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2010年7月 6日 (火)

マージナルな気分。

 本日は、マージナルな気分を経験しました。

 マージナルとはですね、マージナル・マンという単語が社会学事典(弘文堂)なぞには載っております。

 いわく・・・

 種族的混淆、地域移動、階層移動、などの条件から、ふたつ(以上)の異質な社会圏(所属ーないし準拠集団)の狭間に立ち、双方の「交叉圧力」にさらされ、いずれにも十全には帰属せず、そこから独特の性格傾向を発達させるにいたった人びと・・・

 性格特徴としては、
(1)所属ーないし準拠集団のに厳正に基づく二重の自我ないし自我分裂
(2)双方の間を往復し、いずれの一方にたいしても「過同調」の様相を帯びざるをえない、不安定な動揺的態度
(3)(特にマージナル・マンであることが外見的に可視的ー観察可能であるばあい)いずれの集団にあっても、帰属を問われ、注目をひくところから、自分の注意も自分自身に向け変えられて生ずる反省傾向、などが挙げられる。
 いずれかの集団の十全な成員(ノン・マージナル・マン)から見ると、「仲間内」ではない「二重人格者」・「問題者」・「局外者」として不信をもって遇されることが多いが、双方にたいして距離をとり、双方の特殊性・相対性を洗い出し、なんらかの「普遍主義」的志向に基づいて、双方にはたらきかけていくことも可能となる。

 なのだそうです。

 双方にはたらきかけていくことも可能、はそうなのでしょうが、それは、けっこう難しいぞ、と思ったのでした。

 はい、そうです、この人(=私)はマージナルなのです。

 でも、マン(man)っていう言い方、最近は、パーソン(person)に言いなおされることが多いんでしょうか・・・。

 どうなんでしょう。どうでもいいですかね。

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コメント

えふさん
  「マージナルマン」は20世紀前半にシカゴ学派社会学の中心であったロバート・パークの作り出した概念・用語です。技術用語ですから、性別に中立のマージナル・パーソンという言葉は使われていないようです。
  マージナルマンは、二つの文化・集団のどちらにもどっぷり属さず、距離をおく存在です。だから、一方でどちらからも仲間扱いされない孤独な存在であるとともに、どちらの文化・組織にも拘束されない、自由で独立な存在でもあるわけです。自由を愛する人にマージナルマンであることは悪いことではありません。所属志向の強い人には心理的に苦しい状態ですが。
  米国長期在住で米国文化に影響は受けても、それに染まってもいない私もまさにマージナルマンです。

えふさん、こんばんは。
マージナルマン、とは、特定のプロパティを持たない人なのですね。
フランス語の先生との会話で時々使う、un homme en marge (周辺にいる人)という表現は、なんか、社会からドロップアウトした人・・・みたいな意味でした。
marge (マルジュ)は、余白とか欄外という意味があるので。英語とは違いますね。
というか、マージーナルマンというのは、特定の意味を持つ特別な用語なんですね。

しかし、マージナルな状態でいるのも、ラクではないです。

山口一男さん

 ありがとうございます。
 シカゴ学派の中心人物が作り出した言葉でしたか。技術用語だから、パーソンの言いかえなし、了解です。

 自由で独立を指向するか、所属を指向するかで言えば、たしかに、どこかに所属したい人にとっては過酷な状況と言えますね。

 私は、どこに居ても、あんまり自分の場所だと思わないので、以前からマージナルマンだったのかもしれません。

miauleuseさん

 社会の中心にいる人と周辺にいる人との間で、両方の世界を行き来する人が居るとすれば、そういうのも、マージナルマンかもしれません。

 たとえば、ドロップアウトしたところから努力で社会的地位を得た人とかは、昔の仲間との関係では「もう違う人」と見なされ、成功者の間では「昔は悪かった人」と見なされて、どっちからも、あんまり仲間と思ってもらえないというようなことがあれば、マージナルマンかもしれません。 

 よくわかりませんが。

 外猫出身で、今では家猫であられるシラクどんなどは、マージナルマンかもしれません。
 おうちでは、「ォマェ、外猫出身」と見なされ、外猫のルルドくんなどからは、「ォマェ、家猫のくせに」と扱われているとすれば、とってもマージナルな状況です。
 マージナルキャットと言いかえたいところですが、技術用語なので、「マン」でよろしいのでしょう。

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