『論争 日本のワーク・ライフ・バランス』を読んで。その2
(ここからのつづき)
違い…「ワーク」の示す内容。目指すゴールに着くために誰を中心に支援するかを含めた方法。
第2セッション「家庭と職場のありかたとワーク・ライフ・バランス:その前提と道筋」では、御船美智子さんと佐藤博樹さんの議論が展開される。オーガナイザーのひとり、山口さんが「プレリュード」に書かれているように、このお二人のセッションは、『季刊家計経済研究』(2006年7月)(ここに一部分)に収録された対談を前段にもっている。私もたまたまこの対談は読んでいたのだが、内容を詳細に覚えていないけれども、読後に、何か未消化感が残ってしまった記憶があっただけに、本書での続編とでも言うべき展開は嬉しい発見だった。
その対談での対立点を明らかにしてほしいというのが、オーガナイザーの山口さんからのお二人に対する課題である。
御船さんは「ジェンダー・センシティブなワーク・ライフ・バランス論をめざして」と題した報告のなかで、「ワーク・ライフ・バランス」の語が日本で使われるようになるずっと以前から生活を研究していた立場から、特に女性を支援する重要性を強調されている。
御船さんがおっしゃるように、賃労働においては男性はかなりの長時間労働であるが、帰宅すれば家事・育児などの無賃労働をするために時間をほとんど使わなくて済んでいる。済んでいるというか、するほどの時間もないということか。もちろん、そのくらいの過酷な条件の方もいるのだろうけども、休日にさえあまり家事などに時間を費やしているわけでもないようだ。
「巧み故に強固な性別役割分業体制」とのことばで説明される以下の点が非常に興味深い。つまり、中国と韓国と日本との比較において、日本の夫も日本の妻も夫婦の資産形成における妻の家事の貢献度を高く評価しているにもかかわらず、資産の名義においては3か国中、妻名義は一番少ないのだという。この「巧みさ」は、個別カップルにおいての夫の意図だとも思いにくい。主語は誰あるいは何なのかが気になるところだ。
男女とも家庭責任を果たしていくことを目指すべき方向として主張しているのと、世代ごとに分業に対する感覚が違うことを述べている点が興味深い。ただ、単によくわからないということなのだが、私には世代論は正しいのかどうか、判断できない。
御船さんの主張を「意識レベル」の問題としてよいのかどうか、そこには疑問が残る。「意識」と言ったのは御船さんではなくて、モデレータの樋口美雄さんであるのだが。私の読みでは、御船さんはあまり「意識」について述べているようには思えなかったので。
最後の具体的な提案で示された、「両親に育児休暇を1カ月、強制的に与える」ことで、ライフ、生活の学習ができるとの主張を見ても、そう思う。1カ月という期間は子どもの育児が何年も続くことを考えれば非常に短い時間だと思う。しかし、実際に経験してみることでわかることは、すごく大きいはずだ。「強制的に」も欠かせない要件かと思う。そうでもしないと、どうしても気兼ねしがちな男性の育休が希望するすべての新米父に取得されるとは思えないからだ。他の国は知らないが、日本では「みんながやる」ってことが大切な感じだ。とくに、男性の、これまでのジェンダー規範に反するような試みは、「男性もみんなが休めます」ってことにしないと実効性が薄いような気がする。
いっぽうの佐藤さんは、演題「ワーク・ライフ・バランスと企業によるWLB支援」のとおり、「ワーク」を職場での賃労働時間に限定して使用されている。また、「意識」「意識改革」についても、むしろ、佐藤さんのほうが明確に言及されている。
また、佐藤さんも短期間でもよいから「実際に休暇をとってみる」ことを提案されている。
お二人の主張を比較すると、たしかに、楽観的な佐藤さんに悲観的な御船さんという図式はあるかもしれない。あるいは、学校教育の重要性を強調される御船さんに対し、佐藤さんはそこはあまりおっしゃらず、企業人への働きかけを中心に述べておられる。そのために、学校教育からはじめるとするとかなり時間のかかる方法なので、実現の速度を考えると、佐藤さんのほうが「さっさと実現しましょう」との主張に聞こえ、そのために、「そんなの簡単だよ」と聞こえるのかもしれない。簡単とは誰もおっしゃってはいないのだけど。
