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2009年1月18日 (日)

プリンセスにならなくてはいけないの?

 先月と今月はなかなか回数を行けていない筋トレですが、理由はそれだけではないかもしれません。そもそもこの施設の設置目的は「筋肉を増やして健康に」という程度のものだと思っていた私でしたが、それはできるだけ趣味の違う情報に気がつかないようにしていただけなのだと気がついてしまいました。

 普段の使用だけでなく、より効果を高めたり実感できるような工夫の1つだと思うのですが、ときどき不思議なキャンペーンが行われています。10月頃から少し前までは、「筋トレ祭り」なるものが行われていました。これは、現在10種類ほどあるマシンの使い方を再度見直し、正しい使用法を実践することで効果を引き出そうという趣旨だったと思います。名前に疑問を感じつつも趣旨は納得できるものでした。で、毎週1つ決まったマシンを使っているとスタッフの方が丁寧に見てくれてアドバイスをくれうまく使えているとスタンプを押すというようなことだったのです。それで、いまいちよくわかっていなかったものについても、再確認することができ、なかなかよい企画だと思いました。

 今月から始まったキャンペーンなのですが、その名も「カーブスプリンセス」です。なんだか、憂鬱な気分になってしまいます。趣旨は、今年から筋トレだけでなく、食事の摂取についてまでアドバイスをくださることに決定したそうで、その先駆けとして、筋トレに通う回数だけでなく食事面での目標をかかせて2ヶ月後に目標を達成するよう、施設の壁に貼り出すようなことのようです。

 しかし、なにゆえ、それにプリンセスという名をつけたのでしょうか。それが気になっています。それから、私のほかの利用者の方々はプリンセスになりたいのだろうか、ということも気になります。なにしろ、年代的にも、その他の要素をとってみても、どんなにひいき目に眺めても、私の脳内イメージにおけるプリンセスとは全く違う生きものだからです。もちろん、私もそうですが。

 そういうわけで、なかなか通えない最近ではありますが、貴重な機会に考えていることと言えば、「この人たちは、プリンセスになりたいのだろうか」です。眺めているだけではわからないのですが、ちょっと聞きづらい。まぁ、ひとさまのことはいいです。目指しておられるのなら、それを達成してください。

 「理想の自分に近づいていますか」とも毎月問われますが、これも私にとっては苦難の質問です。「理想の自分」とか言われても何のことだかわからない。どうもこのノリについていけません。参加しない人には、参加を強要しないことを祈りますが、どうなんだろう。継続的に通っているだけでもえらいのに、さらに、筋肉のことを考えろだの、プリンセスになれだのと言われると、通って行くだけの気力も失いそうで心配です。

 プリンセス問題に悩ましいこの頃ですが、以前タイトルを見て、読みたいと思いつつそのままになっていた本を思い出しました。

クララは歩かなくてはいけないの?―少女小説にみる死と障害と治癒

『クララは歩かなくてはいけないの?―少女小説にみる死と障害と治癒』(ロイス キース (著), Lois Keith (原著), 藤田 真利子 (翻訳)、2003年)

 これは、原題を『Take Up Thy Bed and Walk by Lois Keith』と言うのですが、邦題が秀逸だと思います。これで、ある程度は内容を想像することができるわけですし、この問いかけが今の私の気分にピッタリなのでした。

 著者は、お子さんが小さいときに事故に遭って、ご自身も車椅子で生活されている方なのでした。それで、特に不自由は感じておられないのだそうです。

 内容は、サブタイトルにあるように、少女小説で扱われる「死」や「障害」について書かれた8本の童話を取り上げ、それを克服すべきものとして描かれていることに批判的に書かれています。

 ……。ただ一つ、確実なことがあり。物語が望み通りのハッピーエンドを迎えるために、それぞれの主人公たちは何かを学ばなければならない。我々読者は、それぞれの主人公が学んだ教訓、キリスト教的教えを理解する必要があるのだ。

 いずれにせよこの治癒は物語の結末の中心となり、期待も高いため、私や何世代にもわたる読者たちのことに気付かなくても、直感は積み重ねられ、障害についての次のような概念は一生続く。(1)障害を負うことには、いいことは何もない。(2)障害者の人々は、女性が常に身につけなくてはならない、忍耐、明るさ、何ごとも精一杯やることなどの従順な行動と同じ性質のものを身につけなくてはならない。(3)障害は悪い行いのため、邪悪な考えのため、十分によい人ではないための罰である可能性がある。(4)障害者は罰せられるより哀れみを受けるべき存在ではあるが、決して受け入れられることはない。(5)もし治ることを望み、自分自身を十分に愛することができ(ただし、他人を愛するよりも愛してはいけない)、神を信じれば治癒可能である。

