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散歩の収穫。

  • こういう色もよいですね。
    散歩をしていて見つけた風景や動植物を記録しておくアルバム。不定期だけど、できるだけ更新を目指す。コメント歓迎。

田舎の風景

  • 東京に戻ります。
    2008年9月8日~11日までの、田舎での時間。

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2008年10月の39件の記事

2008年10月31日 (金)

かぼちゃの日。

 オリンピックのときは、その日行われる種目から選んでロゴにアレンジしたものが毎日アップされていましたが、今月に入ってからは、あまり祝日などに関連したアレンジを見ることがなく、「どうしたのだろう。ロゴ担当者の方が体調が悪いとか?」などと、今朝、通勤電車のなかで考えていました。グーグルのロゴのことです。

 職場について、トップ画面を表示させると、ハロウィーンのロゴになっていました。記念日ロゴ担当者の方はご健在のようです。よかったです。

Halloween08

Ca390035

 これは、和三盆糖を使った干菓子です。単純に言うと、和三盆というちょっと上等な砂糖に色をつけて、おもしろい形に固めたものです。

 一般には、花や葉っぱなどをかたどったものなのですが、最近は、いわゆる伝統的な形のものばかりでは、世の中に取り残されてしまうという不安があるのでしょうか。ハロウィーンにちなんだ特別な形の企画モノが売られていたようです。

 もう随分前にもらったのですが、干菓子ですし日持ちもするので、今日までとってありました。それで、自分だけでいただくのも、なんだかもったいないような気がして、職場の人とシェアしようと持って行きました。口に入れればすぐに溶けてなくなってしまうのですが、せっかくのかわいい形なので、写真に残しておくことに。

 これだけの数しかないので、本当に1個ずつになってしまいましたが、その場にいた人たちに配って、おもしろいので喜んでもらえました。やはり、一人で食べるよりもずっとよかったです。

Ca390039

 帰りは、今日は定時に帰ったのですが、もうすっかり暗くなってしまっていました。今日で10月も終わりなので、当然なのかもしれませんが。

 国連大学の前の広場になっているところを通りがかったら、なんだか知りませんが、写真のように、ライトアップがなされておりました。きれいでしたので、撮影したものの、あんまりうまく撮れませんでしたが。

WFPの写真展を観てきました。

 ここにあるように、アフリカ大陸南部のザンビアで撮影された41枚の写真を展示したものでした。30日までで最終日に行ってみることができました。

 貧困国の生活の様子を知るために、写真だけでなくキャプションによる簡単な説明が1つ1つについていました。干ばつなどによる食糧難で、栄養不足の人の割合が世界でももっとも高い国の1つのようです。

 そのようなこともあり、WFP(世界食糧計画)による食糧支援も当然行われているわけですが、最近の穀物高騰による影響を大きく受けていて、供給される食糧が減っているということでした。

 重い現実ですが、子どもたちは明るい顔をしています。こんな状況では、笑うしかないような気もして、より一層重苦しい気持ちになりました。

 食糧支援をするだけでなく、現地の人に農業技術支援をすることも重要なことです。実際に、有機農業を伝えることや収量の高くするための知識を学んだことで、自力で生活をよくしていっている事例も紹介されていました。持続可能な農業(sustainable agriculture)は大切なのだと再認識しました。

2008年10月30日 (木)

男性への不信は、男性への信頼によって、回復される?

 DV被害女性のための民間シェルター、日本でも全国で100か所くらいはできているという。アメリカでは2000か所以上と聞くから、人口が半分としても、10倍にならないとアメリカ並みにはならないですね(「アメリカ並み」がよいかどうかはともかく)。

 栃木県にある民間シェルターでの活動を少し紹介します。

 ここを見てください。

 「女性と子供を守る100人の男たちの会」というのがあるということは、ここで初めて知りました。

 日本の民間シェルターは、最近は多少自治体からの補助金が出ているとはいえ、それは人件費などにはならないので、スタッフの方は本当に手弁当でボランティアでやっておられるところが多い。シェルターを運営していくということは、日々費用が発生するので、資金的に支援する人を募ったりしている。ニュースレターを発行し、この問題を広く知らせるとともに、会員から寄せられる会費や寄付を運営資金に充てているところもある。

 スタッフはほぼ女性だけと言ってよい。対応する相手は妻や子どもを追跡してきたような、警戒しなくてはならない男性などがどうしても多くなる。すると、だんだん、男性に対する不信感が高まるとしても無理はないように思う。

 しかし、対象が誰、あるいは何であろうと、不信感を抱いたまま暮らすのは負担が大きいと思う。

 紹介するのは、ニュースレターの一部分。これを読むと、よかったな、と思う。シェルターのスタッフの方にとっても、賛同者の男性たちにとっても。

 それから、私にとっても。

 ちょっといい話なので、紹介しました。

(こういう話題を取り上げると、私自身が男性不信ではないかと思われるような気がしないではありませんが、そういうわけではありません。)

2008年10月29日 (水)

静岡市周辺のカツマーのみなさまへ(勝間和代さんご講演のお知らせ)。

 ここにありますように、「静岡県男女共同参画センターあざれあ」にて、勝間さんのご講演が予定されています。広報誌(ここ)で知りました。

「勝間和代さんから直接ビジネス思考力を学ぶ 7つのフレームワーク力~ポイントは思考力」

日時は2009年1月25日(日)13:30~15:30

申込みは11月12日(水)10:00~先着順だそうです。詳細は、直接、ここをご覧ください。

今日はWLBに反した行動をとる日です。

 ふつうは朝から仕事に行く日と、遅番の日が重なったりはしないものなのですが(あたりまえか)、今日は病気になられた方の代打で、両方を兼ねて勤務してきます。まぁ、そんなに大袈裟なことではないのですけども。

2008年10月28日 (火)

はてブられました!

 今朝は仕事に行きお昼に終わり、帰ってきてくたびれておりましたところ、16時過ぎから突然ブログのアクセス数が跳ね上がり、どうしたことかと思い追究しました。どうも、はてブられた模様です。

 「はてブ」とは「はてなブックマーク」のことを言うようです。そう言えば、勝間さんが「はてブトルネード」について言及されていたのをどこかで読んだ記憶がありますが、私はいまだしくみがよくわかっておりません。

 このブログの場合、トルネードというにはあまりにささやかですけども、私にとってはちょっとしたニュースでしたので、ここに書いておきます。

 「はてブ」とそのしくみについては、気になりますが、本日はちょっと疲れていることもあり、取り調べや事情聴取は後日にしたいと思います。

 ちなみに、「はてブられる」という言葉の使用法が正しいかどうかも、やや不明です。「はてブる」よりは、受身形のほうが適切な感じはしますが、そこのところもよくわかりません。これについても、後日調査するということで。

図書館の地位を見れば、国民の教育レベルもわかる?その2

その1からのつづき)

学力世界一を支えるフィンランドの図書館

『学力世界一を支えるフィンランドの図書館』(西川馨編著、2008年5月刊)

 日本では、図書館の窓口業務を指定管理者にまかせようとする傾向が強くなってきているが、フィンランドではそのような動きはないのだという。関連する箇所を引用しておく。

 フィンランド公共図書館の200年の歴史に対して、日本の公共図書館も早や100年を超える歴史があり、あの第二次世界大戦を乗り越え、世界に誇れる憲法をその背景に持っているが、その図書館政策は脆弱で財源の保障はない。国民の教育の基本となる図書館は、国が責任を持ってそのサービスを行うのではなく、自治体まかせで、その地方格差はますます開くばかりである。

 図書館の課題というより、フィンランドを実際に見た今、痛切に感じるのは、「国」を運営していく「政府」の質の違い、問題であると気づいた。

 フィンランドは、世界一政治家や官僚の汚職が少ないといわれる。間違いなく、無駄なく、国民の血税は、社会保障や文化、教育のために使われると信頼できれば、そして生活の基本である教育・福祉・医療が将来に亘って無料であれば、国民は貯蓄や財テクに走らなくても将来に不安を感じることはなく、心豊かな人生を送ることができる。理念を実現するための財源として、高率の所得税や消費税が有名であるが、決して高くはないだろう(「国民健康保険制度」のないアメリカでは、いったん病気になると破産寸前まで生活そのものが破綻する事実が映画『Sicko』で暴露された)。

 国民の半数近くが公務員と言われるフィンランドであるが、「公共サービスを公務員がやるのが当たり前である」と語るフィンランドの図書館員(司書)には、ゆるぎない自信がある。

 「民でもやれる」と私が勤務していた市は、図書館に指定管理者制度を導入した。フィンランドのようにポジティブな元気を取り戻すために日本ん図書館を民主主義の知の砦として護り、充実させることが必要であると強く感じた。(48頁)

 本書の「第3章 旅の印象」では、フィンランド人の気質を紹介しているが、それが興味深かったので抜き書きしておく。

フィンランド人気質

 図書館訪問で知己を得た人々や近所の教会関係者を思い浮かべると、「寡黙でシャイ」といわれるフィンランド人の国民性に納得する。日本人とフィンランド人の共通点として図書館協会の方が挙げてくれたのが、

1 沈黙が気にならない。

2 シンプルなデザインが好き。

3 自然が好き。

 私はそれに4つ目として、

4 素材を大切にした料理が好き、

を加えたい。日本人と最も理解しあえる国民性だと言われるが、大いにそう思う。(169頁)

「3つのS」(サウナ・シベリウス・シス)

 フィンランドを代表する「3つのS」というのは、フィンランド解説書によく登場する話題だが、今回もこの「3つのS」を見聞することができた。

 フィンランドが発祥のサウナ。滞在ホテルすべてと、エストニアに向かう船の中にもあるほどに、普段の生活に組み込まれている。白樺の小枝の束を「振り回して」入浴するサウナはなんだか悪魔祓いのような気もしたが。単純な構造ながらも、瞑想の場所でもあり、コミュニケーションの場所でもある。サウナは単なる入浴施設ではなく、精神的な要素も大きいというのも、日本の温泉と似ている気がする。

 2007年はシベリウス没後50周年ということで、各地で記念行事がおこなわれていた。幸運にも私たちはラハティで、シベリウスフェスティバルに参加することができた。会場のシベリウスホールは木とガラスのすっきりとした北欧デザインの建物。ホールは満席で、質の高い演奏も素晴らしかったが、何よりシベリウスゆかりの地で、フィンランド人たちと同じ時間と空間を分かち合うという幸福感に満たされた。

