不幸よりも幸福のほうが伝染しやすいそうです。
ソーシャルネットワークによる影響力についての著書を出したハーバード大学のニコラス・クリスタキス教授のインタビューが興味深いです(ここ)。
曰く、 「特に驚かされたのは、特定の種類の音楽が好きといった好みだけではなく、広大な社会的ネットワークを通じて人が直接付き合いのない他人から体重や感情まで影響を受けることだった。友人の友人の友人の体重が増えると、その人の体重も増える――、友人の友人の友人がタバコをやめると、その人もいつのまにか禁煙している――といったことが実際に確認できた。投票活動でも、ある人の投票が友人の友人の投票に影響を受けているケースもあった。」そうです。
――(自殺のような)マイナスの感情のほうがプラスの感情よりも伝播力がやはり強いということではないか。
オフラインの現実社会のネットワークの場合は違う。愛や利他主義や幸福などの好ましい特性の方が、不幸や暴力、虚報よりもはるかに広がるのが速い。つまり、つながりのある生活は損害よりも恩恵のほうを多くもたらしてくれるのだ。
このように、不幸な感情よりも幸福な感情のほうが伝播力が強いということは、すばらしい発見ではないでしょうか。なぜなら、幸福な人をひとり増やせば、その人とのソーシャルネットワーク(それも、かなり大規模な)でつながっている人たちにも幸福感が伝わっていく可能性があるということですから。
このおもしろい研究は、昔からあったようですが、今回の規模でのソーシャルネットワークで行ったということが新しい点のようです。
著書は、『CONNECTED』だそうです。邦訳『つながり』は講談社から出ているそうですけども、気になりますね。
『つながり 社会的ネットワークの驚くべき力』
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喫煙(禁煙)、大麻などのドラッグ使用から、結婚や出産なども社会的伝播性を持つことは知られていましたが、幸福感の伝播性は新発見ですね。もっともアメリカ社会での発見がわが国にも成り立つかどうかは検証の必要がありそうです。
アメリカ社会では嫉妬の感情が希薄です。逆にわが国は嫉妬社会という人もいるほど他人と自分を比較して相対的満足感・不満足感を感じる人が多い。だからわが国では周り(友人)が幸福だと相対的に自分を不幸に感じる人が案外多いかもしれない。幸福感の伝播のためには友人の幸福を自分の幸福と感じられる人間関係のあり方が存在することが、またそういう社会を作ることが、まず必要だという気がします。それにはまず人と比較して相対的にどうだということから独立した幸福感の尺度を人々が持ち、その尺度の中に社会的絆を、自分のために利用するでなく、その絆の輪の中に参加していることに価値を見出す人間が多くなることが大事だと思います。クリスタキス教授(実はもと同僚で友人です)もインタビューの最後に「つまり、ネットワークが自分にどれくらいためになるかばかりを考えるのではなく、あなた自身がいかにネットワークのためになるかを考えるのが一番良いのだ」といっていますが、おそらくそういうことだと思います。
高度成長時代、会社での社員の絆はそういう幸福感の伝播するものでした。ともに成長できたからです。でも、現在の会社は成長も期待できず人を、特に非正規雇用者を、消耗品の用に扱いもはやそのような幸福感の共有はもたらしません。それに変わる幸福感の伝播するアメリカのような社会的ネットワークがわが国でできるのかどうかが問題です。いやそれを作らねばならないのだと思います。
投稿: 山口一男 | 2010年10月 7日 (木) 00時52分
山口一男さん
ご丁寧なコメントありがとうございます。
なるほど、他者の様々な習慣や選択が伝播することは以前から知られていたのですね。インタビュー記事でもそういう記述はありましたね。
幸福感が伝播することが、わが国でも当てはまるのならば、私が普段幸せそうに生きているだけで、どなたかの役に立ったり、社会の幸福度の向上に寄与できるかと思って、喜んでおりましたが、確かに、アメリカ社会で当てはまることが、日本でも当てはまるかどうかには、慎重な検証が必要ですね。
「他人の不幸は蜜の味」とかいう言葉がありますが、これは、日本発祥の言葉なんでしょうかね。嫉妬については、日本がそんなに強い社会だとは知りませんでした。ひとのことは、どうでもいいのに・・・っていう人がアメリカよりも少ないのですね。
