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田舎の風景

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    2008年9月8日~11日までの、田舎での時間。

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2008年9月12日 (金)

『論争 日本のワーク・ライフ・バランス』を読んで。その2の2。

論争日本のワーク・ライフ・バランス

男の育児・女の育児―家族社会学からのアプローチ

 その2を書いていて、ひっかかっていたことがあったのだが、先日『男の育児・女の育児―家族社会学からのアプローチ』を読んでいたら、それが明確になったので、以下に記す。

 『論争 日本のワーク・ライフ・バランス』第2セッションに関しては、先日書いたとおりなのだが、その際に、「意識」を問題にする仕方にひっかかりを感じていた。それが何なのかよくわからずにいたため、コメント(ここ)にも、曖昧なことを書いている。

 『男の育児ー』には、「父親の育児」の規定要因として、「状況要因説」「権力要因説」「意識要因説」の3つの仮説があるという。

 「状況要因説」は、「父親が育児をしやすい、あるいはせざるをえない状況におかれると(たとえば父親の労働時間が短い、母親がフルタイムで働いている、子どもが小さくて手がかかる、育児を手伝ってくれる祖父母が近くにいないなど)、父親は育児をより多く分担すると考える」。

 「権力要因説」は、「権力資源をより多く持つと(たとえば収入が多く『稼ぐ』役割を果たしていると)、相手に育児を分担するよう交渉する力がより強くなり、相手の育児分担が増えると考える」。

 「意識要因説」は、「性役割意識がその人の育児行動を規定する」。

 これら3つの仮説のうち、状況要因説を支持するデータは多いそうだ。権力要因説はいくらかの調査が支持しているという。

 意識要因説については、これを否定する研究が多いらしい。

 これらのことと、『論争 日本のー』第2セッションの議論を振り返ってみると、家事・育児負担が女性に非常に多くかかっている現状を変えるのであれば、『男の育児ー』に書かれている下記を参考にしたほうがよいのではないかと思う。

 これらの研究は父親の育児分担を増やすためには、父親の意識を変えようとするより、父親が育児をしやすくするよう環境を整えることや(たとえば労働時間の短縮)、夫に育児分担を交渉する際の妻の発言力を高めること(妻が経済力を持つこと)のほうが有効だということを示している。(16頁より)

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コメント

えふさん
  大変貴重なコメントをありがとう。基本的に賛成です。私の分析でも、一般に多くの人の意識は状況の変化を後追いする形で変わります。人間の行動や意識は環境適応的なのです(信念で動く人は少ないのです)。ここの理解の無いことが「ジェンダー・フリー」提唱者のように、意識改革やソシャライぜーションの影響の過大評価、制度的要因の過小評価に結びついているように思います。もっとも企業トップや中間管理職には、固定的性別役割の人も未だ少なからずいるので、そういう人はやはり人材活用についての意識改革も必要と思えます。でも私自身は男性の働き方からまず変えていくWLBのあり方を重視します。山口一男

PS. 「妻が10人ーーー」の朝日の記事へのえふさんのコメントには笑ってしまいました。朝日もこのぐらいユーモアのある記事が書けるといいのですが。もっとも問題の記事の男性の「エネルギー」は特殊なものと考えられるので、それを「別のこと」に振り向けられるのも社会問題かと。

訂正
固定的役割のー>固定的役割意識の

山口一男さん、コメントありがとうございます。

 多くの人は信念を行動の原動力にしていないこと、おっしゃるとおりかと思います。ですので、意識や信念に直接働きかけるよりは、行動が変わるような制度・環境のしくみを作ったほうが現実的と思います。

 「ジェンダー・フリー」は、学校教育や社会教育の分野で多く使われていたと思いますが、そういう場では、教育対象に向かってできることとしては、意識に限定されがちになることも理由のひとつかと思います。また、推進したい方々は「信念の人」であることも多いのかもしれません。ここで、「自分とほかの人は必ずしも同じではない」という認識をもっているかどうかが重要になってくるように思います。

 また、信念の内容が何かはともかく、押し付けてこられるような感じを嫌う方は多いと思います。

 企業の固定的性役割意識を強固にもつ方々に対する働きかけにも、その辺りは重要かと思います。理で正しいかどうかよりも、感情や「自分がないがしろにされた」という思いの果たす役割を、軽視すると問題をこじらせてしまうような気がします。

 施策の導入や進め方にも、バランスのとり方が大切だということでしょうか。

 朝日の記事の件もありがとうございます。私としては、もう少しその男性のことがわかるような記事だとよかったなと思います。「ユーモア」は大切なセンスだと思いますが、「不真面目」や「馬鹿にした態度」と受け取られかねない微妙な境界線上にあるため、(大)新聞紙上ではむずかしいのかもしれません。

 WLBや男女共同参画の普及や浸透にも、おもしろさや笑いの要素などを取り入れたものができると、もっと身近で「怖くない」ことがわかると思うのですが、行政が担い手だと真面目路線しかないのでしょうか。

えふさん
  コメントへの考え深い返信をありがとう。WLBや男女共同参画ですが、大新聞と同様行政も不真面目ととられかねないため、ユーモアは取り入れにくいと思います。男女共同参画局が「(世の中)カエルジャパン」というフレーズで蛙の顔のバッジを作りましたが、そんなバッジは不真面目で税金の無駄使いと考えた人もいたようです。 もっともユーモアはだじゃれ以上のものなので、「変える」と「蛙」を引っかける発想そのものに、問題が有るともいえます。『ダイバーシティ』でもだじゃれを盛り込んだので私は人のことはいえる立場ではないですが。

山口一男さん、コメントありがとうございます。

 カエルジャパンは、ダジャレかどうかということもクレームの理由になっているのかもしれませんが、メッセージとして「よく意味がわからない」「不明確だ」という理由も聞きました。キャンペーンなので、浸透しやすいわかりやすいメッセージ性がもとめられるような気がして、応援したいサイドからも「少し残念な感じ」を持たれているように感じます。

 ご指摘のように、行政サイドの施策は、不真面目ととられかねない要素を盛り込むのはむずかしいのですね。

 ただ、民間の団体や個人レベルでは、そういった理由で批判されることは考えにくいので、行政の施策として賛成すべきものがあれば、応援や賛同として、民間レベル・個人レベルでできることがあるかもしれません。

 『ダイバーシティ』『論争 日本のワーク・ライフ・バランス』のような書籍の刊行や、Chabo!のような取り組みは、ある種の援護射撃だと私は捉えているのですが。

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