猫の日って、にゃんだ。
ねこ:今日は何の日だったか、知っとるか?
ネコ:ん~?知らん~。
ね:ォマェはいつもそうだな。
ネ:知らん~。
ね:……
ネ:……
ね:「何の日?」って聞けよ。
ネ:…何の日?
ね:猫の日だってさ
ネ:ふ~ん
ね:…ォマェは~
ネ:ん?
ね:反応が薄いぞ
ネ:猫の日って、にゃんだ?
ね:2月22日をにゃんにゃんにゃんと読んで、猫の日にしたんだってさ(ここ)。
ネ:ねこが決めたのか?
ね:いや、人間だよ。
ネ:ふ~ん
ね:猫の日のこと、わかったか?
ネ:わからん。何をする日にゃんだ?
ね:猫に関連したイベントがあるみたいだ。
ネ:ねこが開催するのか?
ね:いや、人間だよ。
ネ:ふ~ん
ね:あ、でも、ねこが出演したりするイベントもあるみたいだ。
ネ:ねこは自主的な参加か?
ね:そんなわけあるか!
ネ:強制か?
ね:むずかしいところだな。
ネ:?
ね:協力、つうくらいがいいんじゃないか、穏便で
ネ:そうか
ね:まぁな
ネ:ふ~ん
ね:それで、ォマェは今日は何してた?
ネ:ここにいた
ね:ここで何してた?
ネ:いただけ
ね:そうか
ネ:うん
ね:……
ネ:こないだ猫カフェという言葉を聞いたけど
ね:うん?
ネ:猫カフェってにゃんだ?
ね:ああ、それは、猫が勤務する喫茶店のことだ
ネ:それはにゃんだ?
ね:意義とか目的とかを聞いているのか?
ネ:うん
ね:それはだな、猫好きの人間で、直接猫にふれ合う機会がない人たち向けに、ねこが接客する店だ(ここ)。
ネ:人間は喜ぶのか?
ね:そりゃ、そうだろう、わざわざやってくるんだからさ。
ネ:にゃんでか?
ね:う~ん、「癒される」とか聞いたぞ。
ネ:からだに触らせるのか?
ね:そういうところもあるんじゃないか。
ネ:ねこは自主的参加か?
ね:いや、違うだろう。
ネ:強制か?
ね:ォマェは~
ネ:ん?
ね:まぁ、勤務だな、仕事だよ。
ネ:そうか
ね:うん、たぶんな
ネ:ふ~ん
ね:一応、してはいけないことなどを人間には言い聞かせているらしいけど
ネ:そうか
ね:だけど、疲れそうだな
ネ:うん
ね:ずっと寝てるわけにもいかないだろうし
ネ:接客って、にゃんだ?
ね:そうだなぁ、人間のそばに寄ってみたり
ネ:うん
ね:人間がもっているおもちゃで遊んでやったり
ネ:うん
ね:呼ばれたら、鳴いて返事をしてやったり
ネ:うん
ね:大サービスとしては、膝に乗ったりしてやるんじゃないか?
ネ:ふ~ん
ね:ォマェ、できるか?
ネ:にゃんで?
ね:いや、どうかなと思ってさ
ネ:…してみないと、できるかわからん
ね:そうだな
ネ:うん
ね:それにしても、猫カフェ、結構、増えているらしいぞ
ネ:ふ~ん
ね:興味あるか?
ネ:うん、一度、行ってみたい
ね:客としてか?
ネ:うん
ね:店のねこと遊ぶのか?
ネ:うん
ね:ォマェ、変わってるな
ネ:にゃんでか?
ね:いや、いいけど
ネ:……
ね:猫の日のことだけど
ネ:ん?
ね:本当は、そんなイベントよりも
ネ:うん
ね:「要らないねこ」のことを考える日にしてもらいたいもんだな
ネ:?それはにゃんだ?
ね:人間が要らないと判断したねこが保健所に連れて行かれていることを知ってるか?
ネ:知らん。それはにゃんだ?
ね:飼っていたのに飼い続けることができなくて捨ててしまったり、最初から「処分」を保健所に頼んだりする人間が結構たくさんいるってことだ。
ネ:処分て、にゃんだ?
ね:ありていに言えば、殺すってことだよ
ネ:!
ね:驚かせたか?
