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2010年7月10日 (土)

真っ先に愛を疑われそうですが、何か?

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 ももせいづみさん、いいですよねぇ。

 この人(=私)は、連載されていた記事を何度もご覧になったことがありますの。

 最後の質問への回答が、大変よろしいです。

 家事に手間暇かけてやることを、愛情の証明だとされてしまうと、この人なんか、愛のかけらもないイキモノとして、胸を張って生きなければなりませんでしょう。

 ま、それで、けっこうですけども、何か?

 え?

 はい、そういった意味づけがあることは、存じておられます。

 単なる作業に、過大な意味づけをするのは、やめたほうがいいですよね。

 他のことでも。

 たとえば、定時で帰ること、とかにも。

 定時で帰ることのほかに、何か意味があるんでしょうか。

 え?やる気との関連ですか?

 そういったナンセンスな慣行をやめてはいかがでしょうか。

 はい、この人は、そういうのは、すっかりやめているんですよ。

 真似してくださっても、よろしくってよ。

 

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コメント

えふさん
あはは。今日はすっかり「えふ節」ですねえ、山岸俊男氏に言わせれば日本人は「心でっかち」なんだとか。人の行為を感情の問題で解釈し過ぎなんだそうです。現在の若者は毎日、内容がなくても、携帯で交信しあうのが友情の証なんだとか。それも中学生は平均40人もの相手だそうです。単なる日常の単純作業に過ぎないことに、友情であれ愛情であれ、証を求めたり、求められたりで、時間的に振り回される。そんな中で、本当の友情も愛情も実際は見えなくなっていくんだと思います。

山口一男さん

 ありがとうございます。
 「えふ節」、いい出汁が出ているといいですが。

 山岸さんの指摘があっているとすれば、日本でない文化圏では、そういうことは少ないということなのでしょうねぇ。
 「手をかける」ということに、非常に重きを置いている感じはしますが、他国ではそうでもないのでしょうか。

 それにしても、現在の中学生は大変ですねぇ。携帯がない頃の中学生でよかったと思いました。携帯がなくとも、中学生時代もけっこう体力勝負で、この人には大変ではありましたが。今の時代には、とてもつとまらないです。

 おっしゃるように、そんな作業に時間をとられるとすれば、別の形で友情などを感じる機会も失われてしまい、気の毒です。直接会っていろいろ話したりする時間が重要だった気がしますので。

えふさん
  山岸氏の議論は「集団主義」とか「いじめ」の解釈が、日本では価値観やら、心理やらの、心の問題に還元されやすいが、ある程度利己的な行動を仮定すると、それらのことは心の問題ではなく状況により生み出されているものだという、「進化ゲーム論」的観点を強調する点にあったと思います。
  でも、私はえふさんの指摘した点のほうがより広範に日本人に見られると思います。
  米国在住の日本人の母親は、通学する子供のお弁当に色々手をかけて、特にそれが日本人母親同士の競争になったりします。「愛情弁当」って変な言葉が日本にありますが、そんなことが母親の子供の対する愛情の目安だったりします。一方アメリカ人の子供は、学校のカフェテリアで食べない場合は、小学校高学年以降は、だいたい自分で昼食を用意します。冷蔵庫にある、パンにピーナツバターを塗ったり、パック入りのハムや、バナナを持ったりと言う程度で料理は勿論しないのですが。まあ自分でできることは早くから自分でするようにさせるのが、アメリカの親のやり方。勉強以外は子供のことをすべて母親が肩代わりするのが日本の親の典型的なやり方です。まあ、人は様々で親も様々でよいのですが、日本的なやり方が愛情があって、アメリカ的なやり方は「親の手抜き」でが愛情に欠けるなどとは、考えるべきでは無いでしょう。日本も昔は「かわいい子には旅をさせろ」という言葉も合ったのに、いつからか保護(過保護)が愛情の証になってしまったようです。特に保護役が女性という役割規範が強いと育児期の共働きの女性にかなりな負担となると思いますが。

山口一男さん

 ご丁寧な説明をありがとうございます。山岸さんは「進化ゲーム理論」のことを言っていたのですね。

 日本の母親は、大変です。お弁当もそうですが、小学校に入ると給食があるので、普段はそれでよいのだと思います。しかし、PTA活動は大変のようです。また、教育にかける費用(税金)があまりないためか、学校で使うものを持ち寄らなければならないようです。たとえば、雑巾とか。あと、子どもが使うためのサブバッグも手作りする必要があるようです(寸法を書いた紙をもとに、布を縫い合わせたり)。裁縫が得意な母親はいいのですが、そうでないと、雑巾を店で買ったり、サブバッグは得意な母親友だちにお願いして作ってもらったりしなければならないだけでなく、上手な出来のものに張り合う必要もあるのかも。

 母親は家に居るもの、という前提をもとにした社会制度が発達してしまっているので、それに当てはまらない人も多い現代では、専業主婦と兼業主婦の分担においても、対立するような構図があり、やりにくそうです。

 妊娠・出産では、仕事をやめずになんとか済んでいた女性が、子が小学生になる時点で退職せざるをえなくなる、と言われますが、さまざまな困難があるものですね。

 誰か得する人がいるんでしょうか。

えふさん
  「誰か得をするひとが居るんでしょうか?」ですが、うーん、難しい質問です。
  高度成長期には多分企業が得をしたのです。強い雇用保障を多くの雇用者に与える代わりに、文句を言わずに長時間労働できる雇用者が有用な時期でした。労働需要は常に供給を上回る状態でしたから。いわゆる正社員の「拘束と保障」の交換のしくみです。
   でも、女性にもそれを当てはめたら家庭は崩壊するし、当然結婚後女性は離職します。それで、伝統的男女の分業を前提として、それを強化する仕組みをいろいろ作ってしまったのですね。現在はそれがかえって女性の人材活用だけでなく、日本の雇用のあり方そのものを、機能不全におとしいれていると思うのですが。
  専業主婦に対する役割期待が有業の既婚女性に当てはめられるなんて、どう考えても無理ですから、晩婚化・少子化を生み出してるし、相変わらず非常に高い結婚・育児離職率にも結びついています。継続的非正規雇用も増え、生涯賃金格差も増しているし。若者は夢を失っています。
  過渡期だと思うのですが、なかなか一端作り上げた仕組みは変わりにくいようです。企業がまず変わる必要があると思いますが。現在の仕組みで既得権の有る人たちが力を持っているとなかなか変わりません。女性や若者のエンパワメントが必要ですが、どうやったらいいんでしょうね。

山口一男さん

 むずかしい投げかけにこたえてくださってありがとうございます。

 むずかしいご質問で、正面からお答えするのは力不足ですが。

 「子ども手当」のとき、配偶者控除と扶養控除(だったと思いますが)を廃止すると、民主党は当初考えていたようです。廃止で浮く額を子どもの数で割ったら、当初の金額16000円ほどになったとか。

 企業が変わることではありませんが、現在の配偶者でいることと扶養されていることによって「得」しているように見える、この二つの控除を廃止してはどうかと思うようになりました。そうすれば、年収をセーブしない働き方を選択するようになるでしょうし、企業が「正社員」の家族ごと福利厚生を保障せずとも済むようになるような気がします。

 そうすれば、企業と「正社員」の関係も、もっとドライなものになり、市場が流動化していくのではないでしょうか。

 流動化が観察されるところでは、その時点で既得権がない人にとっても、チャンスがあると思えますので、チャレンジするようになるような気もするし、就労中断があるからといって、再就職の際に、非正規職しかない、ということもなくなるような気もしますが。

 楽天的でしょうか、ね。

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