 忍耐や精神力、我慢を意味する「シス SISU」は、長い間様々な侵略や支配を受けた歴史から醸成された賜物だと思うが、今世界中から注目されているフィンランドの教育法に反映されているようだ。粘り強く、基礎を重視する教育メソッドが高い評価を受けている。教育の目標は「人間として一番基本的な能力、すなわち、自分で判断できる、自己責任がとれる子どもを育成する」ことである。図書館はこのためにも不可欠と認識されているのだ。(171頁)

 以上のようなところが興味深く、私はこれは図書館からフィンランドを眺めるというなかなかおもしろいガイドになっていると思うのだが、いくつか気になる点も挙げておく。

1.図書館業界にいる人にとっては常識である概念が、必ずしも一般には広く知られていないと思うのだが、そういった「業界用語・概念」に対して十分な説明ができているのかどうかという点。

2.たくさんの編著者による分担執筆であるが、そのことがよさでもあると同時に、やや散漫な印象を与えているのではないかという点。

3.この2つのことがおそらく大きな理由となって、装丁などから察する購読対象は一般向けでありながら、実は業界向けの内容になっているのではないかと思われる点。

 1つ1つの塊は短いものなので、関心のある部分から読み進めても問題ないし、好きなところだけを読んでも、あるいは眺めてもいいかもしれない。日本の図書館をこのように紹介したものはあるのだろうか。

東京ブックマップ―東京23区書店・図書館徹底ガイド(ネット対応版)〈2005‐2006年版〉

 これは、東京23区にある書店・図書館の所在や連絡先と特徴を解説したユーザー視点のものなのだが、たしかカラー写真などはほとんどないものだったと思う。そして、図書館の蔵書構成の特徴には言及しているものの、建築特性などは守備範囲外だったように思う。そういう意味では、『フィンランドの図書館』とは類書とはいいにくいように思う。

TOKYO図書館日和

 『TOKYO図書館日和』(富沢良子著、2007年5月刊)は、紹介図書館数を絞り、カラー写真も豊富に収録している点で、『フィンランドの図書館』に少し似ているかもしれない。建築としても大変特徴のある図書館も紹介しており、そういう点では類書的ではあるものの、しかし、視点はあくまで利用者からのものなのだ。眺めているだけでも楽しいものだったと思う。

2008年10月27日 (月)

元気な人でも、雨の日はだるい。

 真面目に漢方医の診察を受けています。彼は舌を診るのが好きで、あとの部分には大して関心がありません。あ、血圧はいつも測ります。何のためなのかよくわかりませんが。
 もう10月も終わるので、「早いねぇ!」とおっしゃいました。そして、「今年は特に早い気がする」と言うので、よくわからないでいると、「昨年よりも今年は雨の日が多かったでしょ?」とより謎めいたことを言いました。

 よく聞くと、雨が降るとだるくなって家に居ても寝てしまったりするので、無為に過ごしてしまい時間が早く経ってしまうような気がするということでした。

 いつも元気そうな感じで、というより、いつも元気だと思っていましたので、意外に思い、「先生でも、だるいこととかあるんですか?いつも元気なのかと思っていました」と言うと、思いきり笑われました。

 「雨の日はだるい」らしいことがわかりました、いつも元気そうな人にとっても。

 漢方医の謎、少し解明されました。

図書館の地位を見れば、国民の教育レベルもわかる?その1

学力世界一を支えるフィンランドの図書館

『学力世界一を支えるフィンランドの図書館』(西川馨編著、2008年5月刊)

 本書はタイトルから想像されるとおり、近年学力世界一で注目を集めるフィンランドを、図書館の存在という角度から眺めて見えてくるものについて書かれたものである。日本で図書館業務に携わる人たちを中心とした図書館見学旅行の報告書といったところである。

 「第1章 見てきた図書館」では、実際に訪ねた15館ほどの図書館を写真・イラスト・平面図などを含めて詳細に紹介し、「第2章 フィンランドの図書館」では、現状を日本と比較したり歴史的な経緯を概観しつつ、読解力世界一を支える図書館としてフィンランドの家庭における読書生活が図書館とどのようにかかわりをもっているかが描かれている。「第3章 旅の印象」では、その名の通り、この見学旅行を通じて感じたことが書かれている。付録としてある「図書館法と図書館令」「Library Development Program 2006~2010」は翻訳してあり、なかなか他国の図書館の法令に触れる機会のない者にはありがたい構成になっている。

 図書館は建物としての外観や設計も機能の1つに位置づけられるため、外観の美しさや内側の書架や閲覧机の配置に加え、設計図も平面図だけでなく断面図を紹介しているところもある。

 写真や図が多いため、視覚的にも楽しめるのだが、圧巻は機能面に対しての記述だろう。IT立国を国策にしているだけあって、図書館のなかのIT化も進んでいる。モバイルPCでの通信環境が日本とは比べ物にならないのだ。具体的には、図書館内であればどこでも無線LANに接続できるようになっている。音楽に重点を置いた図書館では、聴くだけでなく、利用者が作曲したりそれをyou tubeなどでネット配信するまでのところまでサポートしてくれるという。

 日本の状況に慣れているものにとっては、いろいろさまざまに羨ましいのだが、こういう配慮は日本になくてよかったのかもと思うこともある。それは、フィンランドの図書館ではトイレを使用するためにも登録カードを使って入室するシステムになっている点や、そこの照明は青い光を出すものにしている点などである。青の照明の下では、静脈が見えないそうだ。どういうことかというと、トイレの個室や設備を使って静脈に注射するタイプのドラッグ(覚せい剤など)を打つ人がいるということなのだ。ヨーロッパの別の国では、注射回し打ちによる感染症防止のために、無料の注射針を配布している国もあると聞くが、フィンランドではこういう対策をしなければならないほど、ドラッグ汚染がポピュラーだということなのだろうか。

 日本との比較で特筆すべきと思うことの1つは、読む能力があまりない人へのサービスが行き届いていることだ。これは、フィン語のリテラシーのない移民者に対するフィン語習得支援だけでなく、まずは急務であるフィンランドで生きるための生活力をつけさせるために母国語によるサービスを広く展開していることである。中国語、英語、アラビア語、ロシア語、ヒンディー語、パシュトゥーン語、クルド語、ペルシャ語、ソマリア語、ボスニア語、クロアチア語、セルビア語などでのコンピュータ教室が図書館で提供されているとは!日本では、東京や横浜などの大都市でも外国人対応の公的機関による相談サービスなどで、せいぜい6ヶ国語対応であることを考えると、そもそもの人口規模などを考えても、驚嘆すべきことではないだろうか。こういうところに、フィンランドという国が国家としてどのように移民に接しているかに強い本気度を感じ、日本の状況を反省してしまう。

 読む能力については、母国語が違う人という意味だけではなく、失読症の人への対応も含まれる。図書資料をコンピュータのソフトを使って、ゆっくりと読むことができるサービスが提供されているという。

 日本でも、読む能力のない、あるいは低い人へのサービスの重要性については、図書館業界の人にはいくらか認識されているものの、実態としては、大活字本や点字本、朗読CDがあるのがせいぜいではないだろうか。それも、レパートリーは悲しいほど少ない。勝間和代さんがよさを強調されて以来、日本でも「オーディオブック」のラインナップが少しずつ増え始めているが、これは、視覚をもつ人が聴覚も活用しようということだけでなく、同時に視覚をもたない(弱い)方にとっても有用な変化なのではないかと思う。

その2につづく)

2008年10月26日 (日)

「読書」する人、漸増の気配です。

 このようなニュースが配信されていました。1年で6ポイント増加がどれくらい意味のあることなのか、ちょっとわかりかねますが、増加傾向はよいことかと思います。理由や本の選び方などを見ると、勝間さん効果があるのではないかと思えます。カツマーもいくらか貢献しているのかもしれませんねぇ。

「この1か月内に読書」昨年上回る54%…読売調査(ここ)より

 読売新聞社が4~5日に行った全国世論調査(面接方式)によると、この1か月間に本を1冊以上読んだ人は54%だった。

 昨年の48%を6ポイント上回り、本に親しむ人の割合は高まった。

 本を読む理由(複数回答)は「知識や教養を深めるため」47%(昨年比8ポイント増)、「面白いから」32%(同1ポイント減)、「趣味を生かすため」27%(同3ポイント増)――などの順で多かった。知識や教養を身につけることを目的に本を読む人が増えたことは、最近の教養新書ブームを反映したものともいえそうだ。

 本の選び方(複数回答)は「書店の店頭で見て」49%が最も多く、「ベストセラーなどの話題をきっかけに」「新聞の書評を読んで」各25%などとなった。

 「子供のころに本を読む習慣を身につけることは大切だと思う」と答えた人は97%に達した。本を読むことの良い点(複数回答)では「知識が豊かになる」65%、「想像力が豊かになる」54%、「物事を深く考える力がつく」50%が目立った。

(2008年10月26日00時31分  読売新聞)

2008年10月25日 (土)

There is no unique event, no singular moment.

 とあるアメリカの連続ドラマを見ていて、ちょっと気に入ったセリフがありましたので、ここに記しておきます。

Because nothing in this universe happens just once.
Nothing. Infinity goes in both directions.
There is no unique event, no singular moment.
It means you will get another chance.

