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2008年12月29日 (月)

他者を置き去りにすれば、いずれ、自分も置き去りにされる。

置き去り社会の孤独

『置き去り社会の孤独』(大津和夫、2008年)

 派遣契約を解除され、年が越せないかもしれない人も続出らしいですね。とんでもないことです。

 本書は、現在の状況を考えるにはとてもよいと思います。日雇いで働いてその日の暮らしは賄えても、将来がない、先のことが考えられない、最初は持っていた希望をだんだん失っていく様子がよく伝わってきます。

 本書が問題にするのは、「社会的排除」とその対概念である「社会的包摂」です。前者はsocial exclusion、後者はsocial inclusionの日本語訳なのですが、安定的である程度継続的な仕事があるかどうかというような経済面のことだけでなく、人とのつながり、社会とのつながり全体を含んだ広い概念なのですね。ただ、卑近なことを言えば、お金がなければ、ちょっとお茶に誘われてもそれにつきあうことができません。そういう意味では、やはり、財布の体力の問題は、単に経済的な問題にとどまらない。そこが非常に深刻なのだと感じます。また、経済的な困窮は、精神的な貧しさや余裕のなさに直結します。

 日本の福祉については、企業福祉と家族福祉であるというように聞くのですが、企業にも所属せず、お金がないために家族も形成できないと、本当に何のセイフティネットもないのだなと思います。それなのに、就職できないのも結婚できないのも、個人の能力のせいだという声も聞こえてくる。悲惨です。

 最近有名になった「もやい」で定義する5つの排除の概念は、興味深かったです。「学校教育からの排除」「雇用を含め、企業福利からの排除」「家族福祉からの排除」「公的福祉からの排除」「自分は生きる価値がないと思い詰める『自分からの排除』」です。4つ目までは、さほどインパクトがないのですが、5つ目は、大変衝撃的ですね。そう、これがもっとも深刻でもっとも問題なのだ、と私は思います。自分で自分の価値がないと思ってしまう、これ以上に悲惨なことはないのではないか、という気がします。ただ、これも、他の4つとの複合的なつながりを持って発生することなのでしょう。

 日本でも近年やっと若者に対する支援の重要性が語られる場面が見られるようになってきました。それ以前は、フリーターと呼ばれる人たちを、雇用対策の不備や企業の都合の問題で発生しているのではなく、若者が勝手になって定職につきたがらない、という視点のみが強調されてきた感がありました。 「最近の若い者は…」という若者批判は、一説によれば、紀元前からあるとか。なんでも、立場の弱い人たちに責任を押し付ける思想って、紀元前からあるのでしょうかね。いい気なものです。

 他国では、若者が社会から排除されないために、重点的な政策の対象となっているところもあるようです。本書では、スウェーデンの例を紹介されていました。すでに50年の歴史があるそうです。具体的には、対象を13~25歳とし、政策の主眼は若者に「まともな生活」を保障することだそうです。「まともな」の意味は、「自分の人生を左右する生活水準、健康と福祉、そして、他の人と同様、社会に参加する可能性と権利のこと」だそうです。非常にまともですね。

 重視すべき視点として、4つあるそうです。

1.「資源」=若者独自の知識、価値観を尊重し、活用する

2.「権利」=健康や社会経済活動において一定の水準を確保する

3.「自立」=抑圧や男女の固定的な性別意識などを減殺することによって、若者の自立を支援する

4.「多様性」=若者を一律ではなく、個々人として、均等に扱う

 他にも、若者が政治意識を持つことができるような機会を与えています。これも、大変まともなことだと思います。若者に限らず、政治にまともな関心を持つことを忌避しがちな印象を受けるどっかの国とは大違い。冷笑的なコメントをすることが、大人のしるしのようになっているのも、不思議な感じのするところです、どっかの国のことですけども。

 スウェーデンだけでなく、オランダやフランスの事情も紹介しているのですが、いずれを読んでも、他国にできることが日本でもできないわけはないのではないか、と思います。

 最終章である第4章では、「<置き去り>のない国への一〇の提言」として、著者の提言が述べられている。一貫してるのは、責任の所在をきちんと見据えておられるところだと思います。国・政府の責任を明確に論じておられると思いました。具体的には、本書を読んでください。