 この信念は強固なものだったし、今でもそうだ。

 これらの物語が描かれたころから大きく変化してきた女性に関する概念とは違って、障害と障害者に関する社会の概念は、ヴィクトリア朝時代から大して変わってはいない。障害は、障害者自身と、おそらく障害者と一緒に働いたり、いずれかの分野の「専門家」として生計を立てている一部の人たちを除いては、誰にとっても常にささいな問題なのだ。障害者が直面する社会的不平等を見ようとするのではなく、障害を医学的に「何か『悪い』ところのある人」としてとらえようとする傾向がいまだにある。子ども向けの本の中で作家たちが書いている人物の性格と挑戦は文学者と普通の読者の両者に多大なる興味を引き起こしはするが、長外への関心は重要ではなく、「専門家」だけのものなのだ。大部分が隠されたままになっていたのは、おそらくそのためなのだろう。(22-23頁)

 クララは『ハイジ』の登場人物で、日本ではアニメ化もされて放送されていましたから、多くの人は知っている話だと思います。アニメではアルプスの山小屋で暮らすハイジの話でしたが、原作は読んだことないです。『若草物語』もアニメ放送をしていた記憶がありますし、これは何度も映画化されてもいます。四姉妹の物語。この2つをかろうじて知っている程度でほかの少女小説を知らないのでした。少女だったときから、あんまりこの手のストーリーを好ましいと思わなかったからかもしれませんし、単なる無知・無教養なのかもしれないのですけども。

 批判対象である元の物語を知らないので、本書を読んでも理解できる部分は限定されていると思います。でも、書かれている部分だけを見てみても、著者が言わんとしていることはわかるような気がしました。「障害」がそれまでの行いの罰であり努力や善行によって克服されなければならないものだという前提って、現在でもあるような気がしますね。日本語では「因果応報」みたいな言葉もありますし。

 でも、「障害」って治すべきものなんでしょうか。もし治すべきだとしたら、どのように?努力すれば治るものなのかどうかもよくわからないのですが。

 諸外国の事情は知りませんし、国内の状況も少し知りうるくらいなのですが、ノーマライゼーションの問題は必ずしも障害児本人にとってはありがたくないものであると聞いたことがあります。その方はご兄弟が知的障害児であり、ご両親は普通学校へ通わせようとなさったそうです。が、障害児が自分を変更し健常児に合わせることで一緒に学ぶことになるに過ぎない普通学校での生活は、その方にとっては非常に負担であったらしく、不登校になってしまっただけでなく、より深刻な症状を抱えることになってしまったというのでした。

 ノーマライゼーションが、障害児が健常者に合わせて無理をするだけのことをいうのだとしたら、いっそ障害児だけの障害児に合わせた設備やカリキュラムで暮らしたほうがずっとマシなのかもしれません。普通学校が障害児を無理なく受け入れられるように変わらないままで、障害児もいることが、何か親や学校にとって正しいことをしているという満足に終わっているような気がしました。うまくいっている事例も当然あるのでしょうけども、その中に、問題が発覚していないだけ、のこともあるような気がして、気になります。

 これは、障害者問題だけでなく、他のところにも見られることのような気がします。たとえば、働き方。家事をすべて負担してくれる女性がいることを前提に会社に尽くすことだけを考えた長時間労働の職場環境を変えずに、そんな女性がいない労働者(=女性)を受け入れてみたものの、女性が無理やり男性並みに働くことをしていてやっと成立するような世界を継続して、でも、もう無理だということになってきた、など現在の日本のあらゆる状況にもあてはまるような気がします。

 プリンセス問題にもどって…

 もし、私を除くみなさんがプリンセスを目指しているのだとしたら、私はおばさんの仲間にも入れないかもしれません。が、それは仕方がない。カーブス発祥の地アメリカでも女性たちはプリンセスを目指したりするのでしょうか。現在世界中に広がっているわけですけども、他の国でも、いい歳をした女性たちはプリンセスを目指すものとしておられるのでしょうか。気になります。

