よくないがよく知っている環境と、知らない新天地とのあいだ
今いる場所が、そんなにいいところではなくて、そこよりも別の場所がよいらしいと情報が入って、おまけに「おいで」と誘ってもらえて歓迎までされていると聞いているのに、それでも、あれこれと理由をつけて、よくないがよく知っている環境を変えようとしない人がおられます。そんなに珍しいことではないのかもしれませんけど。
「しないいい訳はすぐに100も思いつく」というのは、私が作った言葉です。私よりも先に、言ったことのある方は教えてください。それをおぼろげに覚えていて、自分が作ったと思いこんでいるかもしれませんので。
これは、よくないがよく知っている環境から、知らないがよいらしいと情報の入っている環境へと移動しない理由はすぐに100も思いつく、と言い換えることもできるでしょう。
知らない場所へ行くときは、それが単にちょっとしたお出かけなら大したことがなくても、それなりに準備や手続きが必要で、そんなにすぐに戻ったりできないような場所であればあるほど、いろいろと不安を感じて当然と言えます。
が、よくないがよく知っている環境というのは、よく知っているという点にのみ、なんらかのプラスの意味があって、それを捨てて知らない環境へ移動するコストが高いだけかと思っていました。
でも、それだけでもないのかもしれません。よくないがよく知っている環境からは、「よくないこと」を得てもいるのだと考えることもできるのです。今日わかったのですが。
つまり、よくないことを日々経験しつつ、それをよく知っていて馴染みのあることとして、それに対して嫌だと思ったりすることまでも習慣化してしまっており、その習慣を手放すこともしたくないというような、そういう悪い習慣かもしれないことも、習慣であるがゆえに、止められない、あるいは、止めたくない、とどこかで思っているということもあるのではないか、ということなのです。
それぞれの人生なのだから、最終的には自分で決めればいいことなんですが、客観的に見れば、環境を変えたほうがいいだろうと思うような状況にいて、それでも、あれこれ理由を見つけながら、そこに居続けたい人というのがいるのですね。
あ、でも、「客観的に見れば」と書きましたが、この場合も、言葉が少し足りなくて、「よりよい環境に自分を置くためには、新しい環境に移動することも厭わないタイプの人から、客観的に見れば」でしょうか。前半の部分は、必ずしも、誰もがそういう指向を持っていないのではないか、と思えば、腑に落ちない行動にも、説明がつくかもしれないです。
そんなことで、これまで聞いていた言葉だけをそのまま受け取れば、移動しないはずはないだろう状況で、移動しようとしないのは、たぶん、私の前提が間違っていたのでしょう。
つまり、よくないがよく知っている環境と、知らない新天地との比較において、前者を選びたい指向と、それだけでなく、実は「よくない」ってことが、必要な人というのもおられる、ということなのかもしれません。
それだけでなく、単に、環境を変えるのが面倒、っていうのもあるんでしょうね。
ま、ひとの人生ですから。
このフレーズ、フランス語にありそうですね、慣用句として。ないか?ありそうだけど。
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