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えふさん
アクセス10万。やりましたね。さりげなく役立つ情報や、個人の真摯な思いを伝えられているからだと思います。一つ前の記事ですが、「おかき」。幼時の事故の障害のせいか、目がびっこで個性のある「風貌」になりましたが、元気で生きているみたいですね。一匹の他家の猫にも貴女のようにフォローする人がいる。3:11以降、運命の変わってしまった人々も多いと思います。彼らをこれから、どうフォローし見守るのか、政治や社会の質が問われます。太平洋戦争の終戦後は、みな嫌なことは忘れようといった態度で、そのせいで切り捨てられた人たちが(日本だけでなく世界でも)多かったと思います。今回も復興という掛け声のもとで、また切り捨てられる人が出ぬよう、同じ轍を踏まぬよう、政治や社会に成熟を期待したいのですが。。。
投稿: 山口一男 | 2011年7月 7日 (木) 05時14分
山口一男さん
ありがとうございます。
これまでのご愛顧についても、ありがとうございます。
おかきさんは、少し前に今の飼い主さんに拾われてから2周年を迎えておられました。この2年ですご~く大きく立派になられ、今ではもさもさのふっさふさの長毛種の大人になられました。猫さんも成長されて、直接お会いしたことがなくても、ウェブ上で見守ることができるのは、現代だからこそ、かと思います。
3.11震災後の世界は、人々がより人との絆を求めるようになったという分析を新聞などで読みました。震災のようなときに、自分の身を案じてくれる人や助け合う相手がいるかどうかは重要ですね。
でも、その時点で、身近なところでそういう関係がない人にも助け合いの手や支援が差し伸べられることが必要だと思います。
平時にもさまざまな意味でのセイフティーネットが必要です。
太平洋戦争後は、忘れようという態度だったのですね。わからないでもないです。きっと、大半の人々が身内を失ったり大切なものを損なわれたりして、傷ついて疲弊していたのだろうと思います。忘れるのも、ひとつの精神的な防御機能のひとつではないでしょうか。
しかし、おっしゃることは、よくわかります。切り捨てられる人、今回の震災後には出ないよう、どうすればよいのでしょうか。すでに、震災、特に原発事故を理由として、将来を悲観して自ら命を絶ってしまわれた人が何名かおられるようです。
生活基盤、特に、農業や畜産業を失うことで、希望を失う人がこれ以上出ないよう、少なくとも生活の心配をしなくても避難生活を続けられるよう、早く避難生活を終えられるよう、いろいろをしなければならないと思います。
それにしても、「ご発言」によって、また大臣が辞任するという、あっぱれなことがあったばかりです。
ポジティブなあっぱれさを発揮してもらいたいものです。
投稿: えふ | 2011年7月 7日 (木) 21時44分
えふさん
僕もユーストリームで、あの「オフレコ」の会談見ましたよ。なんなんだろうあの態度。米国30年で常に人は対等の姿勢で接することになじんだ僕には、久々に怒り心頭で、しばし物もいえませんでした。ニュースで「地方自治体の長と大臣は対等であるべき」云々とありましたが、そんな問題ではないでしょう。被災者と復興についてお互いが協力して何ができるかと話し合う席で、長幼の差だの、面子だの、あまけにマスコミへの脅し。報道では、彼は「人権問題に熱心」とか。「笑わせるんじゃないよ」と、平素人を罵倒したことに無い私ですが、できることなら彼に面と向かって言いたいです。こんな人を大臣にすえるようじゃ、菅さんも、民主党も、もう本当にどうしようもないですね。大臣だけでなく、議員を辞職させるべきでした。
投稿: 山口一男 | 2011年7月 8日 (金) 02時52分
えふさん!Félicitation!
