極めて快適です。
接続ができなかったり、IEの調子が悪いということは以前も書きましたが(ここ)、昨年の6月のことでした。
ですが、対処法も教えてもらったので、自分なりにこのPCとのつきあい方を学習し、PCに合わせ、調子が悪いときは再起動してすぐにF8を押してさらに再起動してなどという手間をかけておりました。メモリを増設すれば、解決するかもしれない、と知っていたにも関わらず、だんだん、こういう使い方がふつうになってしまっていたのでした。
今月、少し安く買えるという特典情報を入手したので、今回はすぐに注文し、本日届きました。さっそく増設して、使い始めましたが、極めて快適です。まず、起動の際に、ネットに接続できないということがありません。さらに、接続だけでなく処理速度がかなり速くなりました。素敵です。
そのことで、これまでいかに不便さに慣らされてしまっていたのかということを思い知りました。かなりの不自由さに甘んじていたのです。もっと早くメモリ増設を実行すればよかったという思いがいたします。
今回のことでわかったのは、不自由さに慣れ親しんでしまうと、それを不自由だとは感じなくなり、当たり前のことだとの感覚になってしまうのではないか、ということです。このように考えると、PCの調子の悪さだけでなく、普段の生活のさまざまな場面で同様の不自由さを、そうとは感じずに受け入れてしまっているのではないか、という疑問が湧いてくるわけです。
たとえば、仕事上、日常業務なので当たり前のようにしなくてはならないものだと思っていることでも、よくよく考えてみると、別にしなくてもいいのに、習慣でやっているだけのことなどはいろいろあるような気がします。それから、規則で決まっているわけでもなんでもないのに、自ら何か拘束されていることもありそうな気がします。
そのように、受け入れなくてもいい不自由さなのに、それを受け入れてしまって慣れてしまっているので、すでにそれを不自由とは感じることができなくなっているのではないかとか、我慢しなくてもいいことを我慢しているのに、我慢することはあまりに当たり前になってしまっているために、自分が我慢していることすらわからなくなっているのではないかなどなど、こういう観点から振り返ってみると、不必要な我慢や不自由を発見することができるかもしれません。
仕事の面だけでなく、プライベートな人間関係とか、その他の場面でも、少し何かを変えれば、かなり快適になる可能性のあること、あるような気がします。
まずは、不必要な不自由から解放されるために、知らず知らず不自由さに捕まっていることはないかどうか、点検してみるといいかもしれません。
ただ、ひとの中には、不自由であることが好きな方もおられるようですので、そういう方は特別不自由さから解放される必要はないのかもしれません。
私はここ数日、微熱に捕まって不自由な思いをしていましたが、今日病院に行って解熱剤を処方してもらい飲んだところ(昨日も行ったのに、それなりの理由があって処方箋を出してもらえなかったのです。が、その障壁を今日はクリアして再度トライでした)、平熱に下がり、かなりからだが楽になりました。これも、不自由からの解放の一種ですね。平熱に戻ってみて、新鮮に「あ、からだが楽だってこんな感じだよ」と思いました。36.5℃のありがたさを今しみじみ感じているところです。
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