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2008年10月17日 (金)

紙魚を知っていますか。

 今日は最近気になっている虫について書きます。まず、紙魚です。これは子どもの頃から知っている虫ですが、最近では先月から関心が高まっているところです、私のなかでは。紙魚はシミと読みます。本の中に住んでいます。姿はちょっと魚っぽいところがあるので、紙魚と書くのだと思います。白っぽいきれいな銀色で不思議な姿、動きは海などにいるフナムシに似ているような気がします。ググったりすると、紙魚のデジカメ写真を公開してくださっている紙魚愛好家の方もいらっしゃいますが、あまり美しく撮れていませんので、紙魚を見たことがない人は誤解なさる可能性があります。

 先月、紙魚のことを考えていたら、ちょうど田舎に行ったときに、紙魚が部屋にいたので、写真を撮影しました。紙魚はだいたい1センチくらいの大きさなので、私の持っているデジカメでは大きく撮ろうとしてもあまり大きくすることができず、無理やり近寄って撮影したらピントの合わないしょうがない仕上がりになってしまいました。他の人もあまりきれいな写真が撮影できないようですので、そもそも紙魚は写真うつりが悪い虫なのかもしれません。

Konohag

 この虫はコノハギスと言います。すごくきれいな葉っぱみたいな虫です。自分でも葉っぱになったつもりで居るところがこの写真です。天敵の目を欺くために葉っぱに似せて自分を作ったのでしょう。でも、もし、葉っぱを好物とする誰かがやってきたら、どうするんでしょうか。「本当は虫だよ~」と言って諦めてもらえればいいですが、相手が人間でそれも虫が好きだったりした場合は、捕えられる可能性が高いです。この写真も葉っぱになりきったつもりでいたところに、誰かに撮影されたものなのです。

 コノハギスに、大型がいるのをご存知でしょうか。これは半月ほど前に知りました。それで衝撃を受けたのですが、名前をオオコノハギスと言います。そのままなのですが、写真を見るとたまげますよ。

 ここに動画がありますが、これではどのくらい大きいかわかりにくいと思います。実物は多摩動物公園にいるようです。12㎝くらいはあるようです。この下の写真は、人間の手に乗せているものですから、大きさがよくわかるかと思います。こんなに大きな虫がいるとは驚きです。マレー半島辺りにいるそうですが。手に乗せるとどのくらいの重さなのでしょうか。重さについては記載されているものを見つけることができませんでした。(2枚目の写真はオオコノハギスの写真と一体のもので、切り離すことができないので一緒に載せました。ハキリアリだそうです)

8155_small 

 

Giant_weta

 大きな虫と言えば、こっちのほうが重量感があります。名前もジャイアント・ウエタというそうです。ここにその虫を愛好されている方のブログがあります。写真はそこからお借りしました(勝手にすみません)。

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コメント

えふさん
  以前別の記事のところでアマリカ人の虫嫌いについてえふさんに質問されたのにほうっておいたのでここで答えます。
  ところでえふさんは虫に関心があるのですね。堤中納言物語の『虫愛ずる姫君』が常識にとらわれない自由の精神の持ち主だったことを考えて、えふさんも、そうかなという気がしています。遺伝学者の中村桂子さんも『虫愛ずる姫君』が好きだとか講演で行っていました。ここhttp://www.news.janjan.jp/culture/0801/0801068461/1.php
で読んで知っただけですが。
  ところでアメリカ人(英文圏の人)は虫は嫌いというか関心がありません。例えばバッタ類ですが日本ならキリギリスとか、鈴虫とか、クツワ虫とか、色々名前をつけて区別しますが英語ではすべてgrass hopperです。だから『アリとキリギリス』もアリとグラス・ホッパーです。蝉も、最初に出てくる春蝉、小さくてかわいいニイニイ蝉、マジョリティで威張っている油蝉、夏の盛りを告げるミンミン蝉、最近活動領域を本州各地で増やしているクマ蝉、相変わらず寒い地域や山岳部に引きこもってくる蝦夷蝉、夕暮れをつげる哀しい調べの蜩、夏の終わりを告げるツクツクボウシなどと区別され個性も知られていますが、英語ではすべてcicada、異なる種類の鳴き声や出てくる季節を知る人など殆どいません(昆虫学者ぐらいでしょう)。
  関心がないということが個性の識別に結びつかないことは虫に限ったことではありません。アメリカで南米系はヒスパニックと呼ばれ、家庭ではスペイン語を話しますが、南米系に関心の無い人には総じてヒスパニック、少し関心があると、メキシカン、プエルトリカン、キューバン、などと区別され、個人的に知ってくるとAさん、Bさん、Cさんとなります。日本人はどうでしょうか? 中国人や韓国人と全く区別できない人は沢山います。日本人と聞いて個人の顔が浮かぶアメリカ人は少数派です。最近はさすがに減りましたが、30年前アメリカに来た時は、僕が個人的に話した始めての日本人と言うアメリカ人も結構いました。でも個人的に親しい日本人がいるアメリカ人は今でもごく少数で、知っている日本人名は黒澤明だったりアニメの「アキラ」だったりします。「カズ」はもちろん数に入りません。
  このように日本人が未だアメリカや西洋で「顔の無い存在」であることは憂慮すべきと思っています。いつまた日本バッシングと結びつかないとも限らないし、何かことがあれば偏見も生まれやすいからです。組織人としての日本人が、政治家や企業人を含め、個人として発言しない・動かないことも、交流がふえても、未だに日本人が「顔のない存在で」、結果として関心をもたれない存在であることにも結びついていると思います。