取り上げられている話題、100%ついて行けてはいませんが、日常をボッと過ごさないためのカンフル剤として、フランス語レッスンで議論するときの資料として、活用させていただいています。
あ、「お召し上がりもの」に関しては、OKです!(笑)
この先もいろいろ楽しみにしています。
投稿: miauleuse | 2011年7月 8日 (金) 23時35分
山口一男さん
怒り心頭、ごもっともです。
しかし、考えてみますと、あっぱれなあの方のお仕事や生活の環境は、そういうところなのではないかと思うのです。つまり、上下関係がはっきりしていて、というか、どっちが上でどっちが下なのかを常に意識して、立ち振る舞うのが「常識ある人間の態度」という特殊な「常識」の世界なのではないでしょうか。
ですので、「国難」のときにこそ、平素の「常識」をいかんなく発揮して、共闘する仲間意識を盛りたてたかったのではないかと思いました。
自分の周囲の環境が世の中のすべてであると、認識する人間は、残念ながら多いように思います。それが違うことを示そうとすると、相手を「非常識人」と決めつける感じがなくもないです。
そんなことで、日本人の多くは、呆れたり驚いたりなさったと思うのですが、当の本人は、それがわかるまでに随分と「時差」がありましたよね。それも、驚きました。
ああいう人が「人権問題に熱心」だとするなら、人権問題に関心のない人って、どんなんだろう、ととても気になりました。
いろいろが「相対的に」判断されるので、あの方の世界では、あの方の人権感覚はまだよいほうなのでしょうか。
そうだとすれば、よりいっそう驚きあきれる事態ですね。
どっちがえらいかを決めないと落ち着かない人って、まだまだ日本では多いです。特に、「社会性のある」と言われる職業人(=男性)に多いように思います。
主婦の女性たちの集まりでは、相手との差がはっきりしないように、夫などの職業とか言わない様にしていることもあると聞きます。それでも、世間話で仲良くなれることのほうが、ずっと「社会性がある」ような気もするんですが。
世の中のことは、どういう範囲で比べるのかとか、何と比較するかによって、随分と違うものなんだと思います。
あっぱれ発言が批判されるだけの感覚があったことは、すごくうれしい発見でもありました。リークしたマスコミの矜持にも、まだまだ、日本社会も捨てたものではないと思いました。
総合的に、複雑な気持ちです。
投稿: えふ | 2011年7月 9日 (土) 22時10分
miauleuseさん、アツァツ
お祝いありがとうございますだ~。
フランス語のレッスンにまで使っていただけるネタを少しでも提供させていただいているのであれば、それは、嬉しいです。
私は、映画や趣味の話とかを語学レッスンなどで聞かれると困ってしまうのです(そんなに頻繁に映画を見たり、高尚な趣味がないので)。
だから、ニュースや時事的なことは関心もあるし、常に情報収集もしているつもりなので、自分なりの意見を言ったりするもの好きです。ただし、日本語なら・・・。
関心のあるニュースのことなどは、話したいけど、語学が追いつかず・・・とままならない状況です。
そんななか、miauleuseさんにおかれては、たぶん、時事フランス語のほうが、日常会話の単語よりも難しいでしょうに、果敢に挑戦なさっているようで、いつも敬意を感じております。
ヒルゴは、激写が癖になり、たまに、職場の人と一緒に行くと、「写してどうするのか、気になる~」と言われ、最近では怪しまれています。ブログをしていることは、内密なのです。
そんなことで。
こちらこそ、数少ないコメンテーターとして、これからもよろしくお願いします。
投稿: えふ | 2011年7月 9日 (土) 22時16分
えふさん
社会学的示唆に富む返信をありがとう。一寸恥ずかしいです、自分がかなり「素人」の反応を示したことについて。怒りというのは諸刃の刃ですね。感性が風化するのも問題だし、冷静な分析ができないのも問題だし。で、冷静に見直します。
日本の政治の世界が、常に地位・上下を意識する世界だとすると、大臣ともなれば、特に長幼秩序プラス地位秩序の感覚で、あのような態度が年下かつ地位が下の「仲間」への「兄貴分」としての「率直な」態度ということになるのかも知れませんね。でも、政治でこそ「人は基本的に同等」の規範があってしかるべきとも思えます。韓国でも歳が上だと「ため口(パンマル)」で相手に接するのが当然と言った古いタイプの人がいて、親しくも無いのに兄貴分(ヒョン)面をするのは非礼だと感じるより現代的な人では、話がギクシャクするそうです。松本前大臣も日本版の古いタイプの人ということなのでしょう。ただ、若手の知事に対するだけで無く、マスコミに対し、また間接的に福島の被災者に対し、あのような高圧的姿勢で臨んだのは、権威主義的パーソナリティなのでしょうね。でも「権威主義」と「人権意識」がどう考えても共存不可能と僕には思えるのですが。彼が政治家内で「人権派」なら、本当に日本の政治家の人権意識の程度が、気になります。