この宇宙で一度しか起こらないことなんてないの。
何も。宇宙は無限大に広がり続けているでしょ。
一度だけの現象・瞬間などないのよ。
また機会が巡ってくるっていうこと。

ピカソとアネット・メサジェ:聖と俗の使者たち展。その2

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その1からのつづき)

 ミッドタウンにあるサントリー美術館でピカソを満喫した後、今後は六本木ヒルズのほうにある森美術館に向かいました。出かけから降っていた雨はまだ降り続いており、ちょうど森美術館の建物に入るときなどには、もっとも強くなっていたのでした。

 森美術館は52階にあるのですが、そこから展望室にもつながっており、晴れていれば屋上に出ることもできるそうです。チケット売り場では、「この雨なので、展望室には行けるけども眺望は悪いと思いますし、屋上には出られませんが、それでもよろしいですか」と聞かれました。

 アネット・メサジェのことは、これまで全く知りませんでした。フランスの女性アーティストで不思議な作品を創り出しておられる方です。たまたま「おもしろい展示会のお知らせ」として情報を入手したので行ってみようかと思ったのでした。ゲージュツのことはよくわからないものの、これまでの少ない経験からは、「女性アーティスト&現代アート&絵だけでない」との条件を満たしているものは、結構おもしろく鑑賞できたような気がしていたのですが、今回もその条件がそれなりに私には適用できることがわかりました。

 作品は、この上の写真にあるように、毛糸、布、ぬいぐるみなどを使って作られているものが多く、写真や剥製や蜜ろうなども材料として使われていました。最初に、小動物(鳥やリスなど)の頭にぬいぐるみの顔をかぶせて覆面にしているものが数十も天井から吊るされている作品がありました。剥製は伏せた鏡の乗せられているので、下から見上げて鑑賞しようとすると、下から見上げた自分の顔を見ることができました。

 次の作品が私が一番気になったものでした。部屋のように区切られたスペースの壁や床にさまざまなものが配置されているのですが、それを見る側にも壁があり、いくつかの四角く切り取られた穴が開けられています。鑑賞者は、壁の穴から覗かなければなりません。いくつかある穴の高さが、私には低かったり高かったりするので、かがんだり背伸びしたりして一生懸命中の様子を伺ったのですが、日常で生活していてこんなに堂々と壁の向こうを覗くことなどあまりないので、それが楽しかったのでした。

 大がかりな作品もいくつもあり、ひとつは赤い布で覆われた部屋があり、奥の部屋から手前の部屋に空気を送ることによって布が膨らんだりしぼんだりするものは、子宮の中の血液の様子を表現しているのだそうでした。別のものは、大きなぬいぐるみにつけられた糸を電動で巻くことで部屋をぬいぐるみが移動するようなもので、いったい何がしたいのかはよくわかりませんでしたが。

 作者本人へのインタビュー映像なども観ることができ、ご本人が意図を教えてくれたりしました。

 気になった点は、使われているぬいぐるみがどれも一様に古くて汚そうなものだったことです。素材という点では、あまりぬいぐるみや毛糸や網などは私の好みではありませんでした。が、覗いてみる作品が2つあり、これが私はよかったです。

 その後、外には出られないけども展望室に行ってみようと思いました。行くとあんなに激しく降っていたと思っていたのに止んでおり、外も明るくなってそれなりに眺望も楽しめました。もちろん、すごく遠くまで見通せたわけではないのですが、予想外にくっきりとしていたのでした。

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2008年10月24日 (金)

ピカソとアネット・メサジェ:聖と俗の使者たち展。その1

 昨日の気象情報では昼頃から激しい雨になるとのことでしたが、実際にはお昼前から降りはじめました。11時過ぎに私が出かけようとするときにはかなりな強さで降っていました。ミッションは赤坂見附での待ち合わせ。初めてお会いする方だったので、姿もわからずちゃんと会えるかちょっと不安でしたが、大丈夫でした。ブツを渡してお昼をともにし、比較的早めに終わったので、昨日予定していたゲージュツに出かけました。

 六本木は昨年100回以上も駅を利用したのに、降りてうろついたことはほとんどなかったので(1回くらい?)、今日が本格的な六本木うろうろでした。

 とは言っても、ミッドタウンにあるサントリー美術館のピカソ展「巨匠ピカソ 魂のポートレート」展(公式サイトはここ)に行ったのと、ヒルズにある森美術館の「アネット・メサジェ:聖と俗の使者たち」(公式サイトはここ)に行っただけなのですけども。ゲージュツの梯子でなかなかおもしろかったです。

 もともとゲージュツのことはよくわからなくて、それは美術だけではないのですが、特にすでに評価が確定しているような高尚な(西洋)絵画などは、観てもどうしてよいのかわからないのでした。まぁ、どうもしなくてもよい、と言われればそうかもしれません。美術好きな方に「よくわからなくても、観るだけでいいものはいいし、だんだんわかるようになってくるのよ」と助言をいただいたこともあり、最近の私のゲージュツに対する姿勢は「わかろうとするからわからない。わからなくてもよいのだ。どうせわからない」というある種開き直りのような自然体になっておりました。

 したがって、ピカソさんのことも、失礼ながら、ちょっと変な絵を描いていた美的感覚の変わったおじさんというのが正直な印象で、特に関心もありませんでした。では、なぜ今日出かけたのかというと、それは、「ピカソなら、どうせわからないに違いない。でも、わからない人のほうが多そうだし、わからなければならないプレッシャーもなさそうだ」という非常に不純な動機なのでした。「もう1つの森美術館も六本木にあることだし、どうせだから行ってみよう、流し観で」とよく調べもせずに行ったのでした。

 そこで、サントリー美術館のほうに行ってみると、この展示は国立新美術館でも同時にピカソの別の作品を展示するというかなり大がかりなものだということを知りました。朝日新聞やテレビ朝日(開局50周年記念)なども力を入れて(ここ)おられる、ピカソにおける過去最大規模のものだそうです。すごい人なんですね、ピカソさん、すいませんでした、変なおじさんって思ってて。

 サントリーのほうで展示されている作品で私が気になったのは、いくつかあったのですが、写真がここにアップできるものを中心に少しコメント(?)しておきます。

 これは、「陰気なおじさん」。ピカソの色々時代のうちの「青の時代」を代表する作品なのだそうです。正式なタイトルは「自画像」だそうです。もうちょっとタイトルについても、力を入れてもよかったのではないかということが気になりました。

今秋、六本木で「ピカソ展」-国立新美とサントリー美で同時開催

 S2 これは、「牧神パンの笛」と名付けられている作品です。どの辺りが牧神なのかが私にはわかりかねるのですが、観ているとこの二人が会話しているのが聞こえてきました。

左の人:ねぇ、まず、服着ない?

右の人:無言(笛に夢中)

 

 

 これは、「子どもと鳩」という作品だそうです。

S5

 巨匠と呼ばれる方に僭越ですけども、せっかくの力作なのですから、やはり、作品の名前をつけるところまで、気を抜かずにもう少しエネルギーを割いてもよいのではないかと感じます。「料理は後片付けまで」などと言われますが、「ゲージュツも最後の名づけまで」が一つの仕事としての区切りではないでしょうか。

 この中の子どもが小さな声で「顔が変になりまちた」とこちらに向かって囁いたのですが、どうしてあげることもできませんでした。

 他に気になった作品は、サントリーのほうに展示されていたものの中では、「アクロバット」ですね。これは、そんなに有名な作品ではないようで、ピカソグッズにもポストカードにも使われていません。ウェブ上にアップできるような写真も公開されていないようですし、マイナーなものなのかもしれません。作品を観てもらわないと私が言わんとすることがおそらく通じないと思いますが、やはり、作品名にもう少し工夫がほしいところです。私なら、「こんな生活、もう無理」とつけたいです。「アクロバット」ありました!これです。

 他には、ピカソは猫が好きだったということがわかりました。猫のブロンズ像がありました。私も猫は好きなつもりでしたが、ブロンズ像にまではしようと思ったことなどありませんでした。それから、ピカソさんの作品に出てくるのは、牛です。ただ、牛のことは好きではなく、憎しみなどを抱いておられるように思えました。理由はよくわかりませんが。

 期待しないで適当に観ようと思っていたのですが、相当楽しかったです。

(正統派のピカソファンの方、ご気分を害されたのならすみません)

2008年10月23日 (木)

明日のミッション。

 お昼にとある場所で密会です。それが終わったら、ちょっとゲージュツでも観てこようかと思うのですが、しかし、明日は昼から激しい雷雨だとか、今気象情報で言っていました。

 それに、今夜どれだけ眠れるかにもよりますが。

女児の逸失利益は男児よりも安い。

 逸失利益というのは、交通事故などで子どもが亡くなったときに、もし亡くなることなく就職したら将来得られたであろう賃金などに対する補償のような意味合いで加害者側などから支払われる金銭のことです。この額の算定をめぐっては、男女で賃金格差が著しい現状に合わせて、過去には女児のほうがずっと低く決定されてきており、それへの批判から男女の平均を用いられるようになってきていたということでしたが、今回のニュースでは、また女性平均を使ったということだそうです。

 大人の男女の賃金格差が、子どもの命の値段も男女別に算出しているような構図につながっているように思えてしまうのは、短絡なのでしょうか。なんか、悲しいです。

ここより

「2歳女児逸失利益 女子の平均賃金適用 仙台地裁」@河北新報

 仙台市で昨年1月、トラックにはねられて死亡した女児=当時(2つ)=の両親が、業務上過失致死傷罪で有罪判決を受けた運転手の男性(37)と勤務先に約7270万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、仙台地裁は22日、女児の逸失利益を「男女の賃金格
差が解消される時期が予測できない」として女子の平均賃金を基に算定し、被告側に計5024万円の支払いを命じた。

 就労前の女子年少者の逸失利益をめぐっては、最高裁が1986年の判決で男女差を認めたが、近年は男女の全労働者平均賃金を基準とする高・地裁判決が相次いでいる。分かれる判断に、法曹界では判例基準の是正を求める声も高まっている。

 判決で、沼田寛裁判官は「被害者に収入がなかった場合の逸失利益は、得る可能性が高い収入を基に算出すべきだ」と指摘。その一方で「事故発生時は男女の賃金格差が存在し、将来、どの時点で格差が解消されるか予測が不可能なら、男女別の平均賃金を基礎とするのが相当だ」と述べた。

 原告側は、男女共同参画社会の進展や男女雇用機会均等法の施行などで男女の収入格差が解消・縮小している点を挙げ、「将来的に全労働者平均賃金相当の収入を得る可能性が高い」と主張していた。

 判決などによると、昨年1月、市道の横断歩道を青信号で渡っていた母親と女児が右折してきた男性のトラックにはねられ、女児が死亡、母親も軽いけがをした。男性は昨年5月、業務上過失致死傷罪で禁固2年6月、執行猶予5年の判決を受け、刑が確定している。

 仙台地裁では今年1月、15歳の高校生女子が死亡した交通事故の損害賠償訴訟の判決で、「男女に等しく与えられた就労可能性を反映するものとして、全労働者平均賃金を基に逸失利益を算定するのが合理的だ」との判断が示されている。

2008年10月23日木曜日

2008年10月22日 (水)

赤ちゃん・ふらっと。

Mark2

今日は、最近赤ちゃんの権利団体を設立なさった「日本赤ちゃんを大切にしようの会」の代表の方にインタビューしました。

えふ:今日はよろしくお願いします。「赤ちゃん」とお呼びしてもいいですか?

