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2011年5月 9日 (月)

原子力研究者として、原子力を批判し続ける人たち。

 小出さんの本は、新書で読んだことがあって、それも、もう15年ほど前のことになりました。

 その頃、原発の危険性が気になっていたこの人(=私)でしたが、しかし、今のようなことにまでなるとは想像しておりませんでした。

 ところで、こういうサイトを見つけました。ええと、小出さんがインタビューを受けておられるのを、奇特な方が書き起こされたものです。ありがとうございます。

 ここで、小出さんは、こういうことを言っておられます。

 (1)の最後の段落ですが。

 私と今中がいなくなった時には、いわゆる大学という世界で原子力に抗議を続ける教員はいなくなると思う。物理学や地震学をやっている人で原子力に抵抗する人はいるが、原子力の世界の中で原子力に抵抗する人間はいなくなるだろう。

 原子力を発電に利用しなくなる日が来るとしても、放射性廃棄物の管理は永遠に続くわけで。

 そういう意味で、専門知識を持ち、批判的な態度を摂り続けることができる人がいなくなることに、大変な懸念を覚えます。


 さて、最近になって、武田邦彦さんも、原子力について批判的な主張をされております。

 武田さんは、自分たち原子力を安全に利用することができると思っていた者は、間違っていたと認めるべきだというようなことをおっしゃっておりました。

 武田さんのブログも、いろいろと有用な情報がありますので、よかったら、ぜひ、ご覧ください。

 ここです。

 「さらば!」には、原発推進派の人たちからメールが来たというエピソードがありますが、いわゆる「転向」を批判するメールに、「さらば!」とおっしゃっております。

 こういう態度は、なかなかとれるものではないと思うのです。

 だから、内心、間違っていたのかも、と思う人でも、なかなか認められないのかもしれません。

 わかりませんが。

 今後、原子力業界だけではなく、研究者の中でも、どういう風に、このことが受け止められ、人材はどのように推移していくのか、とても関心があります。

 もっと、時間が経てば、誤りを認める人も増えてくるのかもしれません。

 数十年信じていたものを、疑ったり、否定するには、まだまだ時間が足りないのかもしれませんね。

 自分なら、自分が信じていたものがこういう状況になったとしたら、どうなんだろう・・・。

 いろいろ考えさせられることが多いです。

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コメント

えふさん
  武田さんの「原発論点6」の最後に
「誠実であること、
透明性を保つこと、
万機公論に決すること、
大切なことは何時の世も変わることはない。」
とあります。そのとおりだと思います。
政治家は国民に対して、生産者は消費者に対して、学者は非専門家に対して、それぞれ政治・行政や、企業運営や、学問・研究で知りえたことを誠実に伝えること。これが信頼の基本です。今回原発に関して、この意味で誠実であると思えない例が多々あったことが残念です。


山口一男さん

 ありがとうございます。
 おっしゃるとおりだと思います。この場合の「誠実」とは、主張したいことに不都合な事実やデータや、限界についても、きちんと伝えるということも含むのではないかと思うのですが、往々にして、都合のよいことを強調して伝え、不都合なことは目立たないように伝えるか、場合によっては、割愛してしまったりすると思います。

 今回の原発に関しては、より都合がよいことについて、誇張して伝えるところがあったと思っており、残念なのですが。

 ただ、主張する側、伝える側だけではなく、受け止める側の態度も問われる必要があるのではないでしょうか。メディア・リテラシーや調査リテラシーと言われるものなども、受け手の側の態度に関することかと思いますが、都合のよい情報だけを好んで受け止めて、自分の知りたくない情報は受け取らないようにする態度は、程度の差はあれ、多くの人に見られるのではないかと思います。

 バランスのよい受け止め、は、言うは易しで、なかなか実践できないです。

えふさん
  おっしゃるとおりです。政府も、企業も、専門化も、マスコミも「空気を読んで」発言する結果、自らが
一定の空気を作ることに加担し、人々が事実を正確に知り判断することを阻んでいる傾向があります。それが都合の悪い事実は伏せたり発表を延ばしたりし、また不確実だが十分ありうる悪い予測をする人を、非難したりすることにもつながっています。
  受け止め側の問題も、当然あります。が、現代日本では幸い知る努力をすれば、判断に必要な多様な情報が得やすい状況にあります。バランスの良い受け止めというより、自ら知ろうとする姿勢により、一面的に出なく、多面的に知る努力が重要ではないかと思います。

山口一男さん

 ありがとうございます。

 後段の御指摘、たしかにそうですね。政府発表やマスコミ情報の受け手であるわれわれも、受け手としてだけの存在ではなく、積極的に情報を収集していくことも現代では可能ですし、マスコミに頼らないコミュニケーション方法も発達してきているので、受動的な情報受信ばかりではなく、能動的な受信をすることができることを知っておくことと、実践できるだけの収集能力を備えることが大切だと思いました。

 マスコミを除くコミュニケーションは、主にICT能力と呼ばれるものだと思うのですが、まだ、人によっては、そういった力や環境が十分に備わっていない場合もあるので、その辺りのことも、個人としての必要な能力に加えるべきか否かについては、明確には決めかねますが。

 「能動的な受信」って、なんか矛盾した単語のように思えますが、伝わるでしょうか?
 「受動的な発信」って、あるんだろうか、ということもちょっと気になります。

えふさん
  「能動的受信」、いい言葉ですね。はやらせたいです。
  「受動的発信」。あるある。政府のプレスレリースを、検証しないでそのまま流したり、ロイター・共同通信のニュースをそのまま伝えたり。発信者は自分で納得して責任を持って発信すべきなのに。以下ジョークです。

  政府が「ああだ」と言えば、「ああだ」と言う。
  共同通信が「こうだ」と言えば、「こうだ」と言う。
  こだまでしょうか?
  いいえ、日本のマスコミです。
  

山口一男さん

 ぉぉ、ありがとうございます。
 ぜひ、流行らせてください(笑)。

 「受動的発信」の例もありがとうございます。たしかに、そうですねぇ。

 「ジョーク」ですけれども、これ、震災後、ものすごく繰り返し流れていたACのCMで、もとは金子みすずの詩だと思うのですが、よくご存知ですね。驚きました。

 聞いた話ですが、マスコミの記者の中には、自分で勉強することなく、時間がないからと、すぐに政府の関係部署に電話して聞き、参考資料等の情報提供をしても、読みもせずに、担当者に説明を求めるような人も目立つそうです。
 時間がない=自分で調べない、では、誠実な発信はできないはずですが、記者さんだけではなく、いろいろな職業において、「時間がない」を言い訳に雑な仕事をしているのではないかという気がして、自分のことなども反省してしまうのでした。

えふさん
  確かに私は在シカゴですが、社会学者なので震災後の日本の状況は「能動的受信」をしています。その中で、ACのCMも入ってきました。私も『ダイバーシティ』で金子みすずに言及しているので、自然に心に残りました。ピアノのバックもなかなかだったし。ただ、このCMの枝野さんのバリエーションににもありましたが、原子力安全委員会や、東電の発表を丸呑みにして国民に伝え、異なる事実が判明するにつれ修正する政府のあり方もマスコミ同様「受動的発信」者の態度です。政府も、マスコミも信頼できないとなると、市民社会のための能動的受信の役割は大きいですね。

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