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散歩の収穫。

  • こういう色もよいですね。
    散歩をしていて見つけた風景や動植物を記録しておくアルバム。不定期だけど、できるだけ更新を目指す。コメント歓迎。

田舎の風景

  • 東京に戻ります。
    2008年9月8日~11日までの、田舎での時間。

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2008年11月18日 (火)

この頃の出来事。

 この前の土曜日のことです。筋トレに行こうと歩いていて、交差点で立ち止まっていたら、こちらを向いて何か言っている人がいました。何かと思って聞いたら、「その服はいいね」と言っておられました。「?」と思いながら、お礼を言うと、「ちょっと地味だけど、いい」とコメントしてくださいました。歩いていて、知らない人にこういうことを言われることは、これまでなかったような気がしますが、知らないうちに世の中が変わってきているのでしょうか。信号が変わったので、立ち去ったのですが、気になりました。

「おじいさん、あなたは誰ですか?なぜ、道路に座っているのですか?」

 筋トレが済んで、戻ってきたら、おじいさんはもうおられませんでした。本当にあったことなのか、白昼夢だったのか、わかりません。

 今日のことです。スターバックスに座っていたら、隣の人が財布を椅子の下に落としたまま、気がつかない様子でした。そこで、財布を指さしながら、「落ちていますよ」と言うと、その方のものだったらしく、お礼を言って拾われました。

 その後、しばらく、そこに座っておられたのですが、帰りに突然私の方に来て、テーブルにスターバックスのロゴマークの入ったチョコを置き、「お礼です」と言って帰ろうとされました。「え、そんないいですよ」と言うと、「財布がなくなったら生きていけないので」と言って去って行かれました。

 こっちは、チョコが手元にあるので、夢ではなく現実でした。世の中には、丁寧な方がいらっしゃるものです。チョコ、ありがとうございました、知らない人。

 それにしても、子どもでなくてよかったです。知らない人にお菓子をもらったことがわかったら、親に叱られますよ。

 ところで、スターバックスが他のチェーン展開のカフェと違うところは、ここでは、よく話しかけられるということです。よく、とは言っても、5回くらいですが。ドトールやエクセルシオールにも行ってみてはいるのですが、話しかけてこられたことがありません。したがって、これは、スターバックスに固有の法則なのではないかと考えられます。

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 気象情報でも、今日は小春日和だったと言っていました。昼間は本当に暖かく、ひなたぼっこによい日だったような気がします。

 通りすがったところに、くつろぎ中のねこがおられました。比較的近いところに立ち止まって見てみたのですが、嫌がらずに昼寝続行でした。色と柄が私の好みだったので、ちょっと幸せでした。その前にあったちょっと嫌なことを相殺してくれました。ありがとう、ねこさん。

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コメント

えふさん
  今日の記事、確かにゆっくりしていていいです。そういえば「かもめ食堂」にときも「ゆっくり」の話をしましたが。えふさんが描かれる町の「出来事」の風景は、何かいつもせわしない印象のする東京と違いますね。「アンパン5個!」とえふさんにオーダーした老紳士の話もおかしみがありました。でも、その場で食べ物(パンとか、チョコとか)を買って見知らぬ人に御礼をするということについて、その人たちは相手が男性でも、同じように振舞うのだろうかということがちょっと気になりました。何かそこに女性と子供を類似視する無意識の日本文化を感じて。思い過ごしかもしれませんが。

山口一男さん

 ありがとうございます。
 これは、「ゆっくり」なのですね。なんとなく、わかってきました。「ライオンとねずみと猫」のコメントに書いた「今日は少しゆっくり目にしました」というのは、リアルな仕事でのことでした。わかりにくかったのですが。

 女性を子どもと同一視することで、アクセスしやすい存在として扱うということは、私もそう思います。もし、私が女性に見えなければ、パン屋の店員に間違えられることが、まずなかったでしょうし、チョコもくださらなかったように思います。
 ただ、この2つは両方とも男性なのですけども、スターバックスでの4名はすべて女性ですから、「異性効果」というよりは、「女性には話しかけやすい」ということが男女ともあるような気がします。
 また、性別は変数として大きいようにも思うのですけども、だからと言ってすべての女性が同じように同じくらいの話しかけられやすさがあるとも思えないので、別の要因も効いているかと思うのですが。