赤さん:初対面ですから、「赤さん」と呼んでいただけますか。

え:失礼しました。では、赤さん、今回の団体の設立趣旨を簡単にお話いただけますか。

赤:はい、何から話せばよいか。あたちは生まれてから先日1000日ほど過ぎたところなのでちゅが、世の中が生まれる赤ちゃんが少ないことを深刻な問題として捉えていることをちりまちた。そこで、微力ながら、あたちたち赤ちゃんの立場でできることを考え提言なども行っていこうということで、団体の設立に至ったというわけでしゅ。

え:たったそれだけの人生キャリアでよくこんなに豊富な語彙をお持ちですね。

赤:ありがとうでちゅ。生まれる前も、胎内である程度のことは聞きかじっていたので。それほどでもないでしゅけど。

え:ほおお、胎内でも学習されていたのですか。

赤:はい、意外と時間があるんですよ、やることもないでしゅし。暗くて視界もないですから、聴き耳をたてることくらいしか楽しみもありませんでした。生まれてからは、やたらといろいろやることがあるので、なかなか時間がとれません。

え:生まれてから後のことですが、普段はだいたいどういうことをされているのですか。

赤:もっとも多くを占めるのは、眠るために割かねばならない時間でしゅ。大人とは比較にならないほど、代謝が盛んで日々大きくなる方向に進んでいるため、疲れも相当なんですよ。

え:なるほど。眠るのも仕事ですね。

赤:はい、次に時間がかかるのは、食事でしょうか。一度にたくさん食べられないのと、口が小さいのですぐに食べこぼしてしまうんですよ。上手に食べさせるのも慣れるまではむずかしいので、母が口の周りを拭いてくれたり、テーブルを片づけたり、冷ましてくれるのを待ってゆっくりといただくとすぐに時間が経ってしまうのです。

え:大人のようには、ササッと済ませることができないのですね。

赤:そうなんです。それに、大人のように、忙しいからと適当に済ますわけにもいかないのです。だって、これからものすごく大きくならないといけないのですから。

え:そうですね。そうすると、睡眠と食事で一日の大半が過ぎてしまうという感じでしょうか。

赤:はい、あとは、母に連れられてどこかに出かけたりもします。ただ、これも、大人が連れ立って出かけるのとは違い、あたちだけでなく赤ちゃん世話セットとバギーなども持ち歩かなければならず、そんなに速くは移動できないので、やはり、時間がかかります。

え:ああ、確かにいろいろ荷物がありますもんね。お母さんも自分の持ち物も持たなければならないですしね。

赤:あたちが自分で歩いて荷物も持てるといいんですけどね。まだ、歩くのもおぼつかないので。

え:いやあ、赤さんはそんなこと考えなくてもいいですよ。お母さんに頼っておけばいいのではないですか。心配しなくても。

赤:そうできるといいんでちゅが、母は、あたちの母だけでなくよそのお母さんも、ちょっと出かけるだけで、あたちたちを連れていくと、とっても疲れてしまうみたいなんで、なんか、あたちの存在って負担なんじゃないかと。

え:そんなことを考えているんですか。

赤:ただ、最近は、赤ちゃん連れの母親がふらっと立ち寄れる公共施設に「赤ちゃん・ふらっと」(ここ)とつけているところが出てきました。

え:「赤ちゃん・ふらっと」ですか。それは、どういうことができる施設なのですか。

赤:趣旨は、赤ちゃん連れのお母さんたちが赤ちゃんを連れたまま気軽に立ち寄れる休憩場所ということで、そこでは赤ちゃんに授乳したりおむつを替えたりといったことができることになっているんですよ。

え:ほう。

赤:東京都だと、都立の公共施設にはステッカー表示があるところがありましゅよ。他の地域はちらないのですが。

え:なるほど、赤ちゃん連れお母さんになかなかフレンドリーな施策ですね。

赤:そうですね。ただ、ちょっと赤ちゃんの立場として言わせてもらえば、つまらないのでしゅ。

え:つまらない?それは、どういうことですか?

赤:あたちたちは、月齢によっても個人差が大きいのでちゅけども、小さい子は一日のほとんどを仰向けで暮らしていましゅ。

え:そうですねぇ…。???

赤:天井が白なんですよ。つまんないんでちゅ。

え:ああ、「赤ちゃんふらっと」の施設の天井が何も描かれていない白いものなので、常に仰向けで上を見ていなくてはならない赤ちゃんには退屈だということですか。

赤:そうなのでしゅ。母が家に閉じこもらず、大変でもあたちを連れて外出し、ママ友と仲良くふらっとに寄って楽しく話しているのは、あたちも賛成なんでしゅよ。だけど、歓談の間、ずっと上を見ているのはつまらなかったのでちた。もうあたちくらいの年齢になれば、座ることも十分にできまちゅので、「天井つまらない問題」はそんなに大きなことではなくなったのでちゅが。

え:そんなこと、考えたことありませんでしたよ。そうすると、小さくて、まだ仰向けにしかいられない赤ちゃんが、そういう施設で泣いているのをときどき見かけることがあるのですが、あれは、「つまんないよう」って意味だったんでしょうかね。

赤:はい、「お腹が空いた」とか「眠くて不愉快だ」というようなこともありますけども、「天井が白くてつまんない。あたちをかまえ」って意味だったりすることもあるのでちゅ。そこのところは、聞きわけるのはプロでもむずかしいかもちれませんが。

え:そうすると、「日本赤ちゃんを大切にしようの会」では、公共施設に対し、「天井に赤ちゃんが退屈をまぎらわすための絵を描いてほしい」と要望していくおつもりなのですね。

赤:はい、それも考えています。天井画も子どもだましのようなものではなく、芸術的観点からも評価できるようなレベルの高いものを望みます。赤ちゃんでもよいものはわかるのでちゅから。このことは、あたちたち赤ちゃんが身勝手だと思ってほしくないのですが。赤ちゃんが泣く頻度が下がれば、母たちは周囲に気兼ねする頻度が下がり、出かけることによって疲れる度合いも減り、子育ての苦労が少なくなると思うのでちゅよ。

え:そうすると、すでに子どもがいるおうちでも、もっと子どもがいてもいいかもと思えるようになるということでちゅか?

赤:そうでちゅ。えふしゃん、赤ちゃん言葉になっていまちゅよ。

え:ははは、うつってちまいまちた(笑)。天井に赤ちゃんが楽しめる絵を描くことは、少子化が進展するのを防ぐ効果も期待できるということなんですね。そして、芸術を理解する美的感覚も涵養できると。すばらしい。新しい視点です。感心しました。

赤:ありがとう。えへ。あたちも赤ちゃんのうちにできることをやっておきたいので、あまり時間がありまちぇんが、できることから要望していきまちゅので、今後ともよろちくね。

2008年10月21日 (火)

『Take My Eyes(英題)』、観てきました。

08

 夫の暴力に苦しみながら、女性はなぜ、そんな男と何度もやりなおそうとするのか。愛を訴えながら妻を殴る男とは、何者なのか。古都トレドを舞台にして、女優でもあるイシアル・ボリャン監督が家庭内暴力問題の内側に分け入った作品。(スペイン/2003年/109分)
(ストーリー)
 その夜、ピラールは身のまわりのものだけをカバンにつめ、一人息子のファンを連れて家を出た。結婚して9年、夫アントニオの暴力はとどまる気配もなかった。母のもとに身を寄せても、母は困惑を隠しきれない。アントニオにもすぐに捜し当てられてしまった。アントニオは言う、「ピラールは俺の太陽なんだ。彼女は俺に自分の目さえくれた」…。
 それほど愛し愛されているというのなら、彼はなぜピラールを殴るのだろう。女性はなぜ、自分を殴るような男と何年も一緒にいるのか。なぜ、「それでもいまだに夫を愛している」と思い、何度もやり直そうとするのか。そして周囲の人々は、なぜ沈黙を守るのか。古都トレドを舞台に、高名な女優でもあるイシアル・ボリャン監督が、ドメスティック・ヴァイオレンスに奥深く分け入って「愛と怖れについて描いた」と語る問題作。
(監督)イシアル・ボリャン
 1967年、スペイン・マドリッド生まれ。15歳のときにヴィクトル・エリセ監督の「エル・スール」で主演デビューしたベテラン女優で、長編の監督第1作「Hi, Are You Alone?」(95)は大ヒット、第2作の「Flower from Another World」(99)はカンヌ映画祭国際批評家週間の最優秀作品に選ばれるなど、監督業でも成功をおさめている。本作もスペインのアカデミー賞にあたるゴヤ賞の主要部門を独占、フランスのクレテーユ国際女性映画祭の審査員賞グランプリと観客賞である最優秀作品に選出された。
 監督は自身が女優でもある方でした。題名の意味は、ピラール(DV被害を受けている女性)が夫アントニオに自分のからだの部分を「目をあげる、足もあげる」などと囁くところから来ているようです。
 この手の社会問題を告発するようなタイプの映画を観るとき、いつも感じることではあるのですが、どうして直接的に暴力的な場面を使おうとするのでしょうか。この映画も何ヶ所か彼女が暴力をふるわれる場面が出てきます。つきとばされたりするのもそうですが、ひどいセリフを言われたりしているところなどを見ていると、本当にいやな気分になります。それを見ることを通して、被害のありようを疑似体験し被害者の気持ちを想像したりすることには、それなりに意味があるのかもしれませんが、なんとも大変なエネルギーを必要とすることです。
 暴力夫アントニオを演じる役者さんはスペインの方なのでしょうけども、もともとの造形的な面でも迫力のある容貌なのに、その人が恐ろしい形相で逃げた妻に迫って行ったり復縁を迫ったりするところが、恐ろしくてかないません。こういう深刻なテーマの映像でまで、恐ろしさを倍増するようなリアリティを追求しなくてもよいような気がするのですけども。効果を高めるために使われている音楽も、より一層暴力やストーリーの怖さを増しています。
 画像:Belugawhale MMC.jpg
 どうせストーリーが重い深刻なものなのですから、役者さんはシロイルカみたいに特に笑っていなくても笑っているような顔の方を選んだらどうかと思うのですが。そうすれば、ニコニコしている後ろに悲惨な暴力の存在を想像してみることもできるし、もともと怖い顔の役者さんだと観ているほうが緊張しっぱなしで、心臓その他の内臓にも負担がかかります。
 アントニオは、妻に対する思いが強いのですが、それが強い嫉妬につながり、さらにはありもしない妄想へと発展し、妻が別の男性と浮気をしているのではないかとか自分のことを嫌いになって立ち去ってしまうのではないかなど、よくない想像ばかりを掻き立てて盛りたてていきます。スペインにもDV男性のための自助グループがあるようで、そこでの活動の様子も描写されているのですが、カウンセリングに通っているにもかかわらず、なかなか論理的にはおかしな思い込みから逃れることができません。
 傍から見ていると、アントニオは、妻の自分への愛情を疑いますが、それは自分自身への自信のなさから来ているものです。だから、どんなに外から違うと言ったとしても、他者にはどうすることもできない部分、つまり、自分の弱さとの闘いのように、私には思えました。
 そして、これもおそらく客観的には冷静に考えることができるはずですが、アントニオは妻との関係を悪くする方向へ行くように仕向けていくようなところがあります。おそらく、意図的にやっているわけではないのだと思われます。してはいけない数々のことをあえてやっているように思えるほど、どんどん悪い方向へと行ってしまうような行動に出るのです。
 この映画を見ていて、予言の自己成就という言葉が浮かびました。最初に悲観的な状況を想定し、それにならないようにならないようにと思いながら、結局は最初に思い描いた悲惨な結末に自ら突き進んでしまうような、観ていると憐れさを感じずにはいられないのでした。男性ジェンダーの病の深さを思い知らされるような気持ちになりました。
 どのような事情や個人の内面の問題があろうとも、暴力行為そのものを正当化することはできないと思います。そして、どんなに同情すべき点があったとしても、ひどい暴力をふるったことに対する責任は、その人本人にあると思います。それを前提にした上で、どうすれば、自分にとって大切な相手との関係を自ら破壊してしまうような人間関係の持ち方しかできない人に、もっとマシな人間関係スキルの身につけ方について教えるような教育プログラムなり、有効な方法がないものなのかと考えさせられました。
 社会政策的には、被害に遭う女性への支援やまともな待遇の就労支援をまずはすべきと思うのですが、加害行為をくいとめなければ、被害はいつまでもなくならないように思うのです。
 それから、男性に対する社会の期待を変えることも必要かと思います。大きくて強くて泣かないことをよいことだとはあまり思わないのですが、世間ではこういう特徴はまだ高く評価されるようです。大きさは自分であまり厳密には決められないのですけども、弱くてすぐに泣くような男性がもっと評価されるといいのに、と思うのです。そういう無害タイプの繁殖をサポートすることは、無害タイプを世の中に増やしていくことになり、暴力のない世界の実現のために貢献するかもしれません。
 アントニオも、傷ついて悲しい気持ちになったときに、怒り暴力をふるうような表現をせずに、わんわん泣くような表現タイプの男性であったら、身近な人にとってはなぐさめなければならないのでやややっかいではありますけども、暴力のために大切な人を失うようなことはなかったかもしれないのに。
 サイコホラー作品としてもお薦めできるような、恐ろしい映画でした。