>主婦の女性たちの集まりでは、相手との差がはっきりしないように、夫などの職業とか言わない様にしていることもあると聞きます。それでも、世間話で仲良くなれることのほうが、ずっと「社会性がある」ような気もするんですが。
そうですね。上野千鶴子さんが、『おひとりさまの老後』でだったと思うけれど確証は無いのですが、「夫の職業を言わない」のが女性同士での付き合い方の礼儀みたいなこと書いていましたね。でも確かに、夫の仕事が何であれ、その人自身が何をし、何を言うかで、判断される付き合いのほうがずっと望ましいあり方です。社会性というのは、規範遵守の面があるのですが、「夫の職業の違いにより女性の地位が異なって当然」という規範と、これと矛盾する、「組織を離れた人の付き合いでは対等な付き合いが当然」という規範があって、上野さんの「提案」はいわば実質で後者を取る折衷案なんだと思います(前者を否定する態度を鮮明にしないという意味で)。
>世の中のことは、どういう範囲で比べるのかとか、何と比較するかによって、随分と違うものなんだと思います。 あっぱれ発言が批判されるだけの感覚があったことは、すごくうれしい発見でもありました。
これも、おっしゃるとおりです。批判の視点は様々でしたが、この日本版の権威主義的パーソナリティが不適切という姿勢ではかなり一致していたと思います。「あの発言のどこが悪いんだ」と言った人が、ウェブの世界では結構いたことは気になりますが、本音はともかく、建前上は松本氏の態度を肯定する政治家がいなかったことも良かったです。こういうことの積み重ねで社会は変わっていくのでしょう。
そういえば「九電」の「やらせ」についても、コンプライアンスに反するという市民社会原則の視点を散見しました。一方で「組織の利益のために組織を動かして何が悪い」といった感覚も九電トップをはじめ、多くの組織人の本音である、という古い体質も見られました。市民社会の原則は、組織の利益追求原則に優先すべきだ、という意識が多くの組織人に定着すれば、社会は良くなるし、この点今回「やらせ」の批判が圧倒的であったことも「嬉しい発見」といえるかもしれません。
投稿: 山口一男 | 2011年7月10日 (日) 04時54分
山口一男さん
ご丁寧な返信ありがとうございます。
「社会学的示唆に富む」とは光栄です(笑)。
あっぱれご発言のことなのですが、日本の政治世界では、「権威主義」と「人権意識」が両立するのだろうと思います。残念ですが。
残念なのは、そういう世界でいう「人権」というのが、非常に不十分なものであるが、あるいは、方向の違ったものではないかと思えるからです。
前者だとすれば、私からすれば当然の権利を主張しただけに思えるようなことでも、「権利、権利と、権利ばかり主張して。権利意識が強すぎる」と受け取られたりする場面があるように思います。このような発言をする人の人権意識は、かなり低いか、自分自身にも人権を認めていないのではないかということが疑われます。
後者は、人権も「権利は責任とセット」という考え方のうちのひとつのタイプかと思います。もちろん、権利にもいろいろありますので、責任を果たすことが同時にもとめられるものもあると思います。ただ、人権は、それを基本的人権とするのであれば、責任を果たすかどうかにかかわらず、すべての人に保障されるべき権利だと思うのです。
いずれにしても、日本では自分の権利を侵害されても、怒りを表明する人が少ないように思うのですが、それは、温和な民族とかいうのではなくて、人権を自分の権利と捉えている人が少ない、つまり、人権意識が弱いからではないでしょうか。
そうだとすれば、「偉い人が言うことを聞いておけばよい」という権威主義とよく調和しそうです。
人権意識が弱い、薄い世界では、少しでも当然の権利を主張する行為や、その人間に対して、すごく反感が出るように思います。その裏には、「誰でも(自分も)がまんしているのに、自分だけ主張するなんて、許せない」という感情があるのではないでしょうか。
政治家に対しても、人権意識をもつことを求めるのは大切ですが、選挙民であるこの私なども、候補者選びのときに、人権を大切にしている人かどうかを吟味し、その前提として、その人の人権に対する考え方がわかるような情報提供を求め、判断できるようにしていくことが必要かもしれません。