 「置き去り社会」、なんという、単語なのでしょうか。私はこれを読んで、今日のタイトルを思い浮かべました。

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コメント

えふさん
  大津さんのこの本は現代日本の格差問題を考える上で必読書だと思います。わが国の社会的排除を受ける人々の生きづらさを浮き彫りにしているだけでなく、そういう社会を変えるための処方を、欧州を参考にしながら提言しているところが良い。
  私もWLB,男女賃金格差、過剰就業などで現状を分析し社会改良の提言をしているのですが、大津さんの提言にせよ、私の提言にせよ、何故か「非現実的」というような批判を頻繁に受けます。新たな制度をつくることは常にある意味で「非現実的」です。今までわが国には存在しない仕組みをつくろうというのですから。しかし欧米にモデルが色々あり、それを輸入しようとはしないものの、参考にしているという意味ではグローバルに見れば全く非現実的ではない。
  明治政府のしたことなど江戸幕府の眼からみたすべて「非現実的」であったはずです。というわけで私は「非現実的」と言う批判は、ただ現状維持をしたいと思う人の常套用語なのだろうと理解しました。
  『置き去り社会』からの脱却を現実のものにしたいものです。

山口一男さん

 ありがとうございます。これは、もうずいぶん前になりましたが、山口さんにご紹介いただいたものですよね。おっしゃるように、現状分析だけでなく、具体的な提言もなさっているところが大変よいと思いました。

 「非現実的」と評価されているのですか。それは、「前例がないから」と同じですね。字義どおりの意味にとれば、「じゃあ、これを前例とすればよい」と思うのですが、要は「したくない。変えたくない」ということなのだと思います。じゃあ、そういう風に言えば、と思いますが、さすがに、そこまで率直に言えないことも、また理解されているのでしょう。

 現状がこのままでは立ち行かない、という判断があるもとで、現状維持を望むことこそ、非現実的だと思います。言葉は字義に誠実に使用したいものです。

年越し派遣村で食べ物などのサポートを受けた人のインタビューをテレビで観ました。
「今年ほど人の情がありあがいと思ったことはない、来年のこの時期、自分も恩返しする形でこの活動に参加したい」というような趣旨のことを仰っていました。
2007年の暮れには想像もしなかった状況に入り込んでしまっている方がたくさんいらっしゃるのですよね。
自分が、自分を養える経済基盤をなくしたとき、それも自分のミスではなくて会社都合でなくしたときには、一種、テロにあったような気持ちになるのでは?ちょっと大げさでしょうか?
正社員という身分を得るために努力しなかった自分を責めるべきなのでしょうか?
「上を見ればきりがない」ですが、する仕事と帰る家を、取り上げられてしまうとは残酷です。

やっぱり世襲議員、それも他人の釜の飯を食べた経験のない方には「下を見てもきりがない」と思考想像経路が遮断されてしまっているのでしょうか?


miauleuseさん

 ありがとうございます。
 日比谷公園に「年越し派遣村」ができて、宿泊や炊き出しが提供されているそうですね。各社が配信していました。インタビューは見ませんでしたが、そんなことおっしゃる方がいらっしゃるのですね。こういう場所が少しでも増えることを祈ります。最初聞いたとき、よかったなと思うと同時に、日比谷公園まで行く交通費がない方はどうなるんだろう?と思いました。
 それにしても、失業と家を失うことが同じことだということは、ちょっと異常ですよね。失業しても、しばらくは、それまでと同じような生活が営めて当然、という気がしますが。次の仕事を探すとかより、すぐに死なないためにはっていう心配をするなんて、おかしいと思います。
 正社員になれないことは、少し前までは「自己責任」とされていましたが、実際にはそうではないこともだんだん認識されてきました。よかったです。当たり前のことですけども。
 政治家もそうでしょうが、企業もCSR(企業の社会的責任)とか言うんだったら、それなりのことをしてはどうかしら、と思います。

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