2008年10月20日 (月)

第21回東京国際女性映画祭、開催中です。

 ここが公式サイトですが、19日(日)~22日(水)までやっているようです。これは、東京国際映画祭の一部で、女性監督作品を特集したという位置づけになっていると思います。わざわざ「女性」とすることに、当初も最近も「今さら『女性』と分けることにどういう意味があるのか」との疑問や批判があるようです。ジャンヌ・モローさんがおっしゃったという言葉は今でも十分通用するように思う。

 ゼネラルプロデューサーの高野悦子氏は、「昨年、大きな節目を迎えたとき、もはや“女”にこだわらなくてもいい時代になったのではないか? というかっとうも正直ございました。しかし今なお、1年間に公開される日本映画の中で女性監督が占める割合は7%という事実に、 “継続は力なり”という言葉の責任を感じた次第です。1割に満たない現状では、女性が物事を変えていくことはできません。あらためて、第1回のときにゲストで参加してくださったジャンヌ・モローさんの『女性が人間の文化をつくるのだ』という言葉を思い出しました。今年が、30回目に向かう新たな第一歩にしたいと思います」とあいさつした。ここより

 女性が映画を作る側に回ろうとするとき、どれだけの困難があったのかについては、現在はそうでない映画もお撮りになっているが、ピンク映画監督としてさまざまな経験をしてこられた浜野佐知さんの本に詳しい。

女が映画を作るとき (平凡社新書)

女が映画を作るとき』(浜野佐知著、2005年1月刊)

 若い助監督時代、寝こみを襲われないように(というか、襲われたとき刺せるように!)、比喩ではなく包丁を抱えて眠っていたというエピソードなどは、男性の世界に女性が入っていこうとするときに起こるさまざまな障壁の中でも最も過酷な状況を思い起こさせるものだ。ピンク映画を撮影するための女優さんを選んでいるときに、女性に罵られたりもするが、世界各国の女性たちからの支援を受けて、シスターフッドのありがたみを実感したりする話も興味深い。

 刊行されてすぐに読んだので、ちょっと記憶があやふやなところもあるが、女性映画祭のことと本書とは私の中では近いところにある。

 今年の女性映画祭、実は明日1本観る予定である。重い主題だが、観るのは楽しみ。一緒になって沈まなければ、ここに感想を書きたいのだけど。

2008年10月18日 (土)

ただ休むだけというメンテナンス。

 今日はお休みモードでした。午後からちょっと聞きたい話があったのですが、行けませんでした。

 が、用事で人と会う約束をしているので、これから出かけてきます。反対方向なので、ラッシュとは関係ないと思うけど、と思ったら土曜なので、いずれにしても、普段とは違いますかね。

2008年10月17日 (金)

貧困撲滅のための国際デー(10月17日)。

 今日は貧困撲滅のための国際デーだったようです。

プレスリリース

貧困撲滅のための国際デー(10月17日)、事務総長メッセージ
プレスリリース08-61-J 2008年10月17日

今年の「貧困撲滅のための国際デー」は、世界人権宣言採択60周年を記念し、「貧困の中で暮らす人々の人権と尊厳」をテーマに掲げています。宣言は「すべての人は、自己及び家族の健康及び福祉に十分な生活水準を保持する権利を有する」としているからです。

宣言採択から60年を経た今も、数億人の人々が依然として食料、住宅、教育、人間らしい労働条件など、基本的人権を享受できないでいます。貧困の中で暮らすことを強いられた人々はしばしば、社会的な疎外や差別、無力化にさいなまれています。貧困は貧しい人々から人間としての尊厳を奪い去っているのです。

私たちは貧困撲滅を目指す中で、すべての人々の人権と尊厳を尊重するよう配慮しなければなりません。私たちの取り組みは基本的、物質的なニーズを超え、差別や不平等に取り組むものとせねばなりません。それはすなわち、貧困から抜け出すために、貧しい人々がすべて、土地や資本、知識や技術など、必要とする資源を利用できるようにすることに他なりません。それはまた、貧しい人々が自分たちの生活に直接影響する政策決定その他の活動に実質的に参加できるよう、その地位を向上させることでもあります。

経済の見通しが不透明な中で、この課題はより困難なだけでなく、より重要にもなっています。食料・燃料価格の高騰や世界金融危機は、世界各地で貧困と飢餓の削減に向けた前進を台無しにしかねないからです。現在、1億人の人々が貧困に陥る危機にさらされていると見られます。

各国政府は今年9月のハイレベル会合で、ミレニアム開発目標(MDGs)達成に向けた決意を再確認しました。食糧安全保障を強化し、病気を根絶し、水や衛生施設へのアクセスを確保し、金融危機を抑え込むために、多くの参加者が新たな資金拠出を誓約しました。こうした約束は単なる慈善ではなく、すべての人々の人権を追求する上での義務ともいえます。MDGs達成の約束を果たせなければ、私たちはさらに深刻な窮状と世界的不安の温床を生み出してしまうことになるのです。

人権をきちんと尊重しない限り、貧困は撲滅できないでしょう。今年の「貧困撲滅のための国際デー」にあたり、あらゆる人々に固有の尊厳と平等な権利を保証し、貧困と不正のない世界の実現に努めていこうではありませんか。

紙魚を知っていますか。

 今日は最近気になっている虫について書きます。まず、紙魚です。これは子どもの頃から知っている虫ですが、最近では先月から関心が高まっているところです、私のなかでは。紙魚はシミと読みます。本の中に住んでいます。姿はちょっと魚っぽいところがあるので、紙魚と書くのだと思います。白っぽいきれいな銀色で不思議な姿、動きは海などにいるフナムシに似ているような気がします。ググったりすると、紙魚のデジカメ写真を公開してくださっている紙魚愛好家の方もいらっしゃいますが、あまり美しく撮れていませんので、紙魚を見たことがない人は誤解なさる可能性があります。

 先月、紙魚のことを考えていたら、ちょうど田舎に行ったときに、紙魚が部屋にいたので、写真を撮影しました。紙魚はだいたい1センチくらいの大きさなので、私の持っているデジカメでは大きく撮ろうとしてもあまり大きくすることができず、無理やり近寄って撮影したらピントの合わないしょうがない仕上がりになってしまいました。他の人もあまりきれいな写真が撮影できないようですので、そもそも紙魚は写真うつりが悪い虫なのかもしれません。

Konohag

 この虫はコノハギスと言います。すごくきれいな葉っぱみたいな虫です。自分でも葉っぱになったつもりで居るところがこの写真です。天敵の目を欺くために葉っぱに似せて自分を作ったのでしょう。でも、もし、葉っぱを好物とする誰かがやってきたら、どうするんでしょうか。「本当は虫だよ~」と言って諦めてもらえればいいですが、相手が人間でそれも虫が好きだったりした場合は、捕えられる可能性が高いです。この写真も葉っぱになりきったつもりでいたところに、誰かに撮影されたものなのです。

 コノハギスに、大型がいるのをご存知でしょうか。これは半月ほど前に知りました。それで衝撃を受けたのですが、名前をオオコノハギスと言います。そのままなのですが、写真を見るとたまげますよ。

 ここに動画がありますが、これではどのくらい大きいかわかりにくいと思います。実物は多摩動物公園にいるようです。12㎝くらいはあるようです。この下の写真は、人間の手に乗せているものですから、大きさがよくわかるかと思います。こんなに大きな虫がいるとは驚きです。マレー半島辺りにいるそうですが。手に乗せるとどのくらいの重さなのでしょうか。重さについては記載されているものを見つけることができませんでした。(2枚目の写真はオオコノハギスの写真と一体のもので、切り離すことができないので一緒に載せました。ハキリアリだそうです)

