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2009年5月10日 (日)

母の日に、母親になるのにベストな国ランキングについて考える。

 母の日と言えば、自分の母に何かをプレゼントする程度のことしかしてきませんでしたが、母になる前後に生命の危険が高い女性も、世界にはまだたくさんおられます。近年では、日本でも、母になる直前後の医療体制が崩壊していることが明らかになったばかりで、父になるのに、それを理由として命を落とす人はいないのに対し、母は命がけなのですね。完全になくすことはむずかしくとも、減らすことは、まだ十分の努力の余地がありそうに思います。

 イギリスのNGOであるセーブ・ザ・チルドレンがおもしろい調査結果を出しています(ここ)。これは、毎年母の日にあわせてなされていたことなのですね。私は今年初めて知りましたが。

母親になるのにベストな国ランキング
~日本は今年も30位以内に入らず、トップは常連スウェーデン~
子どもたちのための民間の国際援助団体(NGO)セーブ・ザ・チルドレンは、母の日を機会に母親に注目することで、子どもについて考えるきっかけを作るため、毎年、母親になるのにベストな国ランキングを含む「母親指標(Mother's Index)*1」を発表しています。記念すべき10回目となる今年は、昨年より12ヶ国対象国が増え、過去最多の158ヶ国における母親と子どもの状態を分析しています。

その結果、日本は34位となり、昨年の31位から3つ順位を落としました。2005年にランキング対象国となって以来、最低のランキングになっており、2006年以降毎年順位を下げています (2005年14位、2006年12位、2007年29位、2008年31位)。

続きは、サイトに行ってみてください。

 私が興味深いと思ったのは、指標が3つある点です。「母親指標」「女性指標」「子ども指標」です。「母親指標」は他の2つの総合指標のようになっていますが、日本の場合、子ども指標のほうが女性指標よりもランキングが高い、というのも、納得です。子どももそれほど大切にされているとも思えませんが、それよりも、女性は大切にされていない、という感じがします。「子どものために」という理由は通りやすいけれども、「女性のために」とか「女性の権利」というと、途端に、通りにくくなる感じを、私は持っているわけです。気のせいかもしれませんが。

 日本の場合、「母親指標」は上にあるように34位、「女性指標」は36位、「子ども指標」は8位だそうです。指標に含まれる要素も重要です。これは、

*1「母親指標(Mother's Index)」
158ヶ国における母親の状態は、下記の母親と子どもの指標をベースに比較しています。

1.産婦死亡のリスク 
2.現代的な避妊手法の使用 
3.訓練を受けた医療従事者の立会いの元での出産 
4.女性の平均余命 
5.女性の正規教育期間 
6.男女間の給与所得の比率 
7.産休・育休制度 
8.女性の国政レベルでの参加率 
9.5歳未満の子どもの死亡率 
10.5歳未満の子どもの栄養不良児率 
11.就学前教育就学率
12.初等教育就学率
13.初等教育就学の男女比
14.中等教育就学率 
15.安全な水の利用率

*2「女性指標(Women's Index)」は、主に母親指標の1~8を中心に比較しています。
*3「子ども指標(Children's Index)」は、主に母親指標の9~15を中心に比較しています。

 ということだそうです。

 以前に、gender gap indexについて少し書きましたが(ここ)、こういう指標って、その成り立ちも含めて見てみると、とてもおもしろいと思います。

 指標を作ったら、それをおもしろがるだけでなく、よりよい方向に変わっていくにはどうすればいいのかも同時に考えなければなりませんが。

 母の日に、すでに立派に母をやっておられる女性たちに感謝の気持ちを表すのも大切でしょうが、母になる前やなりかけ、なりたての女性たちのことも考えてみる機会にするのもとても大切なのだ、と思いました。

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コメント

えふさん
  素朴な疑問ですが、「母親になるのにベスト」で何なのだろうと考えてしまいました。「子供になるのにベスト」は子供の健康や教育が保障されている程度というのはわりと納得がいきます。まあ、あとは親や身近な人々に愛されて育つという点があると思いますが、指標化するとすればポジティブ指標は測定が難しいので、ネガティブ指標として「幼児・小児の虐待率(人身売買を含む)」の低さでしょうか。これはご報告の指標には入っていませんね。でも重要です。
   1-8の女性指標のほうですが、リプロダクティブ・へルスとか、男女の経済力・政治力格差、産休・育休、女性の平均寿命・教育年数など雑多ですが、「母親になるのにベスト」という定義だと、いまひとつピンときません。女性が母親となることで制約を受けにくい制度ということであれば、産休・育休と、産婦死亡率の低さ、医療専門家立会いのもとでの出産、避妊手法の無さは制約を減らすのではこれらはまあ妥当ですが、後の4つは母親になることに伴う制約とはいいがたいし、これですべてなのかというと、それも何だか曖昧です。例えば男女の経済格差は確かに女性に制約になりますが、男女給与所得差ではかると、育児期の女性がパートタイムで働くこと、あるいは一次的に子育てに専念し専業主婦になることが、母親にとってベストでないことになってしまう。「就業者の時間あたり賃金の男女格差」なら、こういう意味合いが無いので納得がいきますが。
  一般に大人は多様な選好持っているので、子供のようにこれこれが保障されればベストというよりは、より多くのより多様な機会があるということが重要に思います。そのうち特に母親であることと結びついた機会というのは、例えば育児を通じたコミュニティー内の人々との支えあいや、育児が喜びとなる社会のしくみの存在を指標化する必要がありそうなのですが、1-8にはそういったものが見当たらないのが、僕には不思議なのです。例えば夫婦の育児のシェアの程度とかも入っていない。何だかフェミ指標が、そのまま「母親になるのにベスト」とされている気がします。これは一寸変です。

