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2008年7月26日 (土)

想像力の涵養法。

 日経新聞に寄稿されている上野千鶴子さんの「人生の下り坂と要介護」と題された文章(2008年7月23日付)を読んだ(ここ)。政策決定者たちの要介護者への想像力の欠如を問題にされている。自分と異なる者への共感や想像というのはそんなにむずかしいことなのだろうか。介護の問題に限らず、いろいろな分野において、このことは指摘されているが、そのたびに、同じようなことを思っている。上野さんが指摘するように、政策決定者たちは本当に「自分はそうならない」と思っているのだろうか。いずれは自分もそうなると思っていれば、もう少しマシな政策を作るのではないかと私も思うのだが。

 想像力もただあればよいというものではない気がしてくる。なぜなら、「自分自身が要介護者になり、介護をしてくれる人が大変な思いをする」との想像はしないかもしれないが、「自分自身が要介護者になることはない」「自分自身はゴルフ場でプレイしてるときに発作的な死を迎える」「自分自身は妻や子どもたちに手厚い介護を受けられる」といった想像をしているかもしれないからだ。

 異なる他者への想像力を涵養するには、どういう方法があるのだろう。小さい頃からの教育に期待をかける議論はよく耳にするけども、成長しきった人に対してはどういう方法があるのだろうか。

 「相手の立場になって」とは言うものの、それが適切な場合とそうではない場合があるように思う。後者の場合は、たとえば、OSが違うことが理由として考えられる。つまり、「○○されれば△△の気持ちになる」と理解してもらいたくても、その人は自分が「○○されると、□□の気持ちになる」ので、他の人も同じように思うと想像するかもしれないからだ。

 これは、ここにも書いたように、まったく異なる思考パターンをもつ二者間では同じ出来事や言葉でもまったく違った意味に解釈してしまうことがあるという点で似ている。

 また、『ダイバーシティ』の教育劇でも取り上げられているような、異文化を自国の文化をベースとした解釈枠組みを用いて理解しようとすることとの共通性を感じる。

 自分の感受性を使って相手の状況や気持ちを推し量るしかないような気もするが、そこでの基準や感覚が必ずしも相手と同じとは限らない。結局、勝手に想像するだけでなく、相手からの応答も手がかりに自分の仮説が間違っていないかを何度も点検するしかないように思うのだが、それには理解しようとする意思や意欲を持っていることが前提となる。

 相手の状況を理解しなくても自分が困らない人は、多くの場合、立場が強いほうだ。相手を自分に合わせさせる力をもつために、相手のことを理解できていなくても困らなくて済んでいる。

 介護について言えば、こういう人は、たぶん、介護保険を使わなくても介護サービスを受けることができるだけの財力をはじめとするさまざまな資源があるのだろう。

 もっとも想像力をもってもらいたい人は、正しい想像力をもつ機会に乏しく、その力を備えていなくても自分は困らない。その分、周りの人が困っている。こんな状況を変えるための、有効な想像力の涵養法が知りたい。

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コメント

えふさん
  良い記事ですね。想像力を養うのは、やはりあまり身近でない(肌で感じられない)ことがらに思いをはせる力を養う教育ですかね。海外の状況もふくめて。この頃身近な暮らしや人間関係にのみ関心がある人が増えていることが、想像力の欠如や、異なる環境での不適応を生み出しているように思います。
  それから、想像力のない人を非難するかわりに、相手の想像力を助ける情報(相手との意識や認識の違い)を提示して行く努力も必要だと思います。例えば対話型授業は個人にあわせて教育したいと思う教師には楽なんです。相手が質問することで、何が知りたいのかわかるから。日本では学生が質問しないので、個人を生かそうと思っても何を教えたらよいのか全然わからない。学生の質問・意見は、教師を助けることでもあるのです。
 「手伝おうか?」と聞く夫に腹を立てる前に、当事者意識の欠如の非を冷静に指摘して、相手の意識の深化の助けをすることが必要かと思います。また企業が伝統的分業を前提としていることが、夫の意識と関わっているなど、家庭内の「異文化」コミュニケーションは家庭内の問題にとどまらないこともわかってくるはずです。
  政治家の意識を変えるのは、結局選挙民がVOICEを出していくのが一番かな。でも、あまり期待できません。2世議員など、もともと庶民感覚とずれたところで育っている人が多いのですから。やはり選挙民自体が選ぶ人を変えていかないと、と思いますが、比例制とか人を選びにくいシステムもあるし、難問です。
  この書き込み、本の紹介のお礼です。

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