罪と権利などに対する考え方・とらえ方の違いがクリアにされていくところが、大変おもしろい。多くの学生さんは、アメリカのストーリーには特に違和感がないのだが、日本のそれには大きな違和感をもつ。疑問を解消しようと「ヤマグチ教授」に質問し説明してもらうのだが、そのこと自体が納得できないようなのだ。

 そこから、「恥ずかしい」の感じ方や、どういう状況に対し、何に対して恥じるのかについても、日米の違いが浮かんでくる。その整理は非常にわかりやすい。具体的には、本書を読んでもらうほうがよいと思う。

 これらのやりとりの中で、私が一番おもしろいと思ったのは、授業のライブ感覚とでもいうものである。つまり、講義型の授業では教員の予定通りに進めていくことが比較的容易にできるのだが、参加型の授業では、それが活性化すればするほど、必ずしも当初意図したようには進んでいかない場合も多い。著者も指摘されているように、「理想的には学生さんから出してほしい意見」は、期待どおりに出るとは限らないのだ。参加型の場合、ファシリテーターとしての教員の力量が高ければ、当初予定していた展開に進むことができるだけではなく、相互作用によって、意図を超えたすばらしい発言が出てくることがある。授業がそのようなものになったとき、その場を共有しているすべての人にとって、貴重な学びの時間となるということだろう。授業のライブ感覚は、対話から導かれるように思う。

 そのような知的興奮あふれる授業は、日本では、残念ながら、多くはない。それは、教員の力量の差というよりは、授業スタイルの差かと思っている。日本では、講義スタイルが多いように思う、印象なのだけど。活発なディスカッションを前提とした参加型スタイルの授業の組み立ては、単に豊富な学識があるだけでは運営することはできない。テーマの選定から、どういう手順を追っていけば意図したディスカッションを導くことができるのか、さらに、どうすれば、意図せざる発見にまで高めることができるかは、ある種のストーリー制作に通じるものがあるかもしれない。であれば、非常に論理的なファンタジーを構成される著者にとっては、このスタイルの授業をうまく計画されるも納得のいくことだ。いや、順序が逆だ。長年、アメリカの大学で授業を展開してこられた著者だからこそ、今回の論理的ファンタジーも教育劇の筋書きもしっかりとした構成力に裏打ちされた仕上がりになっているということだろう。

 「ヤマグチ教授」も含めた学生さんたちの活発なディスカッションの様子はとても臨場感があった。「こういう授業には参加したいな」と思わせる魅力ある内容だ。

 山口さんが日本の大学ではどういうスタイルをとられているのかは知らないが、機会のある人は幸運だ。

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コメント

えふさん。第2話にも丁寧な書評をありがとう。論理的ファンタジー・教育劇という評価がありましたが、多様な人びとがその多様性・個性を損なわずに対話ができるための共有基盤の一つに対話が論理的であることがあげられるだろうと思います。もう一つダイバーシティに大事なのは異なる他者への共感力だと思います。えふさんが自分と近いとはいえないミナの悲しみに「身につまされた」のも共感力だと思います。異なる他者への共感力は想像力が必要なので、感性だけの問題でなく、知性と感性の調和の問題でもあります。えふさんには釈迦に説教という気がしますが。ともあれ繰り返しになりますがえふさんのような読者をもてて、著者としては幸せです。

訂正;「釈迦に説教」は「釈迦に説法」の誤りです。

えふさんのブログの内容を少しですが、Chablogで紹介しておきました。

山口一男さん、コメントありがとうございます。嬉しいです。コメントを読んで、いろいろ考えることがありました。うまく表現できていませんが、長くなったので独立した記事としました。

Chablogのほうも、拝見しました。ご丁寧な紹介をしていただき、本当にありがとうございます。取り上げていただくほどのものかどうかとも思いますが、『ダイバーシティ』に関心をもつ人が少しでも増えることにつながれば幸いです。

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