ネ:うん
ね:ショックか?
ネ:うん
ね:そうか…
ネ:にゃんで、「処分」か?
ね:保健所の人もそんなことしたいわけじゃないらしいんだ
ネ:じゃあ、にゃんで?
ね:安易な気持ちで飼いはじめた人間が捨てる数が多すぎるから、どうしようもないってことなんじゃないか
ネ:でも、ひどいな
ね:そうだな
ネ:……
ね:他の国では、こんなことはないらしいぞ
ネ:国ってにゃんだ?
ね:まぁ、遠いところだよ
ネ:ふ~ん
ね:日本でも、「処分」に反対して、飼う人間を探す活動をしている人もいるらしいけどな
ネ:ふ~ん
ね:なにしろ、数が多いから、追いつかないんだ
ネ:そうか
ね:うん、詳しくはここを読め
ネ:ねこだから、読めない
ね:そうか
ネ:うん
ね:……ところで、ォマェ、最近、なんだか、お腹周りがぷよぷよしてないか?
ネ:そうかな?
ね:うん
ネ:…気がつかなかった
ね:気がつけよ
ネ:うん
ね:誰かに餌をたくさんもらったのか?
ネ:わからん
ね:ォマェ、しっかりしろよ
ネ:うん
ね:……
ネ:あ、
ね:ん?
ネ:お腹なんだけど
ね:うん?
ネ:子どもが入っているから、膨らんできたのかも
ね:!!!
ネ:驚いた?
ね:うん
ネ:そうか
ね:……
ネ:にゃんでか?
ね:つうか、ォマェ、メスだったのか?
ネ:うん
ね:知らなかった
ネ:…そうか
ね:うん
ネ:ふ~ん
ね:そうか~、メスだったのか~
ネ:にゃんで、知らなかったのか?
ね:いや、てっきりオスだとばっかり
ネ:にゃんでか?
ね:ええと、メスらしくない、というか、だな
ネ:メスらしいってにゃんだ?
ね:う
ネ:う?
ね:なんつうか、メスはあんまり「にゃんで?にゃんで?」とか言わないもんなんだよ。
ネ:にゃんでか?
ね:メスらしくないからじゃないのか?
ネ:トートロジーじゃな。
ね:まぁな
ネ:うん
ね:世の中の、あんまり根拠がないことは、だいたいトートロジーなんじゃないか
ネ:そうかも
ね:ォマェがメスだったとはな
ネ:にゃんだ、そんなに衝撃だったのか。
ね:まぁな
ネ:ふ~ん
ね:それで
ネ:ん?
ね:父親は誰だ?
ネ:知らん
ね:知らんのか?
ネ:うん、名前は
ね:ォマェ、そんなことでいいのか?
ネ:うん
ね:……
ネ:にゃんで、ダメか?
ね:いや、それくらい、知りたいだろう
ネ:知らない
ね:そんなことで、子どもを育てられるのか?
ネ:わからん
ね:さっきも言ったように、人間にさらわれたら、どうするんだ。保健所に行くかもしれないんだぞ。
ネ:そうだね
ね:先の見通しもないのに、なんでそんなことに
ネ:シーズンだったから
ね:……
ネ:それで、たまたま出会ったオスが何匹かいて
ね:それで、そんなことになったのか
ネ:うん
ね:ォマェもメスなんだな
ネ:うん
ね:そうか
ネ:うん
ね:…ォマェのこと、ずっと、オスだと思ってて
ネ:うん
ね:友情を感じていた、この気持ちはどうなるんだ
ネ:…メスだと友情は成り立たないのか?
ね:う
ネ:う?
ね:いや、メスだとわかったら、意識しちゃうから
ネ:そうなのか?
ね:たぶん
ネ:にゃんでか?
ね:それはメスだし、やっぱり
ネ:だけど、「メスらしくない」んじゃないのか?
ね:そうだ、でも、メスらしくないメス、だ
ネ:意味がわからん
ね:こっちも混乱してるんだよ
ネ:メスだとわかったくらいで?
ね:う、そんなに小さいことでもないぞ
ネ:そうか
ね:うん
ネ:ふ~ん
ね:あ、でも、子どものことは
ネ:ん?
