子どもの最貧困。ブログ・アクション2008に賛同した行動の1つに位置づけています。
『子どもの最貧国・日本 学力・心身・社会におよぶ諸影響』(山野良一、2008年9月20日)
『児童虐待のポリティクス―「こころ」の問題から「社会」の問題へ』(上野加代子編著、2006年2月刊)
『児童虐待のー』のなかに、山野良一さんの文章を見つけたときから、注目していた。児童福祉司をなさっている立場から、子どもの虐待がどのように見えるのか、大変興味深いものだった。この時点で、『子どものー』につながる問題意識はすでにお持ちだったと拝察する。
『児童虐待のー』を読んで名前を記憶していたため、新書である本書(『子どものー』、以下、本書とはこれを指す)を見つけたときには、迷いなく購入してしまった。山野さんはアメリカでソーシャルワークについても学んでおられ、かつ、アメリカの子ども虐待事情にも通じておられる。よって、日米を比較することも可能なようだ。
現在、日本が世界的に見ても、子どもの最貧困を指摘しなければならない国になっているとは衝撃だった。
ユニセフレポートでは、「子ども貧困リーグ」という図を掲げてOECD26カ国の子どもの貧困率を国際比較している。本書が紹介しているのは99-01年時のデータが多いのだが、この時点でも日本はかなり高い国に位置している。26カ国のうち10位だ。著者は、その後非正規雇用が増えていることを勘案すると、現在はもっと順位が上がっている(貧困率が高くなっている)のではないかと懸念している。
従来は、子どもの学力と親の持つ諸条件とのかかわりは、所得よりは親の学歴などが大きく関与しているとされてきたという。しかし、本書が紹介する各種調査からは、世帯の所得が最も大きく影響するのではないかと疑わざるを得ない結果が出ているという。以下に、その箇所を抜粋しておく。
この研究は、少なくとも、小学校入学前後の幼少の子どもたちにとって、親の学歴よりも、家族の所得の方がより重要な意味を持つことを示すものです。
みなさんは、このことをどう思われるでしょうか。
私自身のことを言うと、こうした研究を概観する前は、所得そのものがそれほどに強い影響力を持っているとは思っていませんでした。親の学歴や職業で、所得の影響力はほとんど説明されてしまうのではないかと考えていたのです。
子どもの発達を研究するアメリカの学者たちも、こうした研究が出てくるまでは、親の学歴や職業の方が人的資本として影響が大きいのではないかと考えていたようです。実際、カウアイ島の研究では、所得ではなく父親の職業を社会経済的な指標として使っていました。しかし、最近では所得そのものがかなり影響力を持っていることがコンセンサスを得られているようです。
また、先の章でも触れたように、所得そのものをきちんと把握して研究することは、こうした研究を実際の政策などに生かす場合に意味があることなのです。親の学歴ではなく現在の所得の方が大きな意味があるとすれば、どうやって親の所得を増やしたらよいかが問われることになるからです。(141-142頁)
貧困が学力の低下を招き、それが子どもの所得の低さにつながり、次世代への貧困へと続くとしたら…?
もっとも先にすべきことは、まず、貧困に関する公式統計を再開することではないかと思う。大人に関しても、子どもに関しても、貧困について国が実態を把握するための調査がなされていないということをもっと問題にすべきだろう。
日本では、子どもの貧困をめぐる問題は、長い間まったく語られなくなっています。厚生労働省も、65年以降、貧困に関わる公的な測定そのもの(子どもの貧困に関わるものを含めて)をやめており、現代に至っても子どもたちの貧困問題を真剣に受け止めようとはしていません。
これは、厚生労働省の責任だけではないでしょう。私たち自身の「目」や「声」の問題でもあると思います。繰り返しになりますが、この本はそうした子どもたちの貧困問題に対する「目」や「声」を研ぎ澄ますために書かれたものです。そうした「目」や「声」を研ぎ澄ますために、貧困が子どもたちや家族にどのような影響を与えているか考えてみたいと思います。(38-39頁)
10月15日はブログ・アクション・デイだという。今年のテーマは「貧困」。若者と女性の非正規雇用・低賃金、ワーキング・プアも重大な問題だが、同時に、日本の子どもが諸外国との比較においても、「最貧困」に位置づけられるという指摘は衝撃的であるとともに早急に手を打たなければならないのではないだろうか。子どもが子どものうちに、すぐにでも、貧困から脱するための対策がもとめられている。
【補完情報】
読売新聞2008年10月7日付記事(ここ)(ここ)に、子どもの貧困を取り上げ、「3つの提案」として、政府は実態の解明を早急に、賃金アップなどで所得保障を、福祉と教育の連携で支援を強化としている。
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えふさん
読売新聞の最初の「ここ」の記事を書いたのは大津和夫記者です。彼は最近『置き去り社会の孤独』と言う本を出版しました。貧困・格差問題では必読のとても良い本です。えふさんも是非読んでください。
投稿: 山口一男 | 2008年10月15日 (水) 23時13分
山口一男さん、本のご紹介ありがとうございます。
この本のことは知りませんでした。出版情報はかなり気にかけているつもりなのですが。社会的排除について書かれた本のようですね。読んでみたいと思います。
ありがとうございました。
投稿: えふ | 2008年10月15日 (水) 23時54分
えふさん
そうです社会的排除(social exclusion)の実態について書かれた本です。でも社会的内包(social inclusion)への具体的施策も提言しているので、ソーシャル・インクルジョンについての本でもあります。
投稿: 山口一男 | 2008年10月16日 (木) 03時18分
山口一男さん、コメントありがとうございます。
具体的施策についての提言もあるのですか。それは、より興味深いですね。
福祉分野などでは、社会的包摂と訳しているような気がしますが、「内包」も「包摂」もなんとなく馴染みの薄い日本語です。排除の反対のことだから、共存とか共生みたいなほうがイメージしやすいのですが。
読むのが楽しみです。
投稿: えふ | 2008年10月16日 (木) 22時07分
えふさん
そうですね。「内包」も「包摂」もなじみの無い言葉です。「社会的受容」という訳も見たことがありますが、「受」と言う言葉が受身の感じを与えます。「共存」や「共生」のほうがイメージしやすいというのは、おっしゃるとおりです。
福祉と言う言葉が出ましたが、大津さんの本の提言のいいところは、福祉の観点を色々な意味で超えていることろだと思います。アメリカではダイバーシティとインクルージョンを対で言うことが多いのですが、様々な資質をもつ人たちが生き生きと生きられる市民社会を作りたいというのが根底にあると思います。
投稿: 山口一男 | 2008年10月16日 (木) 22時44分