ベルヌ条約め!
グーグルが世界中の書籍をデジタル化して、自由に全文検索をできるようにするプロジェクトを始めていて、アメリカではいくつかの大学図書館が所蔵書籍をそのプロジェクトに提供することに決めたなどというニュースは以前から聞いていたのですけども、それに対する著作権者団体がアメリカ国内で集団訴訟を行い、グーグルとの間で和解をみたそうです。
が、この集団訴訟というやつ、なぜか、日本国内で日本語の書籍などの著作権者にも影響が及ぶとか。日本だけではなく、世界中の著作権者に波及するのだそうです。って、集団訴訟ってなんだんだ、と思うんですけど。
それで、2009年2月24日付読売新聞では、「法定告知」が掲載されておりましたよ(ここ)。この和解条項を適用除外にしたければ、申請をしなくてはならないんですってよ。で、その期限が2009年5月5日だってさ。なんだか、勝手なんじゃないかって感じがしますけれど、ベルヌ条約がそれを可能にしているようです。
これに該当する著作物の定義ですけど、「書籍」には「2009年1月5日以前にハードコピーの形で出版または配布された小説、教科書、論文およびその他の執筆物等の発売中の執筆物を指します」だそうです。
2009年2月25日付読売新聞でも、この件、記事にされていました(ここ)。
2009年2月23日付朝日新聞でも、大きめの記事があります(ここ)。
ベルヌ条約と言えば、とくに、3年前でしたっけ、あ、2004年4月1日からそれまで50年だった映画の著作権保護期間が70年に延長される法の施行日に関連して、2004年3月31日にいったん切れるか切れないかで騒ぎがあったり、その他いろいろありましたが、保護して得するのはごく少数の「そんなに時間が経っても観られる映画」だけだという議論もあり、広く知らしめたいのか独占的に利用を制限するのかについて、利権も絡むのでむずかしい問題があります。もう5年も前ですよ。
あと、「戦時加算」とか、複雑ですねぇ。まぁ、今日はあまり立ち入るのはやめることにしましょう。よくわからないというのもあるし。
それにしても、アメリカでクラス・アクション(集団訴訟)が社会変革の手段として使えることがうらやましい思いでいた身としては、別のイシューに関しても、日本に波及しないのかという気がするんですが。性差別などはクラス・アクションが有効そうなイシューなのに、「日本ではないからねぇ」みたいに聞いていたのに、今回、なんとかならんのかと思いました。
その場合、ベルヌ条約に該当するとすれば、女性差別撤廃条約ですが、あっても、批准しないんじゃ意味ないという…。う~む。個人通報制度を使いたい人はいっぱいいるんだろうになぁ。だから、使わせないんだろうなぁ。むむ~。
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コメント
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えふさん
「女性差別撤廃条約ですが、あっても、批准しないんじゃ意味ないという… うーむ」は選択議定書の批准のことですね。国連への通報が有効な手段か否かは別として男女差別の撤廃についての日本政府の及び腰には、ジェンダー問題への強い文化的保守主義が背景にあると思います。裁判員制度なんて問題の多い制度をいともたやすく導入するのに。国連は法的拘束力のない勧告程度しかできず、勧告なら通報制度がなくたって独自の調査でできるし、議定書批准によって日本の裁判権が犯されるなどありえない。要はわが国における男女平等のあり方について、日本の外からあれこれ言われるのが嫌だということの口実で、条約批准自体が真摯なものでなかったことがわかります。条約に批准した以上、議定書に批准できない正当な理由はなく、それなのに嫌なことには本音を言わずもっともらしい理由をつけるという日本型議論そのもので、そういう一貫性のなさが国際的信用を失うのですが。
投稿: 山口一男 | 2009年2月26日 (木) 08時17分
山口一男さん
ありがとうございます。
はい、「選択議定書」のことでした。この書き方だと、本体条約も未批准のように読めますね。
おっしゃるように、裁判員制度をうっかり作ってしまって、本当にどうするんだろうと思います。もちろん、市民参加がもたらす意味にはポジティブな面がないとは言い切れないと思いますが、関係者はネガティブな面を心配しています。とくに、ジェンダー問題については、って、ほとんどがこの要素を含むのですけど、「市民感覚」って怖いと思います。従来のジェンダー規範をそのまま出してしまうことになりやしないかということなのですが。
「選択議定書」の批准を望むサイドは、法的拘束のない勧告のほうに、日本政府の姿勢よりも、期待するわけなのです。これがもっとも罪が重いと思います。自分の国の司法に期待できない(させない)状況の放置のことですが。
投稿: えふ | 2009年3月 4日 (水) 23時35分
えふさん
そうなんです。「市民感覚」に男女の伝統的分業規範が当然と思う考えが影響するとか、「正規雇用者」と「非正規雇用者」は不平等に扱われて当然と考えられるとか、怖いんです。昔人民裁判なんてのもありました、市民は時には偏見に満ちています。大勢にしたがって平気で人を差別します。「ライオンとねずみ」で裁判員制度を批判したのですが、もっと徹底的にやればよかった。
投稿: 山口一男 | 2009年3月 5日 (木) 07時47分