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2008年10月20日 (月)

第21回東京国際女性映画祭、開催中です。

 ここが公式サイトですが、19日(日)~22日(水)までやっているようです。これは、東京国際映画祭の一部で、女性監督作品を特集したという位置づけになっていると思います。わざわざ「女性」とすることに、当初も最近も「今さら『女性』と分けることにどういう意味があるのか」との疑問や批判があるようです。ジャンヌ・モローさんがおっしゃったという言葉は今でも十分通用するように思う。

 ゼネラルプロデューサーの高野悦子氏は、「昨年、大きな節目を迎えたとき、もはや“女”にこだわらなくてもいい時代になったのではないか? というかっとうも正直ございました。しかし今なお、1年間に公開される日本映画の中で女性監督が占める割合は7%という事実に、 “継続は力なり”という言葉の責任を感じた次第です。1割に満たない現状では、女性が物事を変えていくことはできません。あらためて、第1回のときにゲストで参加してくださったジャンヌ・モローさんの『女性が人間の文化をつくるのだ』という言葉を思い出しました。今年が、30回目に向かう新たな第一歩にしたいと思います」とあいさつした。ここより

 女性が映画を作る側に回ろうとするとき、どれだけの困難があったのかについては、現在はそうでない映画もお撮りになっているが、ピンク映画監督としてさまざまな経験をしてこられた浜野佐知さんの本に詳しい。

女が映画を作るとき (平凡社新書)

女が映画を作るとき』(浜野佐知著、2005年1月刊)

 若い助監督時代、寝こみを襲われないように(というか、襲われたとき刺せるように!)、比喩ではなく包丁を抱えて眠っていたというエピソードなどは、男性の世界に女性が入っていこうとするときに起こるさまざまな障壁の中でも最も過酷な状況を思い起こさせるものだ。ピンク映画を撮影するための女優さんを選んでいるときに、女性に罵られたりもするが、世界各国の女性たちからの支援を受けて、シスターフッドのありがたみを実感したりする話も興味深い。

 刊行されてすぐに読んだので、ちょっと記憶があやふやなところもあるが、女性映画祭のことと本書とは私の中では近いところにある。

 今年の女性映画祭、実は明日1本観る予定である。重い主題だが、観るのは楽しみ。一緒になって沈まなければ、ここに感想を書きたいのだけど。

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コメント

えふさん
   今回の記事で浜野さんについての以下の部分はショックでした。   
    「若い助監督時代、寝こみを襲われないように(というか、襲われたとき刺せるように!)、比喩ではなく包丁を抱えて眠っていたというエピソードなどは、男性の世界に女性が入っていこうとするときに起こるさまざまな障壁の中でも最も過酷な状況を思い起こさせるものだ。」
   「寝込みを襲う」など仮にレイプの未遂におわったとしても重大犯罪です。そういった犯罪行為を一緒に仕事をする同僚から受ける、これが彼女の被害妄想でなく、可能性としてあるのなら日本は性にかんしてどうしようもない野蛮な国です。西洋でも、ステレオタイプで申し訳ないのですが、ラテン系民族では、男性が女性の同僚に強引に言い寄るということは良くあると思います。またどの社会でも性犯罪者はいます。でも同僚女性の寝込みを襲うなどという犯罪はまず考えられません。日本は西洋に比べ酔って理性を失う人は多いので、そういうこととも関係しているのでしょうか。いずれにせよそういう行為が重大犯罪として摘発され、行為者が社会的に重く罰せられろことで、ただでさえ社会的機会についての差別や、伝統的男女の分業、でハンディーを受けている日本の就業女性たちに女性であることにより性によって精神的負担を負う状況が完全に一掃されることを切に願います。

山口一男さん、コメントありがとうございます。

 私は、ショックを受けられたことに衝撃を受けました。

 浜野さんの包丁は、おそらく30年以上前のことかと思うのですが、映画の撮影で寝泊りをともにしなければならなかった状況でのことかと思います。私は浜野さんは包丁で応戦するだけのエネルギーのあるすばらしい女性だと思っているのですが、他の多くの女性なら包丁で刺す覚悟をするのは大変なことで、黙って言われるままになるような状況に追い込まれてしまっていたのではないかと思います。

 同僚に対しての気持ちですが、同じ職場で働く尊重すべき対象として、女性がどのくらいきちんと処遇され扱われてきたかについては、過去も現在も残念ながら、対等な存在としては必ずしも認識されているとは言い難いように思います。これは、賃金の低さとも相まって女性の地位を低いままにしている要因の一つではないかと思います。