山口一男さん、コメントありがとうございます。それと、いつもかまって(?)くださり、重ねてお礼を申し上げます(笑)。

 虫の話、はい、関心はあるかと思います。他の生き物や生きていないものにも関心があり、虫でも好ましいものとあまり関心がないものなどがありますが、そういう細かい区分けがあるということは、関心があるということかと思います。

 中村桂子さんご講演を記事にしたJANJANのサイトのご紹介もありがとうございました。センは私も結構好きです。「虫愛ずる姫君」の話は、私も聞きかじった程度ですが、ファンが多いのかよくあちこちで引用されていますね。原典が読みたくなってきました。
 原典を知らないのですけども、たしかに、私も眉はそらないし(ゲジゲジではないけど)、お歯黒もしていませんし、髪も邪魔だとまとめたりしているので、その点では似ているかもしれません。虫に関しても、毛虫では好きなのとあまりお近づきになりたくないのとがありますが、蝶に関しては、成虫よりも幼虫と蛹に関心があります。そういう点では、この姫と共通するとことがあるやもしれません。ただ、私は姫ではないので、そこのところは違いますが(あたりまえか)。
 常識を知らないためにただ非常識なだけなのと、常識は知っているけれどもそれにとらわれずにいられるというのは、似て非なるものだと思います。現状では前者のような気がしないでもないので、後者になれるといいなと思うのですが。

 アメリカ人と虫についてもご丁寧にありがとうございます。ちょっと眠いので、この点については、明日にでも。
 

 バッタ類では、コノハギスみたいなのとトノサマバッタ系はよいのですが、ショウリョウバッタはあの体形と飛び方があまり好きにはなれません。一口にバッタと言ってもかなりのバリエーションがあるように私には思えるのですが(だから日本では名前をいろいろつけているのでしょうが)、アメリカでは関心がないから区別しない、のですね。
 セミにしても、そうですね。アブラゼミがマジョリティで威張っているというのはおっしゃるとおりです。私はアブラゼミの羽が茶色いところが威張っている感じをより強調しているように思っていました。1つだけを間近に見ると、結構かわいらしい顔なのに、集団になると性格が変わってしまうかのように思えるところは、人間の集団と共通性があるような気がします。

 アメリカでの人種の区別について、南米出身者やスペイン語を話す人を一括してヒスパニック系と大雑把に呼ぶのはなぜだろうと思っていたのですが、発想が逆だということに気が付きました。そもそも、細かな区分自体がないのですねぇ。そうか。関心もないと。よく知らないから興味深いと思うのに、関心ももたないとは不思議です。

 個人的に知りあっているかどうかは、その国に対する関心や感情とも結びつきますね。反対に言えば、日本人で個人的に知っている人がいないから、日本に対しても一枚岩のイメージしか持てず、国家間の関係が悪化すると、即、個々の日本人に対しても強い悪感情を抱きがちになってしまうという。
 こういうことは、比較的距離をもって暮らしている私のような者にとっても、あまりいい感じがしませんが、悪感情を抱く人がマジョリティの国に住んでいる場合は、感情だけの問題に終始せずに実質的な不利益や場合によっては具体的な危険への対処をしなくてはならないかもしれない、そう思うと、「関心がない」ということを、ひとの興味は多様である、といったことだけでは済ませられない気がします。