お二人の対立点を、私の視点でまとめると、佐藤さんは企業の現状が男性の働き方に合わせた形で動いていることを十分に認識されているので、男性の働き方を変えるような働きかけを行えば、それに伴い女性の働き方も変化すると捉えておられる。いっぽう、御船さんは、そういったやり方は、従来の男性に合わせるやり方(男性の働き方が中心にあり、それに女性も合わせていること。たとえば、総合職女性の長時間労働など、いつも男性の動きに女性が合わせていくような傾向が見られること)が、そのまま再生産することを懸念されているのではないかと思う。
短期的に大きな変化を起こそうと思えば、中心になっている部分(男性基幹労働者)を大きく変えたほうが、早く現状は変化すると、私は思う。ただし、そのために、中長期的には、やはり、女性は男性に合わせる存在としての位置づけを変更するようなジェンダー体制の変動にはつながらないとも思う。
御船さんの男性にも強制的に育休というご提案は、上の枠組みで言えば、「男性に強く働きかけることで、全体を変更する」と同じしくみではないかと思う。でも、男性生活の女性化(家事も育児もやりつつ、仕事もやる)に向けての効果のあがりそうな試みとして、すぐにでもやってみたらいいのに、と思う。やってみて、何か問題が出れば、その問題への対処法を考えることもできるし、問題が出たとしても、得るものもかなり大きいのではないだろうか。
お二人に共通なものは、「実際に休暇をとってみよう」ということだと思う。やってみて失敗したりしてみることを、もうどんどんやってみるべきときなんだろうと思う。
【おまけ】
ところで、男性の育児参画(参加ではないことの注意)や男性がうちに早く帰りたくなる気持ちになることで(管理職の男性は、部下の若い世代の男性が早く帰宅したくなる気持ちを理解できるようになることで)、ワーク・ライフ・バランスを推進する(かもしれない)、具体的な方法を今日ふっと思いついた。よくあるような「男女共同参画週間」と同様に「ワーク・ライフ・バランス週間」を定め、たとえば、子どもを対象にした「男女共同参画に関する作文募集、優秀なものには賞」みたいなのと似ているのだが、作文の課題を次のようなものにしてはどうかと思ったのだ。それは課題を、
「あなたのお父さんが1ヶ月間全く仕事をしないでよい有給休暇がもらえるとします。そうしたら、あなたはお父さんとどういうことがしたいですか。どこかに出かけるとか、おうちで一緒に何かするとか、なんでもよいです。費用のことや、本当にできるかどうかは気にしないで、自由にしたいことを書いてください。」
とし、優秀作品は表彰するとともに、親世代(特に男性)と管理職(主に男性)を招いて、発表会をやる。子どもがどういうことをしたいのかわからないが、それを聞くと、上記のような気持ちになれるのではないだろうか。「長時間労働をやめて、ワーク・ライフ・バランスをとろう」という呼びかけもよいのだが、また違った「長時間労働をやめて、早めに帰宅したり休暇をとると、子どもとこういう楽しいことができますよ~」といった呼びかけもあってもよいのではないかと思うからだ。具体的にイメージできる呼びかけのほうが効果があるのではないだろうか。
もちろん、シングル・ペアレントや親と暮らしていないなど「あなたのお父さん」という表現や対象が適切ではない子どもも、現在は非常に多いことにも注意が必要だ。そのあたりに、何か工夫できるとよいのだけど。
(その3(ここ)につづく)
(後日、その2の2(ここ)にも、関連したことを少し書きました。)
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えふさん
シンポジウムの第2セッションの書評をありがとう。編者として何度も読んでいるのですが、あらためてなるほどと思うところもありました。「ワーク・ライフ・バランス」週間などの御提案についても、今後考慮します。書評の続きがますます楽しみです。
山口一男
投稿: 山口一男 | 2008年8月11日 (月) 10時07分
山口一男さん、コメントありがとうございます。
本書の4つのセッションのうち、このセッションが私には一番むずかしいものでした。内容への理解という意味ではないのですが。
「つづき」は、ご期待に添えるかわかりませんが、気長に待っていてください(笑)。