 レイプや未遂とまでいかなくても、職場でのセクシュアルハラスメントの問題は改正均等法(2007年)以降も大きな事件でもない限り公になりにくいだけで、いくらでも発生しているのではないかと思います。
 日本でのセクシュアルハラスメント裁判では、裁判にまでなる事例では、セクハラではなくて強姦罪などでも扱えるのではないかと思えるようなひどいことが起こっています。宿泊を伴う学会などで、自分よりも立場の低い女性の部屋を訪ねるか自分の部屋に女性を呼ぶなどして、「合意の上だった」などという言い逃れが通用すると思っている例はたくさんあると思います。大学に限らず、たとえば、バスの運転手(男性・年配)とガイド(女性・経験が少ないため、運転手に頼らないと仕事ができない)なども、意に反して性関係を迫られることがある(あった)と聞きます。もちろん、すべてではなく、大変よくしてくださる男性上司もいらっしゃると思うのですが。

 アメリカでも、数年前に映画化されたシャーリーズ・セロン主演で話題になった『スタンド・アップ』などは、炭鉱の仕事に女性が参入していく過程で気に入らない男性労働者が女性にひどいことをする話です。これは、全米初のセクシュアル・ハラスメントのクラス・アクションとして有名な事実を基に構成されたと聞いているのですが、同じ職場で働く女性に対する男性たちの対応は、ひどいものでしたよ。

 飲酒と酔いの程度に関する社会的な許容度は日本は諸外国と比べて、高いのでしょうか。その辺りはよく知らないのですが、日本人はアルコールに弱い体質だとは言われており、それだけでなく「無礼講」の文化などから、酔った(酔っていた)ことを後から言い訳にできるようなところはあるのかもしれません。酔ったことを理由に、たとえば、女性のからだに触ってもよかったりする周囲の感覚が酔った人の行為を野放しにしていると考えます。本当に酔ってわけがわからないなどということはめったになく、それを言い訳にして、素面ではできないことをしているだけではないかという気もします。もし、からだを触ったら包丁で刺されるとしたら、いくら酔っていても気軽には触らないのではないかと思うので。

  女性の職場環境に関して言えば、賃金や地位などはもちろんですが、性的な言動の的にならなければならないことは、大変にストレスフルであり、人によっては居られなくなる大きな理由にもなります。また、セクハラが横行するようなところでは、むしろ、女性がそれにいかにうまく対処するかを、女性の職業能力と結びつけるような傾向がないとは言えません。

 おっしゃるように、待遇差や能力査定の基準などにおいて存在するハンディだけでなく、性的対象として扱われることへの不快感や危険への対処も同時にそつなくこなすことがもとめられているので、現在でも女性たちが働くのはさまざまな困難があると言えるのでしょう。
 もちろん、職種や具体的な職場によっても違いはあるのでしょうけども。

 レイプの加害者の8割は、被害者が以前から知っている人物で、その中には同僚も含まれています。また、アメリカは対価型のセクハラが特徴的だと言われますが、これは上司の権限が日本などと比較して大きいためと聞きます。「同僚」をどういう範囲に定めるかにもよりますが、そして、日本の状況が決していいとは言いませんけども、アメリカの状況も十分に野蛮なものかと思います。おそらく、これも、具体的な職種や職場にもよるのでしょうけども。

えふさん
   すみません。僕がショックを受けたことが衝撃的という意味は僕の認識不足にあきれたを超えてショックだったということだと思います。今日は本当に怒られてしまいました。でも少し説明させてください。
   アメリカでのセクハラについては男性工員の多い工場などで、公然と目に付く場所にポルノ写真が張られていて問題になったりすると聞きます。しかし米国の多くの企業では「セクハラ規定」があり何がセクハラになるかに付いて説明とその周知徹底が計られています(シカゴ大学ももちろんそうです)。またオンブズマン制度を始め、制度的にも雇用者の訴えを聞き、事実関係を調べ、是正をする機構があります。実際に問題が認知された場合の処罰も大きいです(職を失うし、刑事・民事の訴訟の対象となります)。そういう場所で30年勤めているので、こういう問題は専門ではく、セクハラ自体アメリカから問題にされ始めたことで問題が無いとはとてもいえませんが。「アメリカの状況も十分野蛮」というご意見には納得できません。もちろんここで「野蛮」云々は人間性のことで無く、社会制度・慣習のことです。ただアメリカ社会は労働者階層ほどセクハラ問題は多いことは知られていますがこれは教育の問題もあるでしょうが男性中止文化が労働社会階層により強く見られるからです。
  「レイプの加害者の8割は以前から知っている人」ということですが」そうかもしれませし、日米にも大差は無いでしょう。でも日常的に「包丁を抱えて寝る」という状況とは別の次元の問題という気がします。米国による性行動の全国調査でも、初体験に付いて男性の殆どが自分が望んだから、女性ほとんどが相手が望んだからと答え、大きな性差が出ています。これはレイプも含みますがその割合は大きくありません。つまり了解の上であっても、性行動はほとんど「男性主導」なのです。
  男性の性行動自体の傾向をを変えることは難しいように思います。ですから問題は社会制度的にセクハラや、ましてはレイプが、起きにくくすることだと思います。

