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2009年8月 9日 (日)

死が決定的な状況で、自分を貫けるということ。

白バラの祈り -ゾフィー・ショル、最期の日々- [DVD]

『白バラの祈り -ゾフィー・ショル、最期の日々』

 ヒトラー政権下のドイツで、その政策を批判する政治ビラを配布したことがわかってしまい、逮捕され処刑されてしまった21歳の女性を中心とする話です。ゾフィー・ショルさんは、現実に存在された方でした。

 映画は、逮捕されてから取り調べを受け反論する場面などが中心で、あまり動きのない場面が多いです。内容が深刻なので、あんまり安らかな気持ちでは観ることができませんし、リラックスした姿勢では観られませんでした。DVDプレーヤーが調子が悪いこともあるんですが、机上のPCで再生して視聴したため、椅子に座って背筋を伸ばして拝見しました。だけど、そんな気分になる内容ではあります。

 死が決定的な状況で、ここまで自分が正しいと思うことを貫けるものなのかということが気になりました。勇気ある女性、ということなのでしょうけども、そして、その解釈が間違っているとも思いませんが。しかし、逆に、死が決定的だからこそ、自分を曲げることを選ばずに済んだかもしれない、という気もするのです。つまり、もし、この時代に、この状況で、主張の仕方によっては、その後の処遇に違いがあるかもしれないと期待できるような状況であったのならば、もし、そういうことが少しでも考えられるようならば、ここまできっぱりとした態度を取り続けることができたのだろうか、と思います。そういう期待の余地が微塵もないからこそ、むしろ、信じることに一貫性をもてたのかもしれないという気もして。史実をよく知らないので、勝手な解釈なのですけども。

 21歳の若さで信念を貫き通した彼女には、敬意を感じずにはおれません。が、信念がそれほど強固でなくても、途中で少し曲がったり修正したりしても、信念がなくても、ぼんやりしていても、処刑されたり自由が奪われたりしないで済むような世界のほうが、いいです。

 隠れて政治ビラを配ったりしなくても、地下活動をしなくても、堂々と政治的行動をとれるような世界のほうがいいですよね。

 この時代にドイツが行ったことは、後世での評価は知られているとおりですけども、渦中で、それもドイツ国内で、そのような見方をできていたことに感心しました。

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映画」カテゴリの記事

コメント

えふさん、おばんでごわす。

このDVD、まだ観ていませんが、観たいと思っているものです。

以前、「善き人のためのソナタ」という映画を観ました。
まだドイツが西と東に分かれていたころのお話です。
東ドイツの諜報部員が、ある一人の演劇人の家を盗聴するのです。
盗聴することを通じて、諜報部員は自由の尊さに目覚めるというあらすじです。

ドイツという国は、戦前、戦争中、戦後に渡り、国のアーカイブにその時々の記録をしっかりと保存してあるのだそうです。
だからこそ、当時を振り返っての映画が、史実に基づいて、作れるのだ、とスイス人のフランス語の先生(彼はスイスでもドイツ語を話す地域の出身)がおっしゃっていました。

えふさん
  毅然とした態度は死が確実だから取れたのかも知れないという想像はとてもさめた見方ですが、どうなんでしょうか。条件次第で態度が変わる人は最初からリスクの大きい行動をしないとも考えられるし。またリスクの大きさを意識していない軽率な行動であったとも考えられますが、その場合は、確かに条件次第で、毅然とした態度は取れないということも考えられます。圧政的な政府に刃向かう行動をする人はそのリスクについてどの程度正確な意識でしているのでしょうかね、
  今回解放された米国の2人のジャーナリストの場合もですが。アメリカも正攻法でなく、恩赦を願うという形で、2人を救いました。つかまり、開放されたのが、日本人ジャーナリストだった場合、日本の政治家がクリントン氏と同じ行動を取った場合、北朝鮮の「顔をたてた」この方法に批判も起こりそうです。僕自身は実質を取ったアメリカのやり方に賛成ですが。
  MIALEUSESさんの見た映画、僕も見ました。
盗聴されていなかったのに、密告されなかったことを知った劇作家が自らのリスクを犯しても自分を権力に密告しないという選択をした盗聴者を探し出してお礼をしようとする行為に不思議な感動がありましたね。
  今回は自らの良心のためにリスクを犯す行為の選択ということに、ちょっと思いをはせる記事でした。そういえば会社の命令なら、不正行為でもするという若者が増えている世相も、今の若者の置かれている状況の厳しさもさることながら、さびしいですね。僕としては。
  このまえある本で著者から名指しで僕=(山口)は自分が雇用保障の安全な地位ににいるので、「正規雇用の保障を緩めて非正規との均等待遇を推進せよ」などといえるのだと批判されました。その安全な地位(米国大学の終身身分保障=テニュア)を得るまでに、僕は40歳になるまでかかったのですがね。