山口一男さん

 コメントありがとうございます。

 そうですねぇ、確かに、「母親指標」は「フェミ指標」とのご指摘は的を得ているように思います。まぁ、職業面での達成や参画のみがフェミ系とは言えないとも思うのですが。

 育児を楽しめる制度的しくみや制度ではないコミュニティ内のサポートも指標化したほうがいいですね。あとは、測定がむずかしいのかもしれませんが、子育て責任の重さを測ることも重要かと思います。母親にかなり比重がかかっているように思うからです。子どもを預けて「遊び」(仕事ではなく)に行くことがどの程度自由にできるのかなどもシステムの有無だけではないと思います。「母親らしさ」の拘束が弱いとか、多様な母親イメージと実例があることも大切かも。「母親なんだから、○○しなさい」が硬直していると息苦しそうです。

 それから、必ずしもシングルマザーである必要はないと思いますが、シングルでない母親も含めた環境のことを測定するためにも、シングルマザーの経済的困窮度が少ないことも指標に入れる必要があるのではないでしょうか。

 子どもの虐待だけでなく、両親間のDVなど家庭に暴力がないことも、子どもの福祉だけでなく、母親であることに重要なことかと思います。

 さらに、「男児選好」など子どもの性別によって、母親にプレッシャーを与えない社会かどうか、も入れるとよいですね。

 ついでに、不妊の女性が母親にならねばならないプレッシャーから自由であるかどうかも必要な気がします。つまり、母親になる/ならない自由があるかどうかがない社会に、母親である自由があるとも思えないからです。

 「女性の相対的貧困率」および捕捉率、「子どもの相対的貧困率」および捕捉率なども入れたほうがいい気もしてきました。

 と、あれこれ考えると、ご紹介した指標はかなり不足要素があることがわかりますね。国際比較に耐えるだけのデータセットが揃っているかどうかで比較したくてもできないことも多いのでしょうが。

えふさん

>「職業面での達成や参画のみがフェミ系とは言えないとも思うのですが。」

そうですねえ、DVとかセクハラ問題もフェミ系の中心課題でしょうから。

>「育児を楽しめる制度的しくみや制度ではないコミュニティ内のサポートも指標化したほうがいいですね」

おっしゃるとおりです。

>「あとは、測定がむずかしいのかもしれませんが、子育て責任の重さを測ることも重要かと思います。母親にかなり比重がかかっているように思うからです。子どもを預けて『遊び』(仕事ではなく)に行くことがどの程度自由にできるのかなどもシステムの有無だけではないと思います。『母親らしさ』の拘束が弱いとか、多様な母親イメージと実例があることも大切かも。『母親なんだから、○○しなさい』が硬直していると息苦しそうです」

これはすごく面白い視点です。ただ測定以上に、責任の重さの問題なのか、その責任のへの偏りの問題なのかを明確にする必要があるでしょう。僕が育児における夫婦のシェアの程度と言ったのは後者の意味です。ただし性別役割規範が(育児の主たる責任は母親)その偏りを生んでいるいるかどうかは態度調査でわかりますが、社会指標に態度指標まで含めるかについては議論が分かれると思います。親(父親を含む)責任の重さそのものを「母親にとってベスト」でないと見ることには意見が分かれそうです。

>「それから、必ずしもシングルマザーである必要はないと思いますが、シングルでない母親も含めた環境のことを測定するためにも、シングルマザーの経済的困窮度が少ないことも指標に入れる必要があるのではないでしょうか」

これは結構難しい問題です。シングルーマザーの経済的困窮度は社会によってシングルマザーがどのぐらいいるかによってもインパクトが大きく違います。片親のみの欠損家族の割合はわが国は3%ぐらいですが、もし事実婚(結婚していないが男女が同棲して子供を持っている)を欠損家族に含めると欧米では30%を超えるでしょうし、この差を無視できませんが事実婚をj除外するとしてもその他の欠損家族と区別するのも容易ではありません。 

