放射線量、測定の仕方で結果に差が出る話。
「実はこんなに高い あなたの町の「本当」の放射線量」という記事を発見しました。
ここです。
ぜひご一読ください。
放射性物質が地上に落下して、地上にたくさん溜まっているとして、測定しているのが地上から18メートルとかだと、地上を歩いて暮らしている人間の生き方に対して、あんまり実用的な測定方法ではありませんよね。
役に立たない、というだけではすまない問題だと思われます。
人間の暮らしの現実とは違った、少ない放射線量を公表することになっているのではないか、との疑念が湧きます。
正確な情報提供のためには、正確な測定方法、実際の生活で受けるだろう線量を知るために適切な測定方法が重要なのではないでしょうか。
仮に、そういう風に測定したとして、都合の悪い結果が出たとしても、それは、その結果をもとに、どうすればいいのかを誠実に考えるべきではないでしょうか。
違うのか?
各家庭にひとつ備えなければならないんでしょうか、線量計。
そんなことをしなくてもいいように、国が測っているんだと思っていたんですが。
はて。
誠実な仕事をしてもらっている、という認識のもとに、いろいろなことをお任せしているはずですが。
正確な情報提供、いささか、あやしいですのう。
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えふさん
もともと計測器を人の生活とかけ離れた高さで測定することにしたこと自体に行政の意識の低さがあったのだだと思います。
しかし、現在地表の近くと高度の位置での測定値に大きな違いがあると認識していながら、地表近くでの測定値に基づく対応への変更をしないことは、意識的に低い値を国民に与え続けているとしか、結論の下しようがありません。情報の公開だけでなく、適切な尺度を用いた情報であるのかをも、問わなけれならないとすると、政府の流す情報が「戦前の大本営発表」という比ゆもあながち誇張ではないということになります。このような行政の下では、特に被爆の影響の大きい子供たちの将来が本当に心配です。
投稿: 山口一男 | 2011年5月26日 (木) 01時24分
山口一男さん
ありがとうございます。
ええ、最初の時点での設定については、意図的ではないと言うことはできると思うのですが、今の状況で変えないのであれば、作為があると言われても言い訳できないと思います。
子どもに対する年間被ばく量の基準も、文科省がこの事故後に、20ミリシーベルトまで、としたのですが、これについても、大変大きな懸念が各方面から出されているところです。
投稿: えふ | 2011年5月26日 (木) 23時25分
追伸
今日の記事で、地上1メートルでの測定による結果について取り上げました。
政府が正確&適切な測定による結果を出さないのは問題なので、早く態度を改めるべきとして、先日お話した「能動的受信」について、地道に実践していきたいと思います。
投稿: えふ | 2011年5月26日 (木) 23時29分
はじめまして、(実はかなり以前から)ときどき覗かせていただいております。
この現代ビジネスの記事は、いわゆる「自然放射線量」を考慮していないので、疑問の声も出ている記事です。もちろん議論の余地はあるとは思いますが、少なくともその点は注意が必要かと。
http://chalow.net/2011-05-24-4.html
全般に、それなりに慣れた人でないと、放射線の測定って誤差が出やすく、特に今回は低線量の測定なので、状況次第で数倍や数十倍の値が出てしまうこともあるみたいです。また、測定値のデータの補正にはそれなりの知識も必要なようです。さらに測定条件の詳細も合わせて考える必要がありそうなので、一般の人が突然ガイガーカウンターを使って計ってみた数値だけでは、あまり一喜一憂しないほうがよさそうです。
http://twitter.com/#!/Mihoko_Nojiri/status/73182767474675712
http://togetter.com/li/139806
個人的には、数値や測定や悪意の有無(?)という問題ももちろんあるけど、それ以上にコミュニケーションの問題が大きいなあと感じています。不安や不信の芽が出始めたときに、どのようなメッセージを、どのような語り口で、どのような根拠を提示しつつ発信するのか。また、入り組んだ事態についてさまざまな断片的コメントがなされる中、読み手がどうバランスをとるのか。「能動的受信(発信も)」は本当に重要だなあと痛感しています。
長くなり失礼しました。
投稿: Mitch | 2011年5月27日 (金) 15時50分
Mitchさん、はじめまして。
コメントありがとうございます。
また、かなり前から見守っていただいていたとのこと、ありがとうございます。
放射線量の測定について、たしかに、測定はプロと素人とでは違いが出るかもしれませんね。家電のように、誰でもが使えることを目指した機器と、厳密な科学的データを得るための測定器では、扱いの難度が違うというのは、ご指摘いただければ、納得できます。
最近流行りの(?)ガイガーカウンタについても、私はどういうものなのか観たこともないし、使ったこともないので、誰にでもすぐに使えるものなのか、基本的に、どういう場所に備え付けるのかなど、基本的知識がありません。
ところで、最後の段落、大変興味深いです。
よく政府の悪意みたいなのを疑う論調が出てきますけれども、昨日の私のコメントでも「作為」について書きましたが、基本的には、悪意や作為はなしと前提して考えたほうがいいように思っています。
ただ、おっしゃるように、悪意や作為と見なされやすい傾向があるわけで、その場合、どうするのかは、特に、政府は留意すべきだと思います。
先日、震災直後にSPEEDIの公開をしなかったことについて、細田さんが「国民がパニックになるのを懸念した」と認めましたが、こういう一種の「配慮」も正確な情報公開を妨げる要因になりがちだと思っています。
国民が政府を疑い、政府も国民の冷静さの程度を疑った好ましくない事例と言えるかもしれません。
今回、いろいろご指摘いただきながら、恥ずかしいですが、「能動的受信」も少しずつ精度や確度を上げていって、もうちょっと上級者になりたいものです。
投稿: えふ | 2011年5月28日 (土) 00時23分