いつも明るく前向きになんて、いられません。
『鬱の力』(五木寛之、香山リカ)
本書は作家の五木寛之さんと精神科医の香山リカさんとの対談である。タイトルからも想像できるが、「鬱」を治すべきものと捉える現在の風潮に疑問を投げかけている。
五木さんは、『人間の関係』でも鬱について少し書いておられたように記憶するが、現在は鬱の時代であり、ちょっとくらい鬱な気分になるのが当たり前と言う。「うつ病」と「鬱な気分」とは分けるべきで、昔なら医療の対象にならなかった人までがうつ病と診断され、本人もそれを望むというような状況の変化について、持論を展開する。何も悩みがなく、ひたすら明るくふるまうことが必要なのか、高齢者になっても趣味をもって明るく生きよと言うが、年々めでたい知らせよりも葬式の知らせが来ることが多くなるなかで、そんな気持ちを保つことが果たして可能なのか、など、私には共感できる部分が多かった。
対談相手の香山さんは、精神科業界でもうつ病と診断されるのを望んでいる患者の増加や、もっと深刻な統合失調症の患者が少なくなっている変化に言及し、DMS(アメリカ出自の精神疾患の診断基準)によって、症状のみでうつ病と診断できるようになったことが、それ以前の「うつ気分になっても仕方ない経験をした人」と「脳内の問題によりうつ病になっている人」の判別を不要とするようになり、それまでならうつ病と診断しなかった人までを診断することで、うつ病患者数が増えていることなどを、説明している。
うつ病は自殺につながるということが言われるようになり、自殺対策基本計画では通常の健康診断でもうつではないかのスクリーニングがされるかもしれない、すでにしている自治体もあるとか。教員の免許更新制度でも、メンタルな疾患にかかっていないかをチェックリスト項目に入れることが検討されているとか。
うつとは無縁の明るいだけの人だけが教員として認められてしまうと、学校に生きるそんなに明るいタイプじゃない子どもはより一層暮らしにくくなっていくのではないだろうか。静かにしていたい子どもとか。
五木さんによれば、戦後50年が躁の時代で、その後50年は鬱の時代になるだろうという。ときどきは、鬱な気分になって、すぐに薬を飲んだりしないで、なぜこんな気分になるのかを考えたり自分を見つめて暗い気分になったりすることも、したほうがよいのではないかと、私は思う。やだけど。
医療を必要とするうつ病と、気分的に鬱だという状態をどう分けるかもむずかしいが、五木さんの言う鬱の力は後者のほうである。それを取り違えると危険かもしれないし、医療にかかればかなり楽になる状態の人に「気のもちようだよ」と言いたいわけでもないと思う。
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