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 大きな虫と言えば、こっちのほうが重量感があります。名前もジャイアント・ウエタというそうです。ここにその虫を愛好されている方のブログがあります。写真はそこからお借りしました(勝手にすみません)。

2008年10月16日 (木)

情報交換をして、エンパワメントされました。

 今日はいくつもの会議をする日で、終業後は別の集まりで情報交換をしました。焼き鳥などを食べながら。なかなかおいしい鶏の店でした。

 その後、ちょっとだけお茶をしてということで、入ったお店で私はカフェ・オレを注文したのですが、すごくかわいいゴマちゃん(あざらしの子ども)の絵が描かれたカフェ・オレ・ボールが。

 一般に、カフェラテアートあるいはラテアートと言われているものです。

 あまりにきれいに描かれてあるので飲むのが惜しいのでした。写真に撮っておけばいいかと思い撮りました。

 飲んでもずっと絵が残っていました。上が飲む前、下が飲んだ後の写真です。

 飲み方がうまいね、と絶賛されました(笑)。

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2008年10月15日 (水)

子どもの最貧困。ブログ・アクション2008に賛同した行動の1つに位置づけています。

子どもの最貧国・日本 (光文社新書 367)

『子どもの最貧国・日本 学力・心身・社会におよぶ諸影響』(山野良一、2008年9月20日)

児童虐待のポリティクス―「こころ」の問題から「社会」の問題へ

『児童虐待のポリティクス―「こころ」の問題から「社会」の問題へ』(上野加代子編著、2006年2月刊)

 『児童虐待のー』のなかに、山野良一さんの文章を見つけたときから、注目していた。児童福祉司をなさっている立場から、子どもの虐待がどのように見えるのか、大変興味深いものだった。この時点で、『子どものー』につながる問題意識はすでにお持ちだったと拝察する。

 『児童虐待のー』を読んで名前を記憶していたため、新書である本書(『子どものー』、以下、本書とはこれを指す)を見つけたときには、迷いなく購入してしまった。山野さんはアメリカでソーシャルワークについても学んでおられ、かつ、アメリカの子ども虐待事情にも通じておられる。よって、日米を比較することも可能なようだ。

 現在、日本が世界的に見ても、子どもの最貧困を指摘しなければならない国になっているとは衝撃だった。

 ユニセフレポートでは、「子ども貧困リーグ」という図を掲げてOECD26カ国の子どもの貧困率を国際比較している。本書が紹介しているのは99-01年時のデータが多いのだが、この時点でも日本はかなり高い国に位置している。26カ国のうち10位だ。著者は、その後非正規雇用が増えていることを勘案すると、現在はもっと順位が上がっている(貧困率が高くなっている)のではないかと懸念している。

 従来は、子どもの学力と親の持つ諸条件とのかかわりは、所得よりは親の学歴などが大きく関与しているとされてきたという。しかし、本書が紹介する各種調査からは、世帯の所得が最も大きく影響するのではないかと疑わざるを得ない結果が出ているという。以下に、その箇所を抜粋しておく。

 この研究は、少なくとも、小学校入学前後の幼少の子どもたちにとって、親の学歴よりも、家族の所得の方がより重要な意味を持つことを示すものです。
 みなさんは、このことをどう思われるでしょうか。
 私自身のことを言うと、こうした研究を概観する前は、所得そのものがそれほどに強い影響力を持っているとは思っていませんでした。親の学歴や職業で、所得の影響力はほとんど説明されてしまうのではないかと考えていたのです。
 子どもの発達を研究するアメリカの学者たちも、こうした研究が出てくるまでは、親の学歴や職業の方が人的資本として影響が大きいのではないかと考えていたようです。実際、カウアイ島の研究では、所得ではなく父親の職業を社会経済的な指標として使っていました。しかし、最近では所得そのものがかなり影響力を持っていることがコンセンサスを得られているようです。
 また、先の章でも触れたように、所得そのものをきちんと把握して研究することは、こうした研究を実際の政策などに生かす場合に意味があることなのです。親の学歴ではなく現在の所得の方が大きな意味があるとすれば、どうやって親の所得を増やしたらよいかが問われることになるからです。(141-142頁)

 貧困が学力の低下を招き、それが子どもの所得の低さにつながり、次世代への貧困へと続くとしたら…?

 もっとも先にすべきことは、まず、貧困に関する公式統計を再開することではないかと思う。大人に関しても、子どもに関しても、貧困について国が実態を把握するための調査がなされていないということをもっと問題にすべきだろう。

 日本では、子どもの貧困をめぐる問題は、長い間まったく語られなくなっています。厚生労働省も、65年以降、貧困に関わる公的な測定そのもの(子どもの貧困に関わるものを含めて)をやめており、現代に至っても子どもたちの貧困問題を真剣に受け止めようとはしていません。

 これは、厚生労働省の責任だけではないでしょう。私たち自身の「目」や「声」の問題でもあると思います。繰り返しになりますが、この本はそうした子どもたちの貧困問題に対する「目」や「声」を研ぎ澄ますために書かれたものです。そうした「目」や「声」を研ぎ澄ますために、貧困が子どもたちや家族にどのような影響を与えているか考えてみたいと思います。(38-39頁)

 10月15日はブログ・アクション・デイだという。今年のテーマは「貧困」。若者と女性の非正規雇用・低賃金、ワーキング・プアも重大な問題だが、同時に、日本の子どもが諸外国との比較においても、「最貧困」に位置づけられるという指摘は衝撃的であるとともに早急に手を打たなければならないのではないだろうか。子どもが子どものうちに、すぐにでも、貧困から脱するための対策がもとめられている。

【補完情報】

 読売新聞2008年10月7日付記事(ここ)(ここ)に、子どもの貧困を取り上げ、「3つの提案」として、政府は実態の解明を早急に、賃金アップなどで所得保障を、福祉と教育の連携で支援を強化としている。

2008年10月14日 (火)

Blog Action Day in お台場

 ここにあるように、10月15日のブログアクション、今年のテーマは「貧困」だそうです。この日に一斉に貧困をテーマにブログに何か書こうという趣旨らしいのですが、ちょうど、私も子どもの貧困をテーマにした本について書こうと思っているところでした。

 が、現段階で全部書けていないので、間に合うかどうかはあやしい模様です。

 でも、ブログアクションのことは書いておいてもよいと思うので、ここに記録しておきます。

勝手に高地トレーニング。

 今日は午前中に仕事に行き、午後は血液検査の結果を聞くために、なじみの不思議な漢方医を訪ねました。いつも元気な人で、何を聞いても「大丈夫!」というので、多少不安です。今日の結果は、貧血が改善していなかったということでした。へモクロビン量が基準値に満たないだけなら、まだ甘いのです。血液中の鉄イオンが基準値を大幅に下回っており、結構深刻な状態です(死んだりはしないのですけど)。医者は、「これはすごくだるいはずだ」と高らかに宣言してくれましたが、大分この状態に慣れてしまっているので、特別だるい感じはしません。そう言うと、「普通の人よりも、3分の1くらいは少ないから、これが増えると元気になるよ」と教えてくれました。たしかに、酸素を運ぶ機能が低下しているので、心臓に負担がかかっていることには変わりがありません。平地に居ながら、一人だけ高地トレーニングをしているようなものです。

 昼前から雨が降りはじめたので、「雨が降るとだるいんですが、それは何か関係ありますか」と聞くと、「元気な人でも、雨が降ると冷えるから眠くなるし、余計に酸素を必要とする。酸素が足りない人はより一層だるいはずである」と教えてくれました。

 思い返せばいろんなことがだるいと言えばだるいです。でも、単に怠惰なせいかと反省していたのでした。その要素を全否定できないものの、普通の人より使える酸素が少ないことも理由の一つかもしれません。いいことを挙げれば、普通の人よりも酸化しにくい。細胞を傷つける活性酸素の発生量も低いはずです。でも、だるくない方がやっぱりいいかも。

 雨が降るとだるくなるのは、湿気が多くなるのでからだが冷えるから。これは、納得です。今日の発見でした。

 鉄分はもともと吸収しづらい栄養素ですが、ビタミンCとともに摂取することで吸収を助けるようです。鉄分を含んだものにはレモンなどをかけて食べるといいということです。私は鉄剤を飲みますけど。

2008年10月13日 (月)

今日がサイン会でした。

 ここに、堀北真希さんのサイン会があったようだと書きましたが、間違っていました。この日は、サイン会の整理券を配っていただけのようでした。それで、今日が本番というか実際にご本人が来てサインをしてくれる日だった模様です。

 私は仕事に来ていたので、通りがかっただけですが、整理券配布の日よりもずっと人が集まっていて驚きました。

 今日は祝日だったのでした。体育の日らしいです。日中はいろいろさまざまで疲れました。

 今夜は明日への伝言の夢は見ないで済むように、きちんと準備をしてから寝ます。

2008年10月12日 (日)

夢のない夢。

 普段ほとんど夢を見ないのですが(見ているけど忘れているというのが正しいのかもしれませんけども)、珍しく夢を見ました。今度の仕事ではビデオを使おうと思っているのですが、それを持参するのを忘れて困ってしまう、という内容でした。
 昨年も、前夜にビデオをバッグに入れて出かけようとしたものの、パッケージを開けると中身が入っていなかったという夢を見て、目覚めてすぐにパケを開けて中身が入っていることを確認したのでした。
 全く、夢のない夢です。なんか事務連絡のようです。お陰で、実際に忘れて困るということは、今までのところ免れてはいるのですが、それにしても、もう少し夢のある夢を見たいものです、眠っているときくらい。

これまでの読書論をまとめて、さらに進化させる。

読書進化論~人はウェブで変わるのか。本はウェブに負けたのか~ (小学館101新書) (小学館101新書 1)

読書進化論~人はウェブで変わるのか。本はウェブに負けたのか~ 』(勝間和代著、2008年10月1日刊)

 勝間さんを発見して以来、雑誌などでさまざまな書籍を薦めておられたり、読書について持論を述べておられるもののうち、おそらく、多くに目を通してきたと思う。本について語る人や本の紹介欄を見るのは楽しいが、勝間さんのはその中でも相当おもしろい。理由は簡単で、膨大な数に目を通しつつも紹介できるのは相対的に非常に少ない数でしかないため、大変厳選されたラインナップになっていることと、それらがなぜよいのかという推薦の理由を明確に言いきっておられる点かと思う。