そうすると、「相対的剥奪感」というヤツも、日本は強いんでしょうか。
社会的ネットワークも、利己的な目的のためだけではなく、自分も含めた参加者全員のために貢献できるようなものを作れるよう、みんなが考えていく必要があるのですね。
受け売りでない、あるいは、人との比較によってしか成立しないようなものではなく、自分自身の幸福の尺度を持つことが大切だと思いました。
投稿: えふ | 2010年10月10日 (日) 23時45分
えふさん
最後の言葉は重要ですね。いくつかご質問があったので多少は専門にもかかわるので知っている限りでお答えします。
まず「他人の不幸は蜜の味」ですが、日本発祥ではなく、ドイツ語のSchadenfreudeの意訳が、伝わったようです。文字通り訳せば「逆境の喜び」ですが、ここで「逆境」は他人の不運・不幸の意味です。アメリカではこういった傾向があるかどうかを研究する分野に「社会的比較理論(social comparison theory)」という社会心理の分野があります。「社会的比較」といっても国の比較ではなく、自分と他人の比較を社会心理では社会的比較といいます。
で、結果ですが、自尊心(self-esteem)の非常に低いと他人の不幸を喜ぶ傾向が強まることが知られています。逆に自尊心が高いとその傾向は少なくなります。またここで言う自尊心(self-esteem)はプライドのようなものではなく、自分を価値ある存在と見る傾向のことです。
相対的剥奪ですが当然アメリカでも見られますが、日本は特に強いようです。カラーテレビ普及が始まった時代、ある団地で誰かが白黒テレビをカラーに変えたといううわさが伝わると、その団地全体にカラーテレビが普及する傾向を示した研究がありました。自分生活の価値の判断が同じ団地の中で比較的豊かな人「物質的に同程度の暮らし」ができるか否に依存していたのでしょうね。多分そういう状況では、人々が独自の「自尊心」の尺度は持っていなかったのでしょう。
アメリカでは女性姉妹の間で、姉(もしくは妹)の夫に比べ、自分の夫の給料が低いほど育児離職後の職場復帰が早いという研究がありました。まあ、自分の夫の「尻をたたく」のでなく、自分が頑張るところがアメリカ的です。上記の「社会的比較理論」では、「将来に暮らしの不安(Anxiety)」を感じている人ほど、自分よりより貧しい・惨めな人たちと自分の状況を比べる傾向があるということがわかりました。相対的剥奪の反対の相対的満足が得られやすいからだと考えられています。一方、不安の無い人にそういう傾向は見られません。
ですから、「他人の不幸は蜜の味」の傾向は、自分自身に対する価値判断のあり方とか、生活不安を生じる社会のあり方とかと、無関係ではないというのが研究結果です。日本の場合はそれにくらべて、一元化した基準の平等主義みたいなものや、「同質社会」の神話があって、人と「同程度」でないと不安になる傾向が相対的剥奪意識をさらに強めているように思います。
社会的ネットワークについては基本的にはご理解の通りですが、ネットワーク参加者全員といっても、間接的な繋がりのひとへの貢献は判断しにくいので、自分と自分と直接的につながる人々の関係のありかたが、彼ら・彼女らと彼ら・彼女らととつながる人への関係にポジティブな影響をもたらすような、関係のあり方(交換関係の正の結合といいます)が、そして逆のネガティブな影響はもたらさない関係のあり方)が、重要だということです。一寸わかりにくいかもしれませんが。
投稿: 山口一男 | 2010年10月11日 (月) 01時31分
えふさん
修正です。「自分が頑張るところがアメリカ的です」というところです。これだと日本女性を間接的に批判しているように聞こえます。でも、日本では育児離職後女性が再就職しようととしても、高度成長期から今に至るまで、ほとんど「生活補助」的にしかみなされない非正規の「パート」の仕事しかありませんでした。現在は事態は悪化して未婚時でも半数以上の女性が非正規雇用を余儀なくされています。自分が頑張ろうにも頑張りようの無い状況があったし進行しています。だから男女の機会の平等がより進んだ米国との比較は公平ではありませんでした。正規・非正規の待遇格差の解消が本当に重要です。