 道で服装を批評することについても、いわゆるストリート評言だと思っています。普段ならそのまま通り過ぎるのですが、イヤホンで音楽を聴いていたために何を言っているのかわからなかったことと、道路に座っておられ、若い人でもなかったために、体調でも悪いのかと気になり、聞き返してしまいました。

 女性・子どもの他に、たぶん、子どもを連れている女性とか、犬を散歩している女性だとより話しかけられやすくなるように感じます。知人の犬を数日預かったときに、散歩していたら、犬がかわいい容姿だったこともあると思いますが、よく話しかけられました。

 「日本文化」とおっしゃるのは、女性と子どもをアプローチしやすさの点で同一視するようなことは、日本に特徴的なことということでしょうか。たとえば、アメリカでは、そのようなことは観察されないのでしょうか。ちょっと気になりました。

 東京は、よくご存じのように、時間の流れが速いところが多いですけども、部分的に、ゆっくりめのところもあるかと思います。また、結構親切な方もいらっしゃるのです。と言いつつ、今日は仕事帰りに、急いでいるらしき若い男性に、突き飛ばされそうになりましたが(笑)。危険です。

えふさん
  犬を連れていると話しかけやすいというのは日米共通です。犬好きの人が犬に話しかけて、犬がしっぽを振って、犬の飼い主ともちょっとした会話(かわいい犬ですねとか)になるといったパターンです。
  また全くの他人でも視線があうとハローと挨拶するのはアメリカの多くのコミュニティーで(大学のキャンパス内でも)観られます。ただ女性ととどもを同一視する傾向(お話にあったようなケースでチョコをあげる)と言うようなケースはアメリカでは想像できないのですが、僕が想像できないだけかも知れません。
  でも、話しかけられるのはえふさんの持っている親しみやすいムードもあるのかもしれませんね。確かに女性といっても雰囲気はさまざまですから。
  また人を突き飛ばしそうになって、謝らない人はアメリカではまずいません。僕は東京で自転車にぶつけられましたが、何も言わずに走り去っていったのにはびっくりしました。確かにある意味で危険です、東京は。犯罪率はアメリカの大都市の方がはるかに高いですが。
  

山口一男さん

 ありがとうございます。
 犬の描写がいいですよね。『ダイバーシティ』のどこかにあった、犬がサッカーの練習に参加の表現も好きでした。

 チョコの件、もしかして、子どもにあげるようなお菓子だから、という意味ですか?おそらく、現在、スターバックスにある、消えてなくなるもの(食べ物)で最も安いのがこのチョコではないかと思います。私は、一番安いので、あげてももらったほうが負担に感じにくい、という点がこれが選ばれた理由かと思っているのですが。「ほんのお礼」の「ほんの」を表現したかったのではないかと。

 このチョコの話をして、オリンピックの期間に「私も金メダルがほしいんだけど」と相談してこられた職場の方に、このチョコをメダル代わりに差し上げたのですが、事情を話したら、その方も、「以前に、高齢の義母とカフェに入ったら満員で、座れなくて困っていたらすぐに譲ってくれる方がいた。嬉しかったし、義母のためにもありがたかったので、あとで、そこで簡単なものを買ってお礼にと渡した」「お礼の気持ちを形に表したかったから」とおっしゃっておりました。譲ってくれた方の性別や年代などは知らないのですが、そういうことは、私の世界ではそんなに珍しいことでもないような気もします。「私の世界」ってどこだか、やや不明ですが。

 

 東京は危険、は本当にそうですね。自転車にぶつけられてって、大丈夫だったのですか?
 ちょっとしたことで、声を出して謝ったりしないことが多いかもしれません。

 とはいえ、家の近所を歩いていると、ぶつかりかけたら「すみません」とは言われるし、エレベータでドアを開けておくボタンを押していると、降りる時にお礼を言う人はいますけどね。

 感じが悪い人は実は少数だけれども、印象が強いためにたくさんいるかのような気になっていることもあるのかしら、と別の問題で考えたことがありました。

 電車で立っていられなくなってしゃがんだら、前に座っていたサラリーマン風のスーツの男性が、慌てふためいて席を譲ってくださったことや、ホームでしゃがんでいたら若い女性が近づいてきて声をかけてくださったことや、あまりの混雑に耐えられなくなって途中で下車しようとして出られずに困っていたら「こっちですよ」と出口を示して下さった女性などがおられました。すべて私の経験です。