 日本人とくくられる人たちも、ほぼすべて個別に区別して判別している私としては(人間だけでなく、その他の生き物も)、個別性を認識するのがあたりまえのような気がしていて、区別しないでいる人に対してどうすれば関心をもったり個別に判断するということをするようになるかの具体的方法は、よくわからないです。

 自分のなかのひとまとめにして決めつけている何かを探しだし、決めつけの理由を明らかにすれば、もしかしたら、少しはわかるようになるのでしょうか。これも、知る側だけに課題があるような考え方です。知られる側にも、個別的に認識してもらえるような個性の発揮や異文化人との交流を厭わないような態度がもとめられているような気がします。

 「顔のない存在」ですか。現在でもそうなのかと思うとちょっと悲しいしとても残念ですね。

えふさん
  西洋人が日本(や日本人)に関心を持たないのには3ッの理由があります。一つは、ややト-トロジカルですが、自分と近いものに(類似性に親しみを感じたり、利害関係が一致すると感じたりするために)自然に関心を持ち、反対に自分と似ていないものには関心を持ちにくい人間の習性です。社会学ではHOMOPHILY(同質選好傾向)といいます。
  2番目は、進んでいる、先端である、成功していと感じるものに対する関心があり、その反対には関心がない傾向です。これは競争・競合がることに関係しています。日本人も西洋は近代化が先に進んだので早くから関心を持ちましたが、遅れていると感じていたアジアや南米やアフリカに関心を持ちませんでした。西洋は同じ理由で日本に長らく関心がなく、経済的成功もより日本の工業技術や日本的経営に関心が深まり、日本経済がもう参考にならないと思われている現在は、世界でも先端を行くと思われている日本のアニメヤ漫画への関心へと移っています。しかし世界で個性的日本人が未だ知られることが少ないために、日本人の「顔」のイメージが少ないのです。
   3番目は、自分たちの分化との接点が見えにくいことです。黒澤明が西洋で人気が高いのはテーマが普遍的で、表現が独創的であり、普遍性が接点を与え、独創性が賞賛に結びついたからです。全く違うと思えるかもしれない例ですが、実は養蚕などを通じ昆虫が日本人の文化生活に入り込み、米国ではあまり入らなかったことが昆虫へのアメリカ人の関心の無さと結びついています。日本でも昔の和歌で月を歌ったものは多いのに、星を歌った物は皆無です。月が和歌文化の中に入りこみ、星は何故か入っていなかったからです。逆に古代ギリシャ文化以後星座にと特別な意味を与えていた西洋では、星をうたった詩は数多くあります。

   えふさん、この3ヶ月以上にわたり僕のコメントにいつも誠実に返答を下さり本当にありがとうございました。僕の著作への書評のお礼に始まったえふさんとの対話は有意義で楽しいので「病み付き」になりつい「長居」をしてしまいましたが、年末までに終えるべき仕事が山積しています。WLBがなくなるのですが、ここは締めてかからねばならず、勝間さんの言う「緊急性の無い時間」の使用は削らねばなくなりました。書き込み自体は時間的にたいしたことは無いのですが、えふさん同様単なるおしゃべりではなく考えて書くので、その考える余裕を暫く持てないのです。ブログは読み続けるし、またいずれ訪れさせていただきたいと思いますが、しばらく訪問は中止です。ハロウィーンに消えるのは、らしからぬ行動ですが、「本体」はもともと「海の向こう」なのです。えふさんは、お会いしたことは多分ない方なのでしょうが(何故かそんな気がしないのですが)、もう「顔の無い人」ではありません。生き生きとした知的個性が「見え」ます。では、またそのうちに。

山口一男さん

 西洋人が日本人に関心を持たない3つの理由、ご丁寧に説明していただきありがとうございました。言われてみれば、日本で月は使われるのに星は使われていませんね。なるほどと思いました。

 訪問中止のご挨拶もありがとうございます。こちらこそ、ご丁寧に相手をしてくださり、いろいろな知識や気づきを得たりする機会をいただき、本当に感謝しています。それに、楽しかったです(笑)。

 はい、お会いしたことはありません。オフラインでのつきあいでも、「ずっと前から知っている気がする」という趣旨のことは何度か言われていますので、何かそういう要素があるのでしょう。自分ではわからないのですが。
 
 「本体」は遠距離でも、空ではなく、海や山の向こうであれば、このさき、どこかでお会いすることもあるかもしれません、ご縁があれば。「えふ」は、当面、このあたりにもたもたしていると思いますけど(笑)。

 WLBのない生活、あまりご無理なさらずに、ご自愛ください。

ありがとう。

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