フィンランドに学ぶ教育と学力。
フィンランドのことは、以前から関心を持っており、このブログでも、いくつかの書籍に関することを書いてみたり、フィンランドの風呂のことを日本で購入した入浴剤によって思ってみたり、何度かしております。
久々に、フィンランドについて書かれている書籍について、ご紹介しましょう。
本書は、4章からなります。細かい目次と、冒頭部分については、amazonで検索すると、「なか見検索!」で公開しておられますので、そちらをご参照願います。
はじめに
第1章 フィンランドの子どもと教育の今
第2章 学習社会を支える教育システム
第3章 格差を産まない社会ー多様性の尊重と福祉・発達保障
第4章 フィンランドの教育の歴史と背景
あとがき
全体として、フィンランドの教育を礼賛する内容ではなく、課題にも触れており、冷静な内容となっている印象を受けます。
PISAでフィンランドの子どもの学力が高いと評価されて以来、日本だけでなく、諸外国からもフィンランドの教育システムに関心がもたれているようですが、そのことに、フィンランドの人たちは戸惑っておられるようです。また、その部分だけを注目されるのも、きっと、あんまりよい感じがしないのではないかと思うわけです。
ま、それは、ともかく。
第1章では、タイトル通りの複数の文章があるのですが、この人(=私)が気になった点を挙げておきます。あ、本書は不思議な章立てになっているような気がします。というのは、普通は、共著の場合でも、ひとりひとりの著者が1章ずつを担当するような執筆をしていることが多いと思うのですが、本書では、章の中にさらに2つから4つの文章がそれぞれの書き手によって収められているからです。
で、第1章の1つの文章では、フィンランド人の読解力が優れている点について、国を挙げて母語力向上に努めてきたというルク・スオミプログラムが紹介されています。それは、
① 読み書きのスキルを高め、文学に関する知識を増やす事を視野に入れながら、すべての教科のカリキュラム開発を行うこと
② 学校図書館を改善し、学校ー公共図書館間の連携を促進すること
③ 基礎教育と特別支援教育間の連携を強化する試みとして、読み書きのスキルを高めること
④ すべての教科を通じて、読解力、特に演繹的・批判的読解力を高めること
⑤ さまざまなジャンルの文章を書くこと、すべての教科において書くことをベースにした学びを推進すること
⑥ 男子生徒に対する教育を改善すること
⑦ 才能児に対する特別教育を行うこと
の7つのプロジェクトから構成されていたそうです。
ただ、不思議なのは、国家プロジェクトでありながら、参加は、自治体、学校、新聞協会、図書館協会、各図書館などの任意だったということです。
数学的・科学的リテラシーにおける好成績については、理数科教育の推進をねらいとして1996年にスタートしたLUMAプログラムの成果が挙げられているのですが、これは、学校教育だけでなく、成人教育を含むすべての教育段階を対象とするプログラムであり、初等・中等教育段階では、学力の向上と子どもの意欲・関心の涵養をめざしていたということです。具体的には、
① コミュニケーション・開発・普及のための地方自治体ー学校ー教育機関間ネットワークの形成
② LUMAプログラムに関する評価・研究・研究者養成
③ 理数科教育の重点化
④ 学習プロセスの一部としての質的評価の実施
⑤ 平等の推進
⑥ 才能児や学業不振に対する特別支援
⑦ 理数科教員養成改革
⑧ 就学前教育から成人教育までを包含する生涯学習の推進
⑨ 地方自治体、産業界、研究機関との連携・協力
⑩ 高・大(後期中等教育・高等教育機関間の)連携の推進
という10のプロジェクトから構成されています。
この文章でも言及されていますが(詳細は本書を読んでください)、フィンランドが重要視していることとして、「平等性」を挙げている点が、この人には大変興味深く、また、フィンランドの強みになっているように感じられました。
あらゆる場面において、「平等は大切」とは簡単に言えることではありますが、単なる「平等の話題」のところでなくとも、平等が推進されることの重要性が見過ごされないところが、見習いたい点ではあります。考えついて提案した人も偉いですが、「そんなこと、今、関係ないだろう」とか言ったりせずに、賛同して一緒にこのプロジェクトを作り上げた関係者の方々や、それを受け入れている国民性みたいなものも、あるのだとすれば、やはり、尊敬に値するのでした。
もうひとつ、特徴的だと思うのは、繰り返し、「すべての子どもたち」とか「すべての人」と出てくる点ですね。すべての子どもたちが課程を修了できるように、とか、すべての子どもが教育を受けられる機会を保障する(学費無料)とか、一部を対象としていない点です。
