労働者ではなく、消費者で捉えろ、という発想。
最近注目されている書籍ですね、『デフレの正体 経済は「人口の波」で動く』(藻谷浩介、2010.6)です。
この人(=私)も、タイトルだけを聞いて、最初はあまり関心を持たなかったのですけども、内容をちらっと聞きまして関心を持ちました。
本書は、とてもおもしろいです。第1講から第8講までが、現在の日本社会で信じられている経済対策へのこれでもかというくらいたくさんのデータを用いた反論となっており、第9~11講では、「では、どうすればいいのか」について、①「高齢富裕層から若者への所得移転を」、②「女性の就労と経営参加を当たり前に」、③「労働者ではなく外国人観光客・短期定住客の受入を」として、それまでの問題提起に総合的に答える形での処方箋が示されています。
第11講の後は、補講があります。ここでは、著者の「自説」が展開されています。
本書は、できるだけ多くの人に読んでほしいと願ってかかれているものですが、特に、経済学者や経済対策を担当する方々に「定説」のように信じられている日本経済に関する「思いこみ」の誤りを徹底的に指摘することから始まります。おそらく、これまで何度もご講演などを通して主張されてきたことが、いろいろな場で反論として寄せられてきたのだと思います。ですので、あまりそういった「思いこみ」と親しんでいないこの人(=私)のような素人の人には、ちょっと不思議な感じがします。なぜかと言えば、そもそもの、従来の経済対策に対してよく知らないので、そんなに徹底的に論破しなくても、著者の主張を抵抗なく受け止めることができるからではないかと思います。
ですので、反対に、従来の経済対策を信じて疑わない方にとっては、相当いろいろなデータを駆使して、その「思いこみ」を「思いこみ」だと教えてくださっているのですけども、その「思いこみ」から抜け出すのは、もしかしたら、難しいことなのかもしれません。
ひとつの大きな視点の転換としては、労働者数の減少としてではなく、消費者数の減少として考えるべきであるということではないでしょうか。人口減少は、消費者が少なくなってしまうことが大きな問題なのだとは、あまり誰も言ってこられなかったことのように思いました。ま、この人が、無知なだけかもしれませんが。
今の日本社会で信じられている、今後の日本をどうしていけばいいのか、といった大きなテーマの中に主要な課題としてある、経済成長戦略ですが、現在の景気が悪いのは、いえ、そもそも「景気が悪い」という判断自体にも「思いこみ」があると迫られます。
この人なんか、ニュースなどで景気が悪いとか読んだり聞いたりしますと、「そうか~」と思うだけなのですが、より詳しい方や専門に従事されている方は、それを打ち消すような主張には、場合によっては、ご立腹なさるかもしれません。
著者は、現在の「景気論議」はあまりにも大雑把で中身のない議論であると指摘します。
素人のこの人が簡単に要約しますと、内需が減っているのは、景気が悪いとかよいとかではなく、人口が減ることとあまり消費しない高齢者が増えたことによって、国内にいる消費者の絶対数が減ってしまった、というのが、最も大きな要因であるということです。
この後、高齢者が消費しない理由と、消費する必要と傾向の大きい若年層が収入が十分でなく、結婚したり出産したりもしにくくなっているために、若い夫婦や子どもを持つ家庭での消費が少ないこと、また、少子化によって、消費する可能性の大きい人口自体も減りつつあることが、明らかにされます。
一人一人の消費行動よりも、人口の絶対数が減ることで、集団として消費が減るということが、内需が減った最も大きな要因なのでした。
人口が減るって、すごいことなのだなぁとしみじみ思った次第です。人口の増減のインパクトは、本当に大きいです。なのに、それを全く考慮せずに、国内消費の減少を問題にしても、仕方ないということなんですね。
この人は、その従来の言説を知らないものですから、藻谷さんのご主張にはほとんど違和感なく、「ふ~ん」と思ったのですけども、従来の言説を信じておられる方には、にわかには受け入れがたいことなのかもしれません。
いろいろと「ダメ出し」をなさる本書ですが、人口減は緩やかにすることはできても、もう減ることはしばらくはどうしようもないのです。それを聞くと、「あ~」とちょっと意気消沈するのですが、しかし、著者は、それでも、まだまだ日本には可能性があると力強くおっしゃってくださいます。
その解は、最初に書いた①「高齢富裕層から若者への所得移転を」、②「女性の就労と経営参加を当たり前に」、③「労働者ではなく外国人観光客・短期定住客の受入を」なのです。
①は、あくまでも富裕層からであって、余裕のない高齢者からではないことを強調なさっていますし、②についても、女性で就労できるのなら働いてもよいという方を対象となさっております。さらに、③についても、低賃金で日本人がやりたがらないために人手不足になっているような分野を担ってくれる外国人労働者ではなく、富裕層で日本に観光に来て、いろいろと買い物をしたり遊んでお金を落としてくれる外国人観光客や短期的に住んで暮らしてくれる外国人だと強調なさっておりました。
これまで、かなり、何度も、そういった誤解に基づいていろいろとご批判を受けてこられたのではないかと、そのご苦労がしのばれました。
簡単に外国人労働者の受け入れと言うけれども、それには、外国人労働者の家族も含めての福祉サービスを用意しなければならず、日本語の習得についても仕組みを作らなければならず、内需は(低賃金だから)増える見込みはない、と喝破されており、一方で、日本語習得の問題もなく、すでに家族も日本に居る日本人女性の就労に関しては、そういう新たな仕組み作りもなく、子どもを持つ人でも働きやすい制度を作ればよい、さらに、外国人労働者の受け入れの絶対数以上に、日本女性で今後働ける人口がずっと多い(正確には、本書を読んでください)という指摘は、至極当たり前に思えました。