 本書は、勝間さんのこれまでの読書のすすめをまとめて1冊にしたものである。それだけでなく、書店さんや過去の勝間本を読んで影響を受けた読者のコメントなども豊富に紹介してある。したがって、現在までにあまり読書をしてきていない層に向かって読書生活の勧めをするだけでなく、読書自体のおもしろさを知っている人たちに向けても興味のもてる内容になっている。

 タイトルの読書進化論は、読書によって自分が進化すること、ウェブ時代における読書行為の進化形のすすめを意味すると思うが、読む側だけでなく、売る側、書く側からの視点も満載で、私は勝間さんのこれまでにすでに発表されている読書論の進化を見ることができるようにも思った。

 以下、私にとって印象に残ったところを記しておく。

・「カツマー」という言葉があること

・書店さんが追加発注をするときの、経験的な感覚などの話。

・出版社さんが初版や増刷する際の、部数決定をどのように行っているかの話。

・「勝間本」に共通して見られることだが、特に明確に打ち出して行われている、ウェブとの連動提案。本書自体がその実験の一部だという点。 

2008年10月10日 (金)

カツマーの集団かと思いました。

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  国連人口基金(UNFPA)の発表する『世界人口白書2008』のこと(ここ)が気になり、直接電話して聞いてみました。当初の予定である10月9日というのは延期になり、11月12日(グリニッジ標準時正午)日本時間21時に変更になったということでした。手帳にまで書き留めていたのに記憶違いだったら自分に対する信頼が崩壊しそうでしたので(大げさ)、確認してよかったです。

 たしか本日は夕刻より勝間さんの『日本を変えよう』出版記念講演会が青山ブックセンター青山店で行われることになっていたかと思います。昼前に通りがかったのですが、すごい行列ができていました。カツマーの集団かと一瞬思ったものの、あまりに早く集まり過ぎですし、カツマーは平日昼間はお仕事に勤しんでおられるようにも思うので、不思議な気がして、でも写真を撮影しました。

 あとで判明したところによれば、午後からテレビドラマなどに出演されている堀北真希さんの写真集の出版記念サイン会が予定されていたようで、それに並んでいる行列だった模様です。

 先に仕事の予定が入っていたため、勝間さんの講演会には行けなかったのですが、どうだったのでしょうか。と思ったら来週の金曜日17日でした…(講演会情報)。来週もその時間仕事なのですが。

 「カツマー」とは、勝間本の愛読者とかいう意味だそうです。私は『読書進化論』で初めて知りました。おもしろい名づけだと思います。なんとなく気に入りました。

 カツマーも、これから人口に占める割合が増えていくと、○○カツマーのようなサブカテゴリーが出てくるでしょうか。今後の動向に注目したいです。

『世界人口白書 2008年版』が発表された、はずなのですが。

 10月9日グリニッジ標準時正午(日本時間21時)に、世界同時に発表すると聞いていたのですが、昨夜の日本でのテレビニュースやネットニュースでは全く報道されていなかったように思います。

 国連人口基金(UNFPA)が毎年テーマを決めて発表する『世界人口白書 2008年版』のことです。今年のテーマは、「文化・ジェンダー・人権」だということは、6月20日に国連ライブラリの講座(ここ)に行ったときに教えてもらいました。

 UNFPAのサイト(ここ)(ここ)に行っても見当たらないような気がしますが。

 その代わりというか、2月6日がFGMに関する国際デーになっていることは初めて知りました。

2008年女性性器切除(FGM/FGC)に反対する国際デーを迎えて(2008年 2月 6日)

 FGMのMがmutilationを意味するのに対し、FGCのCはcuttingを意味します。2つは両方とも切除という意味をもつものの、英語の語感ではmutilationのほうがずっとひどい感じなのでしょうか、「FGMと言うのは、現地の女性に失礼だ」とかいう意見をもつ人が、FGCと言い換えようと言っているようです。

 第6回総会で特に論議されたのは言葉をめぐる問題であった。これまでFemale Genital Mutilation(FGM)という言葉が表象する意味を弱め、次のようなものに置き換えようとする動きが続いてきた:Female Circumcision(女子割礼)、Female Genital Alteration(女性性器変質)、Female Genital Excision(女性性器削除)、Female Genital Surgery(女性性器手術)、そして最近になってからはFemale Genital Cutting(FGC;女性性器の切り込み、カット)。「FGM廃絶を支援する女たちの会」サイトより(ここ

 ある現象をどういう名前で呼ぶかは、多分に政治的な要素を含みますが、FGCと呼び変えようという提案には、非常に強い批判があります。FGMは当事者女性たちがこのように呼ぼうと決定したものであって、失礼な名称ではない。FGCは、その苛酷さを軽減するものである、と。

   名称をめぐる政治は、他の問題においても広く見られることだと思います。

【追記 2008.11.11】

 国連に確認したところ、予定が変更になり、11月12日グリニッジ標準時正午(日本時間12日21時)に世界同時発表になったということでした。

2008年10月 9日 (木)

尻尾を敷いて座っているようです。

 知らない猫ですが、和みますねぇ。

耳折れ兄弟 得意技

2008年10月 6日 (月)

『とびこえよ、その囲いを』の実践例として『ダイバーシティ』を読むことは可能か。

とびこえよ、その囲いを―自由の実践としてのフェミニズム教育

ダイバーシティ

被抑圧者の教育学 (A.A.LA教育・文化叢書 4)

 ここに書いた記事に対する山口一男さんのコメント(ここ)の対話型授業に関する部分を読んで、真っ先に思い浮かべたのは、ベル・フックスの書いた『とびこえよ、その囲いよ』のなかに書かれていたことだった。それは、教育学者のパウロ・フレイレ(『被抑圧者の教育学』)を引用し、フックスが理想とする教育方法について述べているくだりである。フックスによるフレイレの教育論の整理では、教育には大きく2つのタイプがあるという。

 ひとつは伝達中心の「預金型(銀行型)教育」であり、もうひとつは、被教育者の主体性を重んずる「対話的教育」だ。フックスは従来の教育というものは前者に偏っておりそれは知識の体系が「抑圧者」によって形作られたもののうえに、それを教え込むことでより「被抑圧者」を抑圧する作用をもつものとして批判的に説明している。いっぽう、後者については、そういった教育こそ理想であると主張している。

 『とびこえよ-』の翻訳出版記念集会に行ったときに、参加者から出されたある疑問が印象に残っている。それは、以下のようなことだ。

 前者は現状批判であるので、どういうことを指しているかはよくわかるのだが、では、あるべき姿として語られる後者は具体的にはどういうものなのだろうか。フックスの主張に共感し、他者(学生)を「抑圧」しない教育を行いたいと考える場合には、どうすればよいのか。

 教員も多く集まっておられた(翻訳者の方々も教える立場におられる人たち)その集会で聞いた疑問から、教員自身がそのようなものを経験していない場合に、見たことも聞いたこともない方法を理念のみから導き出すのはかなり困難なことなのではないかと思った。

 『ダイバーシティ』の教育劇を読んだときには、他にもいろいろ考えさせられることがあったのだが(ここ)、先述したようなことも考えたことのひとつである。ここまで書いたことと、教育劇が(私のなかで)どのように関係しているのかというと、フックスがフレイレをひいて主張する「抑圧」しない教育法である対話型授業のひとつの具体例として、ヤマグチ教授と学生さんとの授業風景が捉えられるのではないかと思ったのだ。

 随分前に書いていたのに、アップするのが遅くなりました。知識の伝達も、それはそれで重要なことだとは思うのですが、対話型教育により得られるものは、また違う水準のことかもしれません。

 『ダイバーシティ』に収録されている教育劇の部分は、もともとはREITIで公開されていたもののようでした。一応、ここにもあげておきます。

山口一男の日本社会論 ←ここに「【オンライン社会学講座】イソップ物語で浮かび上がる現代日本とアメリカ」があります。PDF版で一気に読みたい場合は、ここ

餃子像が割れたそうです。

 以前、宇都宮市の餃子像についてちょっと触れましたが(ここ)、その餃子像が2つに割れてしまったそうです。真っ二つでした。いや、そんなに思い入れがあるわけでもないのですけど。

写真

 6日午前9時ごろ、宇都宮市のJR宇都宮駅東口広場に設置されている石像「餃子像」(高さ約160センチ、重さ約1.7トン)が移転作業中に転倒し、3つに割れた。
 宇都宮観光コンベンション協会によると、餃子像はギョーザの皮に包まれたビーナスをモチーフにしたもので、同市で産出される大谷石製。テレビ番組の企画がきっかけで、1994年2月に設置された。市民や観光客に駅前広場のシンボルとして親しまれてきた。
 駅東口の整備に合わせて同日、撤去するため宙づりにした際に、ワイヤが外れバランスを崩し落下。台座上の脚の部分が折れ、転倒した像が割れた。今月中に西口に移す予定だった。
 

2008年10月 5日 (日)

サキヨミ(2008.10.5)を見ました。

 とはいっても、別のことをしつつの視聴でしたので、記憶違いなどあるかもしれません。印象に残った部分だけを書いておきます。だから、観た人じゃないと文脈がわからないと思いますけど。

 勝間さんの今日のコメントで一番よかったのは、公共工事に資金を投入するよりも、公教育を充実させることが重要だと強調されていたことです。子どもにも教育が必要だし、大人にも自分に対する教育投資が必要だと力強くおっしゃっていました。これが目先の問題ではなく、長期的に生き残っていくための術だというようなことを話されていたと思います。

 それを聞いた別の人が、選挙前に(政治家が)そのような長期的な視点をもてるのかどうかが問題だとおっしゃっていましたが、有権者も投票の際にはその政治家が何を重視しているのかをよく調べて行うようにしないといけないのでしょう。あとは、公教育に対する認識を問うような公開アンケートをすることも影響を与える手段になるのかもしれません。

 毎度見ているわけでもないですが、どんどんテレビ出演に対して進化しておられるように思います。「楽しいニュース」というアイデアはよいと思いました。

『かもめ食堂』(書籍)を読むと、いろいろ謎が解けます。

かもめ食堂

『かもめ食堂』(群ようこ著、2006年1月刊)

 映画『かもめ食堂』についてはここここでも書いたが、設定上のさまざまな謎があった。とくに、かもめ食堂のオーナー女性サチエさんについては、フィンランドで食堂を開こうと思った理由や資金的な問題は映画では謎のままだった。原作に忠実に制作されたのではないかと思っていたため、原作でもそこは謎のままかと思っていたものの、実際に読んでみなくてはわからないと思いなおし、読んでみた。

 まず、映画とはずいぶん違い、上記の点についてもフィンランドに来る前の状況についても詳しく描写してあるのに驚いた。そして、設定についても、資金調達面に関して、ちょっと笑えた。

 以下、サチエさんにインタビューしました。

えふ:サチエさんはどうしてフィンランドを選んだんですか?

