河野節、痛烈ですが、的を得ていますね。
2011年4月24日の記事ですが。
河野太郎さんは、3.11の前からずっと原子力政策に反対の立場を表明しておられました。理由は、使用済み核燃料の処分方法が確立していないから。
東京電力のテレビCMでは、安全な地層深くに埋める、と盛んに宣伝なさっていましたが、大地震後はさすがに、そんなCMは一度も観ていません。
このCMを見つつ、日本に安全な地下なんてあるのか?とこの人(=私)は思っていたのですけれども、地下処分の予定地もまだ決まっていなかったのでした。
それにしても、大地震が予想される地点に原発を立地してしまったことは、どう考えればよいのでしょうか。
すでにしてしまったことですが、今からできることでも、早急にすべきではないかと思うのです。
しかし、後には引けない、という心性は、日本だけのものではなさそうなのでした。
嗚呼。
後には引けないという気持ちはあるけれども、そのために、後に引かないと、もっと後で、どうにもならないことが待っているんじゃないかとか、そういうことは想定したほうがいいんじゃないでしょうか。
これも、想定外、ということで、未来に対しても、申し開きができるんでしょうか。
難しいのは、被害を起こした当事国が原発を推進する立場をとることですね。
なかなか単純にはいかないのです。
でも、地震や津波は人間の意志では発生を止められないですけども、原発はとめるかどうかは人間がとめることができるはずなのではないでしょうか。
人間がとめられるうちに、なんとか、賢明な判断をすべきときに、すでに来ているのではないか、という気がするのです。
東京新聞さん、今後もがんばってください。
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