あ、あと、生産年齢人口に該当する人の個人所得を維持し増やす方向を主張されていることも素晴らしいと思いました。なんとなく、「低賃金でがんばって働けば、なんとかなる」って主張が強そうな気がして。若年世代の非正規化を進めて個人所得を減らしてしまったせいで、結婚も出産もしがたくなっているのですから、それとは逆行する方向の施策としては、賃金を上げることですもんね。ここも、素敵~と思った部分です。
そんなことで、これら3つの処方箋ですが、他の方法はもうあり得ないと思うようなものでもありました。
著者の主張が信頼できるものであるならば、まだ悲観することはないのですが、今、この方向に舵をとらないと、未来は相当暗いことになります。
この人も、経済のことはわかりませんが、あまり時間がないことはわかりましたので、すぐにでも、政策に携わる人や、従来の経済学説を信じて疑わない人、政治家の方々の方にも、知ってほしいと思いました。
上に該当しない方にも、おもしろいと思いますので、ぜひ、ご一読ください。ささっとでも。
以下、いろいろと印象に残った点について、抜き書きしておきます。
150
付加価値額を労働者数で割ったものが労働生産性です。
評価の低かった米国産のワインですが、人手をかけ品質を向上させることで、ものによってはフランス産と同等以上のブランドを得ることに成功し、値上げができた。そのことが付加価値額を増やし、これにかかる人手の増加をも打ち消して生産性を高めたというわけです。
151
「人手をかけブランドを上げることでマージンを増やし、付加価値額を増やして生産性を上げた」というポーターの説明が伝わらなかった
日本では生産性向上といえば人員削減のことであると皆が信じ込んでいます。ところがお気づきでしょうか。生産年齢人口の減少に応じて機械化や効率化を進め、分母である労働者の数を減らしていくと、分子である付加価値額もどうしてもある程度は減ってしまうということを。付加価値額の少なからぬ部分は人件費だからです。
174
近代経済学もマルクス経済学も、労働と貨幣と生産物(モノやサービス)を機軸に構築されてきた学問です。ですが現代の先進国において絶対的に足りないもの、お金で買うこともできないのは、個人個人が消費活動をするための時間なのです。
最も希少な資源が労働でも貨幣でも生産物でもなく実は消費のための時間である、というこの新たな世界における経済学は、従来のような「等価交換が即時成立することを前提とした無時間モデル」の世界を脱することを求められています。我こそは経済学を究めん、と思っている方。ぜひこの「時間の経済学」を考え直し、そして、国民総時間の減少という制約を日本は乗り越えられるのか、という私の問いに答えを出してください。
177
では日本経済は何を目標にすべきなのでしょうか。「個人消費が生産年齢人口減少によって下ぶれしてしまい、企業業績が悪化してさらに勤労者の所得が減って個人消費が減るという悪循環を、何とか断ち切ろう」ということです。
①生産年齢人口が減るペースを少しでも弱めよう。
②生産年齢人口に該当する世代の個人所得の総額を維持し増やそう。
③(生産年齢人口+高齢者による)個人消費の総額を維持し増やそう。
この①②③が目標になります。もちろんこれらが実現できれば結果として経済成長も改善しますので、これら目標は経済成長率に関する日本の国際公約とも矛盾しないものです。ですが、逆が起きるとは限りません。経済成長率を何か別の方法で上げたとしても、①②③は達成できないのです。
補講
260-261
私は現在需要激増期にある医療福祉についても、住宅需要激増期の公営住宅供給・民間住宅供給の役割分担と同様の仕組みが機能するようにすべきだと考えています。すなわち、公的な医療福祉サービスの中身は、公営住宅同様に、個人の生存権を十分に満足させる水準でなくてはなりません。ただそれはどうしても、十分に「快適な」水準であるとまでは言えないものにとどまります。そこから先、さらに快適なサービスを求める人は、民営賃貸住宅に引っ越した人や自宅を買った人と同じで、自分のお金でどんどんより快適な水準を追求していけるようにすべきなのです。
ただし、公的保障だけで生きていく人と、自分でお金を出してさらに快適なサービスを求める人と、味わう快適さは違いますが、平均寿命は同じであるということを目指さねばなりません。そして供給側(=医師、看護師、介護福祉士、その他医療福祉関係者)も、公的保険で来る人と自分のお金で来る人、どちらを相手にしていても一定限度以上の十分に満足のいく収入は得られるような仕組みが必要だ(し、そういう仕組みの構築は可能だ)と考えるわけです。公営住宅を建設しても民間住宅を建設しても、建設業者にはそれなりの売上が入ったというのと同じことです。
このように、公的介入によってそれなりに高めの最低線(=ナショナルミニマム)を保障しつつ、その先の快適性追求を市場経済原理に則って自由に認めるという結論は、過去に住宅市場で実現していたにもかかわらず、市場か政府介入かという今の不毛な二元論の中では忘れられがちになっています。専門分野の壁に阻まれているのでしょうか、簡単な温故知新ができていないわけです。
ですがこれを実現すれば、供給側の人件費は確実に増やせます。それ自体が、ここで大テーマに掲げている「高齢富裕層から若者への所得移転」の一つのプロセスでもあるのです。さらには、先ほど述べました「生年別共済」の加入料を医療福祉の現場への料金支払いに回すことで、現場の苦しみをさらに緩和することが可能です。
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