miauleuseさん、イルフェショー エ ユミッド。で、ヤな感じ、ってのは、どう言えば?

 『善き人のためのソナタ』ですか。私はまだ観ておりませんが、観てみたいと思いました。

 ドイツのことは(も)、よく知らないのですけども、戦後の反省などについては、見習うことが多いような気がします。そのアーカイブス、素晴らしいですね。日本では、現在でも、話題にすることすらできにくいことが多いのに。特に、今の時期は、参拝するだの、しないだの、公人か私人かだの、その他諸々、何年経っても進歩しない事柄が多くて、なんでだろうと思うことが多い時期です。

 記録の保存とともに、記憶の保存も、国家的事業として整備しなくてはならないような気がします。戦争の記憶をもつ方も年々少なくなっているのですから。

山口一男さん

 リスクの見積もり方とその予測の正確さについては、確かにいくつかの見方があるかと思います。
 この映画に関しては、いくつか主人公女性が想定していたことが裏切られるんです。だから、私はそういう感想をもったのだと思います。裁判場面など、あまりにひどくて驚きました。裁判なのに、判事一人がわめき散らして刑が決まってしまうのは、あんまりです。

 アメリカ人ジャーナリストの解放の件は、私は現実的で評価しています。おかしいところを指摘しようとすれば、当然あるのでしょうが、しかし、筋を通すことで人命を犠牲にした事件(イラクで日本人男性が拘束されて犠牲になった)を思えば、生きて連れて帰ってこそ、という気が強くします。比較するのはおかしいかもしれませんが。

 miauleuseさん、ご紹介の映画、ご覧になったのですね。やはり、私も近いうちに観てみたいです。

 「自らの良心のためにリスクを犯す行為の選択」と一般化すれば、いろいろと考えられることが広がる気はします。映画に内在化した議論だと、やや違う印象があるかとは思うのですけど。
 新入社員の意識調査結果は、現在の状況にかなり依存的だとは思うのですけども、「不正行為」の内容や、回答者がそれをどのようなものと解釈したかによっても、かなり結果が変わってくるのではないでしょうか。私は、もう少し「不正行為」の内容を具体化した結果を知りたいなと思いました。そこまで、本質から外れるほど、若者の職業倫理感がひどいことになっているとも思えないのですけども。

 批判の具体的内容や文脈がよくわからないので、なんとも言えないのですけども、想像では、山口さんのご主張を誤解あるいは部分的または表層的にしか理解なさっていないからではないか、という気がします。

 一般に、批判したい議論があった場合の、議論(批判)の仕方のバリエーションに、その相手の現在の立場(肩書き)への批判をするという形式がままあるような気がします。ご主張に内在的な議論にならない点が、建設的な批判を受けたい人にとっては不満足だし、批判・批評としても、その質としていかがなものか、という気がします。

 いろいろと「質」を問わなくてはならない気がしてきました。批判・批評も質の高さがもとめられています、この人(=私)によって。

 議論の内容を批判することなしに、主張者の立場を批判するような批判というのは、なんだかとても恥ずかしいような気がしてきました。ここまで書いてきて。う~ん、それって、恥ずかしくないですか。しみじみしますね。

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