現状への最適化を求めることと、現状を変革しようとしする力は、両立するんでしょうか。
書評を読んでそれを評するようなことはちょっと変ですが、今日はそれをやってみます。
2010年7月18日付朝日新聞の読書欄なのですが、池上彰さんの最新刊『伝える力』の書評がありました。
これにかこつけて、最近の自己啓発本について、その最大の特徴を、「とにかく徹底した『現状への最適化』」だと断じておられます。そうなんですよね、自己啓発本に感じる違和感は、実は、この人(=私)も同様に感じていたのでした。すっかり、忘れておりましたが。
現状の日本社会の中でどうやって社内で点を稼ぎ、お金を儲け、恋愛上手になるかということが、泥臭いまでに説かれる。これから社会がどう変わり、人々の仕事や生き方がどう変化していくのかといった視点がほぼ欠落しているのだ。
評者は、ジャーナリストの佐々木俊尚さんという方。鋭いですね。
佐々木さんは、最初、池上さんのこの本を、現状への最適化を目指す自己啓発本と同様に扱いつつも、参院選の速報番組に出ていた池上さんの当選者議員に対する遠慮のない質問場面をみて、実は、巧みな変革者ではないかと考えるようになられたそうです。
どっちなんでしょうかね。
ただ、現状を変えていこうとすれば、現状がどのようなものかを的確に理解できていなければならないわけで、現状認識が間違っていれば、変革の出発点ですでに間違っているのではないかと思います。
ということは、変革者こそ、端から見れば、現状にうまく適応しているように見えなくもない?
そういう気もするのですが、どうなんでしょうかね?
おもしろい解釈の書評でした。
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コメント
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えふさん
「現状への最適化を求めることと、現状を変革しようとする力は、両立するんでしょうか?」 すごく重要な質問ですねえ。私見ですが、社会が停滞している時、二つはほとんど正反対のことを意味すると思います。つまり、現状への適応の最適化は既存の秩序を前提としてそこで成功することで、変革とはおよそ正反対です。でも、社会が流動的でこれからできあがる秩序が見えない場合はどうでしょうか? 現状は近い将来と独立には考えられず、現状への最適化は、近い将来を予測し先取りしてそこへの適応を含むことになると思います。企業にとってイノベーションなしに生き残り(適応)は考えられないし、米国のような競争的な学問の世界でも、独創的な研究成果をだすことに力をそそがないと学者として認められなくなります。したがって社会が変化していくとき、現状維持的適応は最適でなくむしろ取り残されて行くことです。わが国のGEM指数がどんどん下がるように。現在のグローバル化のもとでの経済競争もそうです。だから将来を先取りしての適応の最適化は本来変革を意図するものでもあるのです。また将来は一つに決まっているわけではないので、これは多くの人の選択の問題でもあります。だからもし、巷にある「自己啓発本」は変革を考えない現状への適応を説いているのなら、それは最適化ではありません。
投稿: 山口一男 | 2010年7月22日 (木) 14時50分
山口一男さん
示唆に富むコメントをありがとうございます。
なるほど、「どういう社会なら」という新たな条件を加えて場合分けをして考えるのですね。この人のやや大雑把な疑問が大分整理されました。
その社会の現状が流動的なのかどうかに加えて、将来をどうしたいのかという時間軸も入れて考えることで、さらにクリアに整理されたように思います。
周囲(世界)が前進しているのに、日本が「その場足ふみ運動」をしていれば、現状維持のつもりで、相対的にどんどん後退していっているんですねえ。
周囲の動きとスピードをうまく把握しつつ、現状とそれにつながる未来をどう指向していくかを、それぞれで考えていかなければなりませんです。
投稿: えふ | 2010年7月22日 (木) 21時30分