>「子どもの虐待だけでなく、両親間のDVなど家庭に暴力がないことも、子どもの福祉だけでなく、母親であることに重要なことかと思います」。

これはそのとおりですね。

>「さらに、『男児選好』など子どもの性別によって、母親にプレッシャーを与えない社会かどうか、も入れるとよいですね。

西洋では気がつきにくい点ですね。儒教的価値観の影響のある国の特質です。米国のヒスパニック系では『女児選好』が見られますが、これはどう考えたらいいでしょうね。また欧米を含む多くの国では男女の子供をひとりづつ持ちたいという選好があるので、最初の2児が共に男子か共に女子であると、三番目のこどもを望む傾向が見られ、これも母親にはややプレッシャーとなるかもしれません。選好そのものよりも、規範的締め付けが外からあるかどうかが息苦しさを与える気がします。雅子さまの悲劇は宮内庁によってもたらされた面が大きいと思います。

>「ついでに、不妊の女性が母親にならねばならないプレッシャーから自由であるかどうかも必要な気がします。つまり、母親になる/ならない自由があるかどうかがない社会に、母親である自由があるとも思えないからです」

すばらしい! これ「ついで」じゃないですよ。指標化できるか否かは別として、極めて原則的な点ですね。大賛成です。普段「自由主義者」を標榜している僕ですが、「お株を奪われ」ました。脱帽です。

>「あれこれ考えると、ご紹介した指標はかなり不足要素があることがわかりますね」

そう思います。指標はその妥当性を含めて自分たちで考えていくための目安とすべきでしょう。単なる批判の対象や、単なるお墨付きとするではなく、何が不足(あるいは不適切)なのかという議論が大事ですね。

山口一男

訂正です

責任の重さの問題なのか、その責任の女性への偏りの問題なのかを明確にする必要があるでしょう

山口一男さん

 褒めていただいてありがとうございます。なんだか、嬉しいです(笑)。

 「男児選好」の部分は、少し説明が足りませんでしたが、例を出していただいたように、産まれる子どもの性別が男性か女性かについて、母親に責任があるかのような考え方があるように思うので、そのことも問題にすべきだと思っています。
 ヒスパニックの「女児選好」というのは、知りませんでしたが、どうして選好されるのですか?日本でも最近では娘がいることが好まれるようになりましたよね。理由は、老後の面倒(主として介護かも)を見てもらいやすい(頼みやすい)とかですけど…。
 インドなどでの「男児選好」という現象は、「選好」というような言葉では、実態の過酷さをうまく表現できていないかもしれません。「女児殺し」というと、言葉が強烈ですが、実態にあっているのかもしれません。いずれにしても、「規範的締め付け」ですね。

 「子育て責任の重さ」と書いた部分ですが、これは責任の偏りのつもりでした。ただ、私のイメージでは、カップル間において妻か夫か(母か父か)に責任の偏りがあるかどうかということではなく、もちろん、子育ては直接は親が担うことになっていることを否定しませんけども、父母間だけを意味するものではありませんでした。父母間での偏りも重要ですが、カップルだけに子育て責任を負わせるのはむずかしいと思うので、さらに、コミュニティや国など、制度ではない部分と制度的な部分での責任がどのように分布しているのかも問題にしたいなと思っていたのでした。
 ただ、このことは、別のことにも含まれていて重複があります。つまり、母親が遊びなどのために子守りを誰かに頼んで出かけられるかどうか、できたとしても後ろめたく思わなくていいかどうかといった点を問題にしているのと重なりがあると思いますし、制度的及び非制度的なサポートの有無とも重なる部分があると思います。
 また、このとき、夫に預けて出かけることもあると思いますが、別の人に預けて、カップルで出かけることができるか、さらに、それを少なくとも非難されたり後ろめたく思ったりしなくていいか、ということでしょうか。

 以上、あまり整理された書き方になっていないのですけども、責任の偏りを議論する際の前提が違っているように思いましたが、違うでしょうか。

えふさん
  ヒスパニックの「女児選好」ですが、女性の子ほうが男性の子より生涯にわたって親よ親密な関係を持ちやすいという理由のようです。介護のための「女児選好」というのはひどいですね。介護は女性の役目と負う伝統的性別分業が前提だし、親子関係に打算で選好が決まるというのは、男子が将来経済的に親を支えるから男子を好むというのと基本的には同じ発想ではありませんか。
  親の責任ですが、ニグレクトなどという場合は別ですが、親の子供への責任の取り方・ありかたも多様性があってよいと思います。一律の規範でこうあるべきというのは息苦しいですね。責任の取り方に自由がない社会に真の責任などないのではないでしょうか。もちろん権力者が責任の取り方の自由の名のもとに実際は責任逃れをするような行為は困りますが。

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