あ、でも、これ、平等と同じことですかね。そうかもしれません。格差を作らないように、対象を狭めないようにする努力って、大切なのですね。
第1章2つめの文章では、「社会福祉に包まれて心地よい子育て 私とフィンランドの共同育児」と題して、第2子をフィンランドで出産なさり執筆時点でフィンランド在住の方(おそらく、今も)が書かれたものです。
こちらは、フィンランド在住歴5年時点で書かれたものですが、フィンランドでの出産を経験なさっているだけあって、産院での様子や赤さん用品について、子どもたちの生活など、非常に生活密着の具体的なお話が印象的です。
子どもが産まれそうになると(妊娠終盤)、重さ8キロもあるKELA(国民健康省)からの郵便がドカンと届くそうです。名前は、アイティウスアプストゥスパッカウス。すいません、覚えられません。要は、赤さん誕生おめでとう育児用品一式(約3万円相当)ですね。きっと、フィンランド語でもそんな名前なんでしょうね、アイティ・・・は長すぎますからね。
寒さの厳しい国ですから当然と言えば当然でしょうが、子どものための防寒着があるというのも、興味深いです。異文化異文化。名前は、ハーラリ。氷点下に対応可能だそうです。やっぱり、花垂らしながら、外で転げ回らないといけないですもんね、子どもは。おそらく、日射期間も少ないフィンランドみたいな相当緯度の高い国には、それなりの外で遊ばなければならない理由があるのでしょうが。骨を丈夫にするとか。
ハーラリの他にも、「どろんこ服」というのがあるそうです。これは、その名のとおり、どろんこになって遊んでも大丈夫という性能のヤツでしょう。
別の記事で、フィンランドの図書館の素晴らしさについて紹介したこともありましたが(ここ)(ここ)、ここにも、生涯学習活動の活発さについて、図書館活動も紹介されておりました。
ここの部分の執筆者である藤井ニエメラみどりさんにとっては、フィンランドという国は、夫とともに育児のパートナーだそうです。ここの点、大変印象的でした。今、たとえば、日本在住の小さい子どもを抱える女性たちにとって、日本という国家は育児のパートナーだというような形容をしてもらえるのでしょうか。この問いに対しては、少しの時間を置くこともなく、「ありえない!」と言いきってしまうそうな勢いで返答がありそうな気がするばかりです。が、あ、でも、子ども手当もらったばかりだし、「ありがとう」というのはあるでしょうか。でも、育児のパートナーだとは思わないですよね、きっと。
ついでに、言っておくと、夫というヤツについても、育児のパートナー、だと思っておられるお母さん方はどのくらいおられるのでしょうかね。イクメンとか、そんな言葉が出てきたり、育休を取得する男性もちらほら見かけるようになったのではありますが、パートナー、って言葉には、対等だという響きを感じるんですよね。育児を対等に分かち合っている日本在住のカップルって、今、どのくらいいるんだろう。と、余計なことにも、関心が持てました。
第2章にも、4つの異なる執筆者からなる文章があるのですが、そのうちの1つ「教師教育の改革と教師像 2003年の調査と研究交流から」から、気が付いたことを書きます。
2003年というのは、PISAのランキングでフィンランドが1位になり国際的な注目を浴びた年です。その前には、2000年にも行われており、この時点でも、フィンランドの子どもたち(特に女子)の学力の高さが明らかとなっています。
ここの執筆者は、臨床教育学の研究者の方で田中孝彦さんです。ご本人のおっしゃる「臨床教育学」の定義が興味深いので、この部分を引用しておきます。
私たちのグループが「臨床教育学」ということばで言い表そうとしているのは、今日の日本の社会のなかで問題や困難に直面している一人ひとりの子どもの事例に即して、生存・成長の当事者である子どもたちが必要としている援助と援助者のあり方を、医療・福祉・心理臨床などの諸領域の実践者・研究者たちと協力しながら探求する、総合的な「人間発達援助学」のことである(広義)。そして、そのなかでも特に、現代の「発達援助専門職」の一つである教師に光を当て、教師像のとらえ直しと、教師の養成・再教育を含む教師教育の改革の方向を考える「教師教育改革学」のことを言い表そうともしている(狭義)。
ここの、「教師」を「発達援助専門職」としてとらえ直すというのが、とてもおもしろかったです。
次は、ヘルシンキ大学の教育社会学者であるエリナ・ラヘルマさんが講演「フィンランドの子どもと教育」でお話になった内容の要約から引用するものです(145-146)。