言うは易し、ですが。
上野さんは、かなり早期から、女性同士の関係についていろいろと述べてこられていたように思います。
ここで、2つの異なる規範について、正面から戦うことなく、「折衷案」を提案しているという「読み」は、さすが社会学者ですね。大変知的な刺激を受けました。
「九電」のやらせメール問題も、かなり大きく取り上げられましたね。また、住民説明会でも参加した住民の方々が積極的に質問したり意見を言われる様子が報道されていました。
不信感をあらわにした質問に、答えるほうは圧倒されている感じでしたが、住民の人たちこそ、怒って当り前で、それに誠実に対応できないのであれば、そもそも公益性の非常に高い電力を業務にする資格はないのではないかと思いました。
また、すでにあちこちでいろいろな方が指摘されていることではありますが、事実上、電力が地域独占であるということも、制度を変えて、誠実な企業が参入できるようする時期ではないでしょうか。
原子力ばかりではなく、これまでのエネルギー政策を根本的に考え直す好機と捉えて、よりマシな、仮に事故が起きても、人間が対処のしようがあるような、そういう技術を推進することが、将来も含めて、人間社会の存続を約束するのではないかという気がします。
なんか、熱くなってしまいました(笑)。
投稿: えふ | 2011年7月11日 (月) 22時48分
えふさん
今回は難しいテーマなので、前半部分にだけ考えを述べます。日本人の人権意識の希薄さですが、人権にかぎらず様々な権利について責任(あるいは義務)と一体化させて、義務(責任)を果たすことが権利の生じる条件のような、いわば「条件付権利」のような認識を持たせる慣習はおっしゃる通り非常に問題です。権利は無条件に存在し、ただ福祉の乱用などでよく指摘されるように、権利の乱用のモラル・ハザードの問題がありますが、それは義務・責任が条件という曖昧なものではなく、違法な形で、あるいは違法でなくても権利の趣旨に反する形で、権利を用いてはならないという当然のことです。最近では、親族の死亡通知を出さずに年金を受け取るという違法行為が発覚したのは記憶に新しいことです。違法でないモラル・ハザードは例えば長期育児休業を取ったが、もともと離職するつもりでいて、育児休業後即離職する場合が該当します。ただわが国では短時間正社員制度を認める企業がまれで、復職後育児をしながらのフルタイム勤務は無理だと感じて離職せざるを得ない場合も多いので、育児休業後の短期での離職がモラル・ハザードの問題と一概に言えません。ただ企業の方はそう取りやすい状況を生み出しています。
日本人の人権意識が弱い・低いといった問題ですが。根本原因と派生原因があるように思います。えふさんのおっしゃった「人権意識が弱い、薄い世界では、少しでも当然の権利を主張する行為や、その人間に対して、すごく反感が出るように思います。その裏には、『誰でも(自分も)がまんしているのに、自分だけ主張するなんて、許せない』という感情があるのではないでしょうか」というご指摘は鋭いものですし、そういったメカニズムが権利の履行を難しくさせていますが、派生原因のような気がします。つまり根本原因はなぜ多くのひとが「がまん」するのかということです。男性の育児休業を例にとると、多くの男性が取れるものなら取りたいと思いながら育児休業をとることには上司が批判的だとか、昇進が遅れる、などの理由で実際は2%程度の男性しかとらない現状です。これは企業や上司の側に、伝統的性別役割分業意識が強く、「女性(特に一般職女性)なら家庭を優先してもよいが、男性は仕事優先で有るべきだ」という意識があるからです。でもそういう考えは男女共同参画基本法の趣旨にも、育児休業法の規定にも反します。にも関わらずわが国では、法よりも慣習規範を優先させる企業が法的に罰せられない、あるいは罰しにくい、状況があるので多くの雇用者が権利がありまなら「がまん」を強いられる状況にあることが根本原因だと思います。「女性なら家庭を優先させてもよい」という考えは、他方で雇用や昇進について女性への違法な差別の慣習を生み出していますが、これも罰せられていません。つまり日本は労働法関係や男女共同参画基本法の履行に関する限り、未だ法治国家といいがたい状況が存在しているのです。ですから、今回も九電の「やらせ」で問題になりましたが、法であれ、市民社会のルールであれ、コンプライアンス(企業の法や社会的公平を保つルールの遵守)やCSR(企業の社会責任)の徹底強化ということが、人権や権利の問題について今後の日本の一番重要な課題の一つであると思います。
投稿: 山口一男 | 2011年7月13日 (水) 06時30分