 どのあたりが危険で、どのあたりが親切なのかが、いまひとつ、掴みきれてはいないのですけども。

えふさん
  「感じが悪い人は実は少数だけれども、印象が強いためにたくさんいるかのような気になっていることもあるのかしら、と別の問題で考えたことがありました」

  そのとおりです。ただ別の問題があります。例えば人種差別ですが、例えば日本人の(白人アメリカ人がとしても良いです)の少数がある人種・民族を差別するとします。そして他の多数の日本人は自ら差別をしないけれど、(面倒にさけたいため)それを見過ごす(差別を止めろといわない)とします。そうすると差別された人種・民族の人たちは、日本人の多数が差別的だと思いがちです。この場合問題は、自分が「被害者」にならない場合、加害行為は悪いと思っていても、口・態度にだして「加害者」の行為を否定しないと、「被害者」は多数が「加害者」の仲間だと思いがちなことです。進んで態度を鮮明にする人が少ないと誤解を生みやすいのです。差別ではなく従軍慰安婦問題、南京事件など歴史の解釈でも、類似の問題が起こります。

  この点人とぶつかる場合などは、こういう問題が起こりにくいと思います。ぶつかった場合謝るか、謝らないかで中間(態度が不鮮明)が少なく、謝る人が多ければ多数の態度について誤った認識をしにくいからです。

  それから、僕だって(多分多くの人が)電車で前にいた大人が急にすわり込んだりしたら、慌てふためいて席を譲りますよ。明らかな「じべたりあん」と言う感じの人なら無視するかもしれませんが。
  

山口一男さん

 ありがとうございます。

 ご指摘のこと、おっしゃるとおりだと思います。私はこれを、「傍観者は加害者に加担しているのと同じ」というように思っています。
 そして、黙っているということに対して、それに同意していることと受け取りがちで受け取られがちなのですよね。

 「進んで態度を鮮明にする」ことは、本当に重要です。

 公衆の面前で「いいこと」をしようとすることについて、日本人は冷たいからではなく、羞恥心が強く感じられてしまうために、無視したりしやすいと主張しているものを読んだことがあります。私には妥当な分析に思えました。もし、これがそれなりに現実を言い当てているとすれば、羞恥心や自意識を乗り越えることが個人的には要請され、社会的には「そういうことはやって当たり前で、しないことが恥ずかしい」という認識を高めることが有効かなと思いました。間違っているかもしれませんが。

えふさん
  最後の部分「恥ずかしい」という認識を高めることが有効」はそのとおりです。アメリカではたとえば雇用や昇進で男女平等にしない人や企業は今は恥ずかしい状況です(昔はそうでもなかったけど)。日本では逆に男性が男女平等を人前で主張することを女性の人気取りだとか、恥ずかしいと思っているのでは?
  ただ問題は羞恥心や自意識だけでなく、減点主義というか何か人と違うことをして成功してもあまり評価されないのに、人と違うことをして失敗すると批判される社会の報酬のあり方にも問題があると思います。だから同調や、「空気を読む」ことが、はびこるのです。でも、みながそれをしたら、社会は少数の権力者や「声の大きい」人たちに引っ張られ、その多くは不合理な、悲惨な、結果を生みます。


山口一男さん

 「恥ずかしい状況」の意味内容を変更することに、一定の効果が期待できるのですね。

 日本で男性が男女平等を主張したりすることは、たしかに、そのようなところがあると思います。男性学があまり盛んでないことも、それと類似の効果のためかと思います。男性同士では、「いい人」とみなされることに対して、強い言動抑制があるように思えるのですが、違うでしょうか。少し前に「ちょい悪オヤジ」とかいうのが流行っていたようですが、「ちょっといい人」はこれまでのところ、流行の兆しがありません。

 報酬システムの変更は重要ですね。男性のいいところを見つけて褒めようとしても、恥ずかしがって隠そうとするので、日常的な相互行為場面で加点主義を導入しようとしても、なかなかむずかしいです。

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