サチエ:父が日本で古武道を教えているのですが、フィンランド人青年が父の元にいたことがあり、私も子どもの頃にヘルシンキに行ったことがあるんですよ、1週間の旅行でしたけど。ヘルシンキにはそのときの知り合いが住んでいたので、店を開くときにも情報収集と保証人を頼むことができました。

え:フィンランドで日本食にしたのはなぜですか?

サ:日本ではだんだんきちんとした日本食を出す飲食店が減ってしまい、日本人の味覚もきちんと出汁をとって丁寧に味付けした薄味でもおいしい食べ物の味を理解する人も減ってしまっていました。おいしくない素材を濃い味付けにして出す店が多くなり、こんなところで店を開いても、私の作る料理を理解してもらえないと思い、日本から出て外国に行こうと思ったんです。

え:立ち入ったことを伺いますけど、資金はどうしたんですか?

サ:いえいえ。大卒後働いて質素に暮らして貯金はしていたんですが、渡航と開店資金には到底足りず、子どもの頃から恵まれていた「くじ運」を信じて宝くじを購入しました。数回の失敗にも諦めなかったため、うそみたいですけど、1億円が当たったんですよ。

え:! それはすごいですね。そのくじ運は私も欲しいのですが、どうすればそのような力が持てるんですかね?

サ:そうですねぇ、これは神から授かった力ですからね。くじに当たっても免疫がないと死んでしまうかもしれません。

え:……。ご自宅で夜に膝を使って前後に歩く動きがありますけど、あれはなんですか?

サ:ああ、あれは合気道で「膝行法(しっこうほう)」と言うんです。座り技の基本なんです。

え:へぇ…。言葉はどうして習得したのですか?

サ:フィン語はむずかしいのですが、構文丸暗記で乗り切りました。

え:ところで、この周辺のフィンランド人は、サチエさんのことを「東洋の子ども」と思っていて、かもめ食堂のことをひそかに「子ども食堂」と呼んでいるらしいんですけど、実際のところ、おいくつなのか年齢を聞いてもいいですか?

サ:子ども食堂…。あ、年齢は38です。ついでに身長も言うと154センチなんですよ。でも、若づくりはしてないですよ。

え:あんまりお客さんが来ない間でも、毎日きちんと生活してお店でもお皿を磨いたりして、淡々と生活しておられるように見えましたが、どうすればそのような自律的な生活ができるのでしょう?

サ:はい、おそらく父の影響が大きいと思います。古武道の達人で指導者だったのですが、その父の口癖が「人生すべて修行」だったんです。道場にも紙に書いて貼ってありました。また、母が私が12歳のときに交通事故で亡くなったのですが、葬式でも父は「人前では泣くな」と言いました。まぁ、それをなんとなく守っているというか。あまり人前では困ったり苦労しているところを見せないようにしているのかもしれません。

(つづく、かも)

スピーチは得意ではないのですが。

 昨日は、とある集まりがあり、スピーチしてきました。

 今読みかけになっている本のうちの1冊に、いろいろ考えさせられることがあり、その内容と集まりに集まっている人たちに知って配慮してもらいたいと思う内容が共通していたので、本の紹介はしなかったものの、言いたかったことは言ってみることにしました。

 その内容とは、一見ただの怠学に思えるような学生さんにも学業に専念できない事情があるかもしれないこと、実際に過去にそのような人がいたこと、大学に来なくなってしまう学生さんに対しても何らかの配慮やサポートが必要ではないかと思うことなどです。

 親睦を目的とした集まりでのスピーチでは、あまり深刻なことを言わず、ちょっと笑えて少し風刺の利いた内容を話せるといいなと思うのですが、なかなか思うようにはいきません。得意ではないので、あまりスピーチをするような場所には行きたくないのですが、しないといつまでたってもできるようにはならず、いつまでも苦手なままなので、たまには、ちょっとやなこともしてみることにしています。

 スピーチの内容に深刻なことを言おうと思ったのは、これに先立つ最初の挨拶をされた方のお話の内容を聞いて、きっとこの人になら通じるだろうと思えたことがあります。それは正解でした。他の人のスピーチも終わった後、最初の挨拶をされた方がそばに寄ってきて、私の話に対してきちんと受け止めるとおっしゃってくださったからです。それに、別の方々も、静かに真剣な様子で聴いてくださっていました。

 朝から夕方までは仕事Lをし、その後移動して仕事Rの集まりに出席したので、ちょっと疲れましたが、出席してよかったです。

 ところで、その本については近々ご紹介したいと思います。

2008年10月 4日 (土)

ピンクリボンキャンペーンに思うこと。

Tower 

 今月は乳がんの早期発見や予防についての啓発月間とされています。食の欧米化や晩婚化、非婚などの女性のからだを取り巻く状況が大きく変わり、乳がんも増加傾向にあると言われています。

 また、乳がん患者の低年齢化も言われます。小さい子どもの子育て期でもあり、仕事にも忙しい30代40代に罹患していることも多いようですが、ひとの世話や忙しさを理由になかなか検査に行けないで、気になることがあっても伸ばし伸ばしにしている女性も多いのかもしれません。

 予防と早期発見の重要性は疑いの余地があまりないと考えています。女性本人や女性の胸に触る可能性のある人には、乳がんがどのような触感でどの辺りにできるかなどの基礎的な知識も重要でしょう。

 そういう意味では、毎年啓発月間を定めて、さまざまなキャンペーンを行うことも大変意義のあることだと思います。私は日本のあちこちにあるタワーをピンクにライトアップした夜景の写真はとてもきれいだと思います。

 ウェブ上でも、たとえば、Yahoo!などでもトップページにピンクリボンのロゴを表示するなどキャンペーンに協賛されているようです。

 多くの善意で担われているこの活動に水を注す気はないのですが、ちょっと気になることがあります。

 それは、キャンペーンでポスターや標語を募集したりする活動のなかに、乳がんを象徴するものとして、女性の胸の部分を使う傾向があることです。それも、裸だったり強調してそこだけを切り取ったようなやり方で。写真の場合もあれば、イラストなどの場合もあります。

 たしかに、乳がんは乳房にできるものです。ただ、そのことと、啓発のために、乳房をモチーフとして使うということは、必ずしも接続させておかなければならないものではないはずです。

 切除手術をされた乳がん患者さんも見ることになるポスターに、健康で若くて切除されていない胸を強調することは、果たして必要でしょうか。乳がんには罹患していない女性たちに向けても、「モデルになるような美しくて若くて完璧な乳房」を見せることで、自分の胸に関心を持てとのメッセージが、果たして伝わるでしょうか。

 広告などの表現におけるプロフェッショナルの方に対してだから、要求水準の高いことを言いたいと思います。

 乳がんの啓発=胸の写真(イラスト)で人目を惹くという図式は、手法として、あまりに素人的で、あまりに芸がなく、あまりにデリカシーのない行為ではないでしょうか。

 乳がんに対する知識を広め、予防して早期発見・早期治療につなげよう、という善意に支えられたこの活動の理念がすばらしいと思うだけに、そこのところが残念に思えてなりません。

 乳房を強調することなく、それでいて、乳がんキャンペーンの趣旨をきちんと伝えられる、そういう表現は、きっとあると思います。

アオサギは気になる鳥です。

Photo

  アオサギが好きです。だいたい、ひとりで川や田んぼに立っています。何か考えているように見えますが、何も考えてはいないのかもしれません。

 単独行動主義かとずっと思っていましたが、あるとき、刈り取られた田んぼの1枚に、7羽くらいが輪になって集まっているのを見たことがあります。みんなで何をしているのか気になりましたが、それぞれがひとりでいるときと同じように、ただ立っているように見えました。猫の集会のようなものだったのでしょうか。

 小さくてからだの軽い鳥に比べて、アオサギはからだも大きいため、あんまり飛ぶのは得意ではないのかもしれません。

 孤高の鳥かと思っていたら、ちょっと間抜けなところを目撃したこともあり、不思議感がいっぱいです。だから、気になるのかもしれません。

 ちなみに、アオサギはからだが大きいので、餌の豊富なところにしか住めず、かなり田舎に行かないと見かけることができません。よって、東京では見たことないです。写真は手前の鳥の話題でしたが、アオサギも写っていたので嬉しくてここにのっけました。

2008年10月 1日 (水)

よもぎ蒸し。

 今日は月に1度の筋トレの効果を測定する日でした。先月はあまり行く時間がとれず7回しか行けませんでした。結果は、ちょっと後退でした。まぁ、私も生きものなので、変動するのは当然かと思います。私の次に測定をしてもらおうとお待ちになっていた年上の方は、「ちょっとでもいい結果になるように」と待っている間にちょこちょこと動いたりしておられましたが、こういうのを女心というんでしょうか。「そんなことしても無駄なんじゃ」と思ってしまうところがダメなのかもしれません、私の場合。

 その後、近所にできていて、少し前から気になっていた「よもぎ蒸し」に行ってみました。世間が寒くなってきたので、からだを温めたほうがよさそうです。もう随分前に別のところで1度だけ試してみたことがあったのですが、よく温まります。

 このサイト(ここ)によると、よもぎ蒸しは、韓国発祥の女性のための民間療法のようです。600年の歴史があるとか。真中に穴の開いた椅子に首から上を出したかぶり物をかぶって、主に下半身を蒸すものです。具体的には、このサイトに図解がありますので、関心のある方は見てみてください。

 私が行ったところでは45分ほど蒸されるのですが、なんか自分が肉まんになったような気分でした。よもぎやその他ブレンドされている薬草の香りがとてもよかったのですけども、終わった後シャワーをしたからか、その香りがからだについてはいないようです。と思って確かめてみたら、脚からは少しよもぎの匂いがします。

 効用や直接蒸すエリアから女性に特有のもののような気がしていたのですが、先ほどのサイトのQ&Aには男性にもよいと書いてありました。きっとよいのでしょうが、一般的な理解だと「涼しくしておかなければならないエリア」を直撃かと思うのですが、本当に大丈夫なのでしょうか。余計な心配かもしれませんが。

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