えふさん
  追記です。「宿泊を伴う学会などで」に始まる文にもとてもショックを受けいています。また認識不足のせいで僕が知らないだけかもしれないけれど、そんなのアメリカでは聞いたことありません。恋人同士でもないのにホテルの自分の部屋に呼ぶなどという非常識自体考えにくいことです。グループ客のリーダーにパーティー用に大きなスイートルームを提供するサービスはホテルがすることがあるようですが。それにしてもどうしてホテルの自分の部屋を異性の同僚が個人的に訪ねるとか、部屋に招かれると、などということをマナー違反として拒否しないのですか?そんなことも拒否できないほど日本の同僚関係は抑圧的なのですか?それとも社会人として「親しい」ということについての距離の置き方の日米の違いがあり、日本ではマナー違反でないのでしょうか?すみません、30年もアメリカで生活していると、この辺は本当に感覚的に理解できないのです。  

山口一男さん、コメントありがとうございます。

 なんだか失礼な言い方になってしまってすみません。あきれたりはしていないのですが。

 きちんと整理しないままに書いてしまったところもあるのですが、浜野さんの状況は30年ほど前のことでもあり、同じように30年ほど前のことであれば、アメリカでも初めてのセクハラの集団訴訟があったくらいの状況ですから、同様に「野蛮」な状況だったのではないか、と思ったのでした。

 現在のアメリカの状況は、おっしゃるとおり、日本と比較すれば、制度的にも制裁としても十分に整っているということは認識しているつもりです。その意味では「野蛮」とは思っていません。

 「宿泊を伴う学会」の話ですが…。
 「同僚」は、日本語では、①職場が同じである人、②地位・役目が同じである人、と二つの意味があるかと思います。どちらの意味でお使いなのかが、よくわかっていないのですが、仮に②であれば、断ることは比較的容易な気がします。
 しかし、①の意味であれば、当然、相手は立場が上の男性となるわけですので、その要求を断ることはかなりむずかしいことになるのではないかと思います。実際にあった大学におけるセクハラ裁判では、男性教授と女性(非常勤)研究員という組み合わせが多く見られるような気がします。

 ホテルの自分の部屋に呼ぶか、相手の部屋に訪ねて行くことについては、このようなことは考えられないでしょうか。日本でも、一般的には常識のある男女が恋人同士でもないのに、ホテルの部屋に二人きりになるようなことは避けるのがマナーではあると思います。
 その認識がある上で、立場の上の教授が、「明日の報告について、もう少し打ち合わせておいたほうがいいから、僕の部屋か君の部屋で話さないか」などと言ってきたとします。この申し出がすでに非常識でマナー違反かとは思いますが、言われた女性のほうは「教授、あなたと二人きりになっても、何もしないでしょうね?」などと明示的に尋ねること自体が非常識でマナー違反になっているのです。
 理由の1つは、尊敬すべき立場にいる方を、野卑な感情をもつのではないかと見なすという点で失礼だといった社会規範に抵触することです。もう1つは、そういったことを、女性が口に出すことでしょうか。セリフは、「教授、私はあなたと性的な関係になるつもりはありませんよ」でも同じです。

 「秋田セクシュアルハラスメント裁判」でも、こういったホテルの部屋に二人で居た状況で起こった出来事を、「ただ肩に手を置いただけ」と「強制わいせつをされた」に分かれて争われたのですが、実際にこういうことが起こっています。

 一般に、女性がきっぱりと断わることに対して、非常に評判の悪い日本人の感覚に大きく関係しているかもしれません。「No!」の語彙が日本語で女性言葉には、事実上ありませんから。「やめろ!」を女性が言うときは「やめて!」「やめてください!」となんだか頼まなくてはならないような形になってしまうことと、何か関係があるような気もしますが。

えふさん
  説明をありがとうございます。やはり自ら規範を徹底化する必要があるのだと思います。ホテルの個室は私的空間だから、公的は用務(仕事の打ち合わせ)などをするべきでない。会議室が取れないなら、ホテル内のロビーやホテル内のレストランや喫茶室ですべき、それだけのことです。アメリカではみなそうしています。大体ベッドのある部屋に仕事の話でで入るなど極めて非常識です。相手の行為の意図に付いて憶測をする必要も、失礼な言及をする必要も全くないのです。部屋で打ち合わせをといわれた人が、単純に「ロビーか喫茶室でお会いしましょう、何時にしますか」といえばよいのです。それでも「部屋」を強調したら、それだけでパワハラだとみなし「ホテルの部屋は私的な場所ですから、仕事の話には適切でありません」と言えばよいのです。相手が非常識で失礼なのだから断って当然です。そういう時「断るのが評判がわるい」など、あきれを通り越して腹立たしいです。非常識な男性は当然ですが、断らない女性の側にも大きな問題があると思います。アメリカではそういう「誘い」に乗る人は「女性を武器にして出世しよう」と考えるタイプだと多分思われるでしょう。自分の行為は相手の意図に関する安易な憶測に基づかず常に自分で責任を持つべきなのです。

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