 プリンセスを理想の自分と思える女性がいるとしても、そうでない人が人間として、あるいは、女性として存在していてもよいのではないでしょうか。そう、プリンセスにはならなくてもよいのです。プリンくらいにはなれるかもしれませんが、いや、プリンにもなれないかもしれません。どちらかと言えば、私は餅なのです。シラクどんとそこのところが似ているような気がします。そんなわけで、より一層親近感を持っているのでした。なんの話だ。

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コメント

えふさん
   障害問題と類似する意識の問題へのご意見に成です。何がノーマルかの前提の社会的押し付けが、社会を息苦しく(生き難く)させています。やはりValuing diversity(人々の多様性や多様な生き方の選好をポジティブに考えること)の欠如ですが問題です。。
   「プリンセス問題?」へのご発言、傑作です。ははは。自分の「プリンセス願望」だけでなく、そういえば日本女性は「王子」と言う言葉がやたら好きです。それにベッカム様、ヨン様、xx様。 昔はアメリカではファーストフッドく手軽で雑な料理)の代表でもある、ケンタッキーフライドチキンが由緒あるコーネル・サンダース大佐のレセピーで云々などと仰々しく日本では宣伝されていました。「品格」と言う字を掲げた本もどんどん売れています。手軽な「貴族趣味」への憧れとそれを利用する商業主義、まあ害もさしてないし、せいぜいご自由にとは思いますが。個人的には「その手のこと」にはうんざりです。

山口一男さん

 ありがとうございます。
 何がノーマルか、はかなりの程度政治的な問題ですね。ダイバーシティの再評価が大切、と思ったのですが、「再」ではなくて、最初の評価すらまだなんでしょうかねぇ、日本では。う~ん。

 王子問題、あるいは、「何でも王子呼称問題」については、不思議な現象です。ハンカチ王子辺りから始まって○○王子がいろいろ出てきましたが、これは、マスコミの男性が最初につけたのではなかったかと思いますが。王子の名づけは、おそらく、男性のセンスですよ。ただ、○○王子と呼ばれる人たちを女性たちが好きかどうかは別問題として存在するとは思うのですが。私は「女性週刊誌における男性編集長問題」と類似性を感じていました。意味は、女性週刊誌とくくられるものの編集方針は男性である編集長が見なす「女性にはこういう話題なら受けるだろう」という見なしではないかということです。ただ、その見なしも全くの的外れではなく、ある程度は読者ウケもしていると思いますけども。たとえば、「皇室トピック」(皇室ファッションとか麗しい家族愛とか皇室御用達品とか)などは、「貴族趣味」の範疇にはいるかもしれませんねぇ。

 ヨン様好きに関しては、いい大人の女性たちが熱狂する理由が不思議でしたので、関心を持っていたのですが、単なるアイドル指向とは少し違いもあるのではないかと思いました。ファン(=ヨン様家族)にも、いくつかの類型があるのでしょうけども、印象に残っているのは「(一般的な日本人男性が)口に出して言わないことも、ヨン様はきちんと言葉にして表現するところがえらい」という証言でした。これは、私もそう思います。そういう日本人男性は少ないのでしょうか。あるいは、自分の夫等がそんなんでそれに辟易してきた、いい大人の女性だからこそ、感謝の言葉や自分の感情をきちんと言葉にして表明する男性に好感をもったと言えるのかもしれないと思いました。
 まぁ、自分の夫等には毛も生えないほど、期待も何も残っていない女性でも、別の男性なら…と幻想を抱けるとしたら、それはそれで、あまりにエネルギッシュで素晴らしいと思いますけども。少しエネルギーを分けてくださいと拝みたいくらいです。

えふさん
  興味ある返答をありがとう。「王子」現象は女性への受けを狙った男性編集者の創造物ですか。そうかもしれませんね。ただそれがある程度あたるから、繰り返されるのでしょう。
  「ヨン様」ですが、問題にしたのは中身ではなく「様」という呼称を着けて呼ぶ文化です。ベッカムを「ベッカム様」と呼んで「崇め奉る」ような日本女性の姿は外人記者には奇異に映ったものでした。ベッカムはデイビッドとファースト・ネームで親しく呼ばれるのがふさわしいワーキング・クラス出(父親は台所修理人でした)での気さくな男だったからです。ある英文ニュースレポーターは皮肉混じりに、日本でデイビッド・ベッカムは圧倒的な人気だが、彼の名がデイビッドであることを知るファンは少ない。みなBecckham-sama (honorable Mr. Beckham) と呼ぶからである、と、書きました。
  ベッカムが「王子」現象と同じものであることはいうまでもないと思います。イメージの世界、バーチャルリアリティーの中だけにある、手軽な「貴族趣味」、それは別にかまわないのですが、現実と対応せず、彼のようなプロスポーツのスターたちの多くが、英国のような格差社会において経済的に恵まれない家庭に育った子供たちの夢でもあり、本人たちもかってその一人であって、数少ない成功例なのだという現実とまったく見ていません。イギリスとくれば皇室が思い浮かぶような、一種のエリート主義の反映のようにも見えます。それが鼻につきます。