投稿: えふ | 2008年8月12日 (火) 12時44分
えふさん
よかったら第2セッションが一番難しかった(評がという意味だと思いますが)とのはなぜか教えてください。
社会実験的精神ではえふさんは佐藤先生と共鳴するけれど、御船先生の言う「強固な性別役割関係」が手強いという認識もあるように思えます。その辺が評を難しくさせているのかもしれませんね。
投稿: 山口一男 | 2008年8月12日 (火) 16時48分
山口一男さん、コメントありがとうございます。
むずかしかった理由ですが、ご指摘のようなことで、ほぼうまく表現してくださっているかと思います。「ほぼ」と言うのは、このセッションについて書いていて、何がむずかしいのか自体が自分でうまく把握できなかったことに困っていたからです。
今でも、あまりうまく言語化されていないような気もしますが、少し書いてみます。
御船さんは、私の解釈では、意識は変わっているのに実態が変わっていないことに対していらだっておられるのではないかと思うのです。私は、妻の貢献を高く評価するようなことを「意識」ととらえました。そして、家事・育児分担は妻に大部分依存し、資産の名義はほとんど夫名義になっているという「実態」は変化がないとおっしゃっているのではないかと受け取ったのです。
つまり、「性別役割分業」の内容は変化しうるが、「性別役割分業」自体は形を変えても「強固に」「巧みに」残存すると指摘されているように思えました。
ただ、そうすると、全体のお話の流れとしては、そのようなことになってはいない。モデレータの樋口さんは、「意識」も問題にしなくてはならないと御船さんがおっしゃったと言われています。
そういった部分を、私の読み間違いなのか、そうでなければ、なぜなのか、などをグルグルと考えていたのかもしれません。
やはり、まだ明確にはすっきりと表現できないようです。
投稿: えふ | 2008年8月13日 (水) 20時16分
えふさん。説明をありがとう。家庭内の性別役割分業(あるいは男女平等)についての意識が変わってきているのに、実態が変わらないというのは、一つには家庭が企業や社会が男女をどう異なって処遇するかと独立に家庭が存在し得ないからでしょう。
でもそれだけでもない気がします。夫婦間でも、
雇企業と雇用者間でも、相手(2者間)次第で変わってくる部分があります。意識を問題にする人は個人を問題にしすぎ、組織を問題にする人は制度を問題にしすぎます。確かに個人の意識や制度の変革は
必要なのですが、身近な2者関係から変わって行く部分もあり、家庭はその例でもあると思います。
投稿: 山口一男 | 2008年8月14日 (木) 11時01分
山口一男さん、コメントをありがとうございます。
おっしゃるように、家庭内の関係と、企業や社会での男女の処遇のあり方が、独立に存在しないことが、なかなか実態が変わらないことの理由なのでしょう。
どちらも変わりうるし、どちらかが変わることで、別の領域への影響も与えるので、変化する可能性はいくらでもあると思います。
また、個人の働きかけも、やり方によっては大きな動きにつながるとも思っています。
同時に、人は一度慣れてしまっているやり方をやめて新しいやり方に移行しようとすることを、どのくらいの強さの、あるいは、どういった動機があれば、やろうとするのかという疑問があります。
たとえば、家庭内での家事分担についてですが、結婚してすでに随分経っている方(女性)が、「わざわざ、新しいこと(夫が家事をすること)を提案してやってくれるように働きかけるよりも、黙って自分がやってしまったほうが楽」とおっしゃるのを聞いたりするからです。提案コストや葛藤を乗り越えるほどのメリットがあると計算されない場合は、現状維持を選好してしまうのではないかと。
家庭内や企業・社会における性別役割分業をやめるだけの、魅力ある理由や動機をどう見つけるかが、一般生活者にとっては大切なことかと思います。
個人としては、ジェンダー平等のため、でも、よいと思えるのですが、多くの人はそれを動機にはしないような気がします。
ワーク・ライフ・バランスが、魅力ある動機の一つになりうるとは思うのですけども。
投稿: えふ | 2008年8月16日 (土) 00時07分