投稿: 山口一男 | 2010年10月12日 (火) 00時00分
山口一男さん
いろいろと教えてくださり、ありがとうございます。
「他人の不幸は蜜の味」について、ドイツ発祥だとは知りませんでした。しかし、原語の「逆境の喜び」っていうのを意訳したら、こうなるとは・・・ちょっと思いつきません、私には。でも、「逆光」の意味を説明していただくと、そうかと思いました。
「社会的比較」の話は、とても興味深いものでした。セルフ・エスティームと人の不幸を喜ぶ心性とのかかわりは、理屈ではそうだと納得できるものですが、実証的にも証明されているのですね。
日本の相対的剥奪について考えるのに興味深い研究のご紹介もありがとうございます。そういう社会の尺度というのは、どうしても、相対的なものになってしまうのですね。わからないではないですが。
ということは、日本人のセルフ・エスティームは、相対的な性格のものだということですね。
アメリカの研究も興味深いです。ただ、これは、相対的剥奪の研究なのでしょうか。夫の給与の多寡と、妻の育児離職期間の長さの関係というのは、ちょっと考えると、単純に、生活費を稼がなければならないという経済的な理由が大きいようにも思えるのですが。ちょっと、疑問です。誤解しているかもしれませんが。
独自の価値判断がなく(あることを歓迎しないで)、生活の不安を感じるような社会に住んでいて、横並び志向というか同調傾向の強いところでは、相当、暮らしにくいだろうなと思いました。はい、現在の日本社会のことです。
社会的ネットワークは、直接の知り合いに関してだけではく、間接的な人間関係にまで広げて考えなければならないのですね。なるほど、わかりました。卑近な例だと、直接の知り合いに親切にしてみると、それをその知り合いが別の人に親切にするような、そういう広がりができるように、普段から親切を心がけるとかも入るんでしょうかね。
修正いただいた部分については、おっしゃるとおりですね。社会状況が女性の育児後の再就職を困難にしていたことは、今も多くの困難があることは、強調すべき点かと思います。
ただ、アメリカ社会との比較では、私はあまりよく事情を知らないのですけども、アメリカにおいては、日本とは逆に、育児休職を短くするような社会的なしくみがあるのではないかという気もします。ひとつは、育児離職後の再就職が日本に比べて容易であるということでしょうが、もうひとつは、育休のような制度が保障されていないので、3年も休んだりすることは、制度的に難しい、というものですが。聞きかじった話なので、違うかもしれませんが、日米では、離職後の女性の再就職を妨げる要因と、再就職を容易にして、容易にするだけでなく再就職を促進するような制度的しくみの違いもあるんじゃないのかなと、思いました。
日本の非正規雇用の待遇格差や女性の低賃金の問題は、もちろん、早急に解決しなければならないと思います。
投稿: えふ | 2010年10月14日 (木) 01時29分
>夫の給与の多寡と、妻の育児離職期間の長さの関係というのは、ちょっと考えると、単純に、生活費を稼がなければならないという経済的な理由が大きいようにも思えるのですが。ちょっと、疑問です。誤解しているかもしれませんが。
分析では、夫の所得を制御(一定にする)した上で、さらに夫の給与が、姉・妹の夫の所得との差の影響を見たのです。確かに夫の所得だ少ないと、他の条件が同じなら、妻の就業率は大きくなります。でもそれとは独立の影響です。
>アメリカにおいては、日本とは逆に、育児休職を短くするような社会的なしくみがあるのではないかという気もします。
それはおっしゃるとおりです。法的に求められた育児休業期間は父親・母親それぞれ3ヶ月で、法的には所得保障なしです。ただし企業により部分的所得保障をするところもあり。ちなみにシカゴ大学では3ヶ月100%所得保障の育児休業が取れます。養育に主たる責任のある親となっていますが、夫婦で3ヶ月交代で「主たる責任」を代わってよいので、夫婦でシカゴ大学に常用雇用されている場合、妻が3ヶ月、夫が3ヶ月別々の時期(ただし子供が生まれて一年以内)に100%所得保障で育児休業がとれます。ただしこれはアメリカではとても恵まれている例です。
投稿: 山口一男 | 2010年10月15日 (金) 02時58分