ね:できることは協力するからな
ネ:そうか
ね:うん
ネ:ありがとう
ね:あたりまえだ
ネ:そうか
ね:うん
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えふさん
なかなかの独特のユーモアです。「世の中根拠のないことはだいたいトートロジー」というのは面白い。確かに自己循環的なことは多いね。
A:お前、なんで日本人だっていえるんだよ?
B:だって、日本国籍持ってるもん。
A:なんで日本国籍もってるんだよ。
B:日本人だもの、当たり前じゃん。
C:何で英語ばかり世界ではばきかせてんだろう。
D:アメリカの影響力が強いからだろう。
C:なんでそんなにアメリカの影響力が強いんだろう。
D:だって、一番の国際言語は英語だからね。
えふ:お前、なんで「にゃんで」っていうの?
ネコ:だって、猫なんだもん!
えふ:猫だって証明できる?
ネコ:もちろん。だってニャーってなくもん。
投稿: 山口一男 | 2009年2月24日 (火) 02時16分
山口一男さん
ありがとうございます。
勝手にねこたちがしゃべって会話が展開するので、あとからどうしてこんな展開になったのかは、わからないのですが、不思議です。
トートロジーの練習問題はおもしろいですね。他にも「伝統」とされる「神事」とか「しきたり」みたいなものもここに入るかと思います。大昔からとか言ってもせいぜい数十年程度の歴史しかない場合でも、もっと長い場合でも、そのときどきの時勢に合わせて柔軟に形を変えてきたから残っているはずなのに、問題にされる際には「昔からあってずっと変わらない形だ」と主張しちゃえるところが、ある意味すごいと思います。その史実性の不誠実さに対して、そして、その無根拠さに対する自信の揺るがなさに対して。疑わない怖さ、に感心します。
投稿: えふ | 2009年2月24日 (火) 21時08分
えふさん
「そうぞう」(想像かつ創造)ってそういうもんです。「ミナとカズ」のは話だって、えふさんは「論理的ファンタジー」と書いてくださいましたが、論理の部分はちがうけ「ファンタジー」の部分は結構勝手に問うじょうっ人物がしゃべったりするのです。それが、今はそれがもっとあったほうが良かったと思っています。えふさんの「そうぞう」は独特の個性があります。それがいいですね。
もう一点のほうですが。確かに史実への不誠実や、既成事実を前提とする発想には、よくであいますね。正規と非正規雇用者で、同じ仕事をしていても賃金格差があってあたりまえみたいな。歴史的にも、世界的にも、ぜんぜん当たり前ではないのにね。でも僕の場合「感心」していられません。そこからまず問題にするわけですから。
投稿: 山口一男 | 2009年2月25日 (水) 03時08分
えふさん
すみません、ワープロミスいくつか修正せずに送ってしまいました。
投稿: 山口一男 | 2009年2月25日 (水) 03時12分
山口一男さん
「そうぞう。」は不思議な世界です。私の場合は内容はありきたりですが、書いていると勝手に展開していく感じがおもしろくて、でも、全く思い浮かばないときは浮かんできません。
「ミナとカズ」の話は、続編でもっと自由にしゃべらせればいいかなと(笑)。
「当たり前を疑う」は社会学の王道ですね。「当たり前だと思っていることが、実は当たり前ではない」とかって読んだ時に「そんなの、あたりまえだ」と思いましたが、意外と斬新な態度らしいです。そちらにいくらか驚いたような記憶がありますが、当たり前を疑わない人のほうがマジョリティだということなんでしょうか。そこらへんが、不思議です。なので、いったん、感心したりしてからでないと、出発できないみたいです、私の場合は。要領が悪いですが。
投稿: えふ | 2009年2月25日 (水) 23時34分
そうですね
当たり前でないことを、多くの人がそう思いこんでいるから当たり前としている人がマジョリティーです。人間の情報処理能力はコンピューターと違うし、
細部が正確かどうかをチェックせずに、積み重ねてったり、忘れていったりするので、そうなるのでしょう・そういえば以前引用していただいた男女共同参画局講演で「当たり前のこと」と「当たり前でないこと」というのを羅列しました。ポイントは後者の強調でしたが(多くの人は前者が当たり前なら後者も当たり前と思っているようなので)、これ日本の雇用慣行バージョンも作る価値がありそうです。
投稿: 山口一男 | 2009年2月26日 (木) 00時53分