1 2000年のPISAにおいて、フィンランドの子どもたち、特に女子生徒たちが、「読解力」を軸に高い成績を上げた。その直接的で大きな要因としては、フィンランドの人々と子どもたちのあいだに読書の習慣が浸透しており、それを支える図書館の総合的なネットワークが整備されていることが挙げられる。
2 子どもたちの「高学力」を支える基本的な要因としては、次のようなものが考えられる。
①無償の医療・福祉・教育を提供し、困難を抱えた家庭を支え、子どもへのケアを保障しようと
してきたフィンランドの福祉社会的諸施策。
②長年スウェーデン、ロシアに支配されながら民族的アイデンティティを保ち、独立を達成し、
今日の国際社会を生き抜いてきたフィンランド民衆の、教育に対する、とりわけ母語による
教育の重要性の関する確信。
③すべての子どもに教育を受ける権利・機会を平等に保障することを原則として運営されて
いる、総合学校(Comprehensive school)を軸とする学校制度。
④大学院修士課程での教師教育、特別なニーズをもった子どもを援助する教師(special
needs education teacher)の養成など、質の高い教師の存在。
3 女子生徒の高成績には、女性の社会的地位に関わる複雑な事情も反映している。フィンランドでは、女性が大学卒業者の過半数を占め、労働市場への女性の参加も活発である。だが、基幹的・先端的分野では、女性への「差別」は依然として根強い。そのなかで、女性が男性に伍して生きていくには、学校で高い学業成績をおさめることが重要な条件となっている。
4 PISAの調査では、成績は良好だが、同時に、学校に対する子どもたちの否定的な評価もめだっている。ラヘルマらが共同で行なった国際的な比較を含んだエスノグラフィックな学校調査でも、フィンランドの学校に、「教師中心主義が強い」「友情を中心としたインフォーマルな関係のための時間・空間が少ない」「生徒たちの自治・自立が弱い」といった傾向が根深く存在することが問題となっている。145-146頁
この講演を聞いて、この部分の筆者が感じたことに、この人(=私)も共感いたします。以下です。
フィンランドの子どもたちの「学力」の質とそれを支えている諸要因を正確に全体的に理解しようとすること。同時に、フィンランドの教育を単純に美化するだけではなく、学校になお根強く存在する「教師中心主義」的傾向に対して子どもたちが発している不満の声、女性の社会的進出とその不徹底が及ぼしている複雑な影響、「新自由主義」の広がりが生み出している新たな問題など、社会と教育の現実をリアルに検討しようとすること。さらに、そうした問題を克服しようとしているフィンランドの人々の実践的・理論的模索をていねいに知ろうとすること。(147頁)
てなことで、あんまりまとまりがありませんが、長くなりましたので、いったん、ここで。
続きがあれば、また、いつか。
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えふさん
「国は育児のパートナー」ですか。うーん考えさせられますねえ。「子供は『公共財』だから、子供を産まず国家に貢献しない女性には課税せよ」などととんでもない主張するひともいる、どこかの国とは、国が育児に関わる目線が大違いですね。フィンランド、まだまだ学ぶところがありそうです。
「かもめ食堂」経営の独身女性なんかじゃなく、フィンランドで子育てを経験した日本人の映画、だれか作るらないかなあ。
投稿: 山口一男 | 2010年6月 6日 (日) 01時17分
山口一男さん
ありがとうございます。
そうですね、本当にしみじみとするほど、考えさせられる言葉でした。
アウト・オブ・デイトの政治家などの発言は、ため息が出るばかりですが、国民にとっての「国」に対する考え方の違いが、如実に表れていて、本当に興味深いです。
この点、もっと知りたいです。
なんとなく、「愛国心」というと、お国のために命を捧げることができるかどうか、という問いを突き付けられるような感じがして、この人にとっては、あまり印象がよくないのですけども、パートナーシップの相手という意味であれば、重要で、もっと必要なのかもしれないな、と自分の日頃の態度も反省を迫られました。
映画『かもめ食堂』とは違った視点で、そうですねぇ、『うみねこレストラン』というタイトルで、子育て日本人カップルの日常を詳細に描いた、異文化発見フィンランド子育て事情映画などは、あれば、ぜひ見てみたいですね。ま、レストランでなくても、別の職種でもいいですけども。
投稿: えふ | 2010年6月 6日 (日) 12時16分