山口一男さん?

 ありがとうございます。
 「ヨン様」「ベッカム様」などの様付については、了解しました。とくに、ベッカムさんについては、スポーツ選手の出身階級や、ある程度はそれゆえにスポーツ業界に進むことなどは、日本で憧れる人たちは認識していないのかもしれませんね。
 日本の芸能界に在日コリアンの方が多いのもそういう理由が小さくないことも聞いたことがありますが、それに関しても日本社会ではあまり認識されていない。ご本人が言わないこともあるでしょうが、言わないことも言えない環境だからでもあり、根強い偏見などのためだと思います。
 ただ、ベッカムさんをデイビッドと呼ばないのは、日本では男性は苗字、女性は名前で呼ぶような慣行とも無縁ではないのではないかという気がします。これはこれで問題も感じますが。たとえば、同じ国会議員でも女性だと下の名前で呼ばれていることですが。

えふさん
  「デイビッド」と呼ばないことは確かに文化の問題も関係していますね。でも女性議員がファースト・ネームで呼ばれるのも、女性差別というより、女子大学生などが、アメリカ化したというのか、お互いを「○○子」とかファーストネームで呼び出したことなどにも関係していて、男性が押しつけたものではないように思います。僕の学生時代にはそういう文化は全くくなかったのですが、10年ぐらい下のコーホート(現在50歳ぐらいから下の世代)に女性が友達をファーストネームで呼び合う新たな慣習が始まったと見ています。「○○子先生」とかファーストネームに敬称をつけるのは日本独自の文化です。アメリカでは、たとえばジェーン・エアという独身女性がいたとして、敬称をつけるならミス・エアで、ミス・ジェーン(日本では「ジェーンさん」の誤った英訳として使われるときがありますが)とは絶対にいいません。そういういう言い方は昔アメリカ南部の黒人奴隷が、白人の娘に呼びかけたときの言い方を感じさせます。

山口一男さん

 ありがとうございます。
 ファーストネームで呼び合うという慣習の前は、親しい間柄でも女性同士で苗字を呼び合っていたということでしょうか。
 その頃のことは存じませんが、女性が女性をファーストネームで呼び、男性は苗字を呼ぶのは、同性か異性かで多少心理的距離を置くようなこともあるからかとも思いますが、「女性は将来苗字が変わるから」みたいな感覚もあったりして、事前に変わる可能性のない(少ない)下の名前を呼んだりしている気がしたことはありました。なんでそんなことを思ったんだろうかと考えると、記憶が薄れてしまっていますが、その頃の周囲にいた女性の誰かがそんなことを言ったような気もします。で、なんか違和感をもったような…。記憶違いかもしれませんが。

 「ミス・ジェーン」が「ジェーンお嬢様」みたいな語感があるとは、知りませんでした。ふ~ん。

えふさん
   僕の時代は小・中・高校で、女性の親しい同士でも普通は苗字に「さん」をつけて呼び合っていました、男性が女子生徒を呼ぶときも同じです。でも、なかには「〇〇ちゃん」とファーストネーム(の省略形)に「ちゃん」付けてみなから呼ばれる子供がいました(特に小学校で)が、それは女性に限ったことではなく、男の子もそうで、そういう子はたいていみなに親しまれている人気のある子だったように思います。またそういうときはクラスのみながそう呼ぶので、時に親しいどうしというわけではなく、いわゆる愛称やニックネームでした。
  「ミス・ジェーン」は召使が主人の娘に使う言い方だから確かに「ジェーンお嬢様」という語感ですね。だから日本人が「メアリーンさん」というつもりで、「ミス・メアリー」などと呼ぶのはやめたほうがいいと思います。

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