『論争 日本のワーク・ライフ・バランス』を読んで。その1
本書は、ここでも書いたように、『ワーク・ライフ・バランスと男女共同参画』と題したシンポジウムをまとめ、書籍の形で読むために整えられたものである。よって、はじめから、学術論文として書かれたもののとも、対談をそのまま収録したものとも違う。学術論文を読むよりもとっつきやすく、対談本よりも意味の含有率が濃い仕上がりになっている。
シンポジウムには残念ながら行けなかったので、当日の様子はわからないが、本書を読む限りでは、盛会であり聴衆として参加してもシンポジストの熱気が伝わって会場の温度もあがるような時間だったのではないかと想像する。そう思う理由は、質問のレベルの高さと量だ。どのような質問が出るかは、そのシンポの充実と強い関連があると私は思っているので。
本書は「プレリュード」と題した山口一男さんの文章から始まる。シンポジウム開催のきっかけや目的に加え、4つのセッションの概要が解説されている。ここを最初に読むことで、セッションに入る前に全体がおおまかにわかるようになっていることがありがたい。そして、各報告者の紹介をなさるときに、それぞれの主張の一般的理解を示されることで、あとから、報告者による「一般には、そのように理解されているのかもしれないが、そうではない」との発言を引き出すことに寄与している。
特に、第1セッションでの八代さんのご主張については、私も規制緩和至上主義的な理解をしていただけに、ご本人から違うとの説明があったことはよかったと思う。なぜなら、そういった理解は私だけのものではなく、少なくない人がそのように受け止めているように思われるからだ。
さて、第1セッションでは、八代尚宏さんと樋口美雄さんの報告にモデレータとして山口一男さんが参加されている。
前述したように、八代さんは規制緩和を強く主張されているイメージがあった(実際にもそのようだが)のだが、規制緩和の意味するところが私の理解と異なっていることがわかった。八代さんは、「小泉改革で格差が広がった」という誤解があるがそうではないと言われる。ホワイト・カラー・エグゼンプションにも休暇規定があることなど、私は一般の報道からだけ情報を得ていたため、ここで初めて知ることだった。
お二人の議論の違いは、ワーク・ライフ・バランスを実現するために障壁と考えられる日本的雇用慣行を、どのように変えていったらよいかという方法の違いである。既得権をもつ人びとの抵抗をどのように排して、新しい制度を定着させていくかということについて、次のような違いがある。
八代さんは、制度を変えることによって人びとの意識も変わる。日本的雇用慣行をそのままにして、ワーク・ライフ・バランスの実現を進めていくことは早晩行き詰まりが出る。現在、保護されすぎていると思われる正規雇用と年功賃金を変え、中途採用市場の出入り口を広げることが必要だと言われる。
樋口さんは、既得権者の抵抗感を薄めるための条件整備をまず、あるいは同時に進めるべきと言われる。
私には、このお二人の対立は、童話「北風と太陽」を思い出させる。
そして、樋口さんはプロセスの違いと言われるが、私は現状認識にも違いがあるといったほうがよいのではないかと思う。労基法がきちんと守られておらず、ライフを生活ではなく生命と訳さなくてはならないような状況にいる労働者が相当数存在するとの現実からは、新しい法律や制度を作っても、そのことだけで現実が変わるとは考えにくいからだ。法令を遵守するつもりのない会社にいれば「絵に描いた餅」だ。
本書からずれるが、ここでも書いたように、現在でも労基法を遵守すれば多くの問題は解決すると労働専門の弁護士さんがおっしゃっていた。
笹山弁護士曰く、「法律をよりよく改正していくことも重要なことだが、現実的には、現在すでにある法令を遵守させることで、かなりの労働面での問題はよくなる」のだそうだ(ここより)。
八代さんが既得権を崩していく法制度(あるいは、既得権を守りすぎている法律の撤廃)の必要を述べられているのに対し、樋口さんは法令が守られていない現状では法を定めればそのまま従うようなことにはならず、その場合には、どうしても立場の弱い労働者に影響が出てきてしまうのではないかと懸念しているように感じられる。
既得権をもつ人の抵抗感を薄めるのはむずかしい。なぜかといえば、既得権をもっている人は、それを既得権と思っていない。当たり前の報酬だと思っているのではないだろうか。そして、既得権をもっている人は客観的に見れば、そこそこ立場が強いのだけれども、本人の主観では弱い立場だと思っているように想像する。
自分の立場が弱いと思えば、自分や自分の収入に依存している家族たちを守るために防御的にならざるをえない。中途採用市場の出入り口を広げ、中途採用でも正規雇用にするという発想は、日本的雇用慣行になじみすぎた感覚からは、なかなか現実感を持って想像しにくいかもしれない。
「北風と太陽」のたとえから、私の立場は太陽だと思われるかもしれない。でも、どちらとも言いがたい。望むことは、現状が速やかによいほうに変化してほしいということだ。しかし、よい状態に安定するまでのあいだ、非常に厳しい状態を甘受しなければならない人たちのセーフティネットのことが気がかりだ。日雇い派遣を禁止しても、日雇いでしか収入を得られなかった人たちはどうなるのか。それと同じ危惧がある。
このセッションに望むことがあるとすれば、八代さんの主張の論拠となる資料や文献情報だろうか。これまでお書きになっているものから参照すればよいとは思うが、点数が多いので、1つ2つ挙げてあるとありがたい。まぁ、欲を言えば、という水準の話だけども。
それから、用語についての疑問。八代さんは「均衡待遇」と「均等待遇」を同じ段落でお使いになっているが(58頁)、「衡」と「等」は一字違いでも意味するところは雲泥の差がある。誤用・誤字なのか、あえて違えて使用されているのか気になる。
樋口さんは労働組合の役割の重要性を述べておられる。労使の協議は大切だが、従来の労働組合の男性中心主義を知るものからすれば、楽観的な気もしてしまう。「正規雇用中心主義だった労組が最近非正規も視野に入れ始めたのは、男性の非正規労働者がものすごく増えたからでしょう」と言いたい人をたくさん知っているので。非正規だけの労組も少しずつ増えているのは知っているのだけど、それらも男性が中核を担っておられるので、正規の労組とあまり変わらないのではないかという気もして。
お二人の報告の後、相互に質疑応答をすることで、それぞれの報告のときには疑問符がついていたことが明確になった。さらに、聴衆からの質問が読者の理解を助ける役割を果たしている。そういう点で、おもしろいセッションだったんだろうなぁと感じる。
(ここにつづく)
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えふさん
示唆に富む第一セッションの感想をありがとう。続きが楽しみです。ボストンより。山口一男
投稿: 山口一男 | 2008年8月 2日 (土) 23時52分
山口一男さん、コメントありがとうございます。
セッションごとに感想を書こうと思っているのですが、なかなか時間がとれませんで。気長に待っていてください。
ボストンから、わざわざありがとうございます。
投稿: えふ | 2008年8月 5日 (火) 00時14分