フィンランド流 社長も社員も6時に帰る仕事術
このケーキはモンブランなんです。味は栗です。なのに、形はモンブラン(白い山)ではありませんが、よろしいんでしょうか。
ともかく。
今日は、久々に書籍の紹介でもしたいと思います。
本日付の朝日新聞では、書評欄に前にここのブログでも取り上げていた(ここ)大野更紗さんの新刊本の書評がありました。かなり大きく取り上げられていますし、高評価でしたよ。自分が高く評価しているものがこのように取り上げられると、嬉しいものですね。
さて、今日は、「フィンランド流社長も社員も6時に帰る仕事術」です。著者も言っているように、これまで日本に紹介されてきたフィンランドは、社会保障的な側面や教育などがほとんどで、企業人の働き方の具体的なところまではなかったように思います。
『フィンランド流 社長も社員も6時に帰る仕事術』 田中健彦著、青春出版社、2010年3月刊
そこで、本書では、フィンランドを代表する企業の1つであるノキアがパソコン事業に見切りをつけて著者の所属していた会社に売却したところに赴任なさった経験から、その仕事術をより具体的に紹介していくところが特徴と言えます。
ノウハウ的なところは、日本企業においても6時に帰るための仕事術として紹介されている別の著者によるものと似ている気がしますが、フィンランドの企業の実例を紹介しつつ、文化や考え方も含めた内容になっているので、興味深く読み進めることができました。
この人(=私)が興味深いと思ったのは、まずは、以下のところでした。
フィンランドの職場は、通常、完全フレックスタイム制をとっている。朝10時から午後3時までが、一応コアタイムになっているが、厳しいルールではない。それぞれのライフスタイルに合わせて、早朝出勤して午後3時に帰宅する人もいれば、午後5時に帰る人もいる。一応、1日は7時間m1カ月140時間を働くことになっているが、これも推奨されているだけだ。
ここのところですけども、日本では、フレックスタイム制を導入している企業もある、というくらいで、さらに、そういうところでも、それを利用している人は、「特別に配慮された人」になっているように思いますが、どうなんでしょうか。
違いは、どちらを原則とするかで、ずいぶんと働き方の結果が違ってくるだろうというところです。
誰もがフレックスであれば、周囲の人に気兼ねすることなく、自分の事情に応じて、家族の都合や用事をすることもできるので、家族の一員としての責任も果たせるし、職場でも自分の仕事ができていれば誰からも問題視されずに済みます。
日本ではうるさく躾られる「報告、連絡、相談」、いわゆる「ホウレンソウ」は、ここでは強要されない。社内の報告のために、パワーポイントで時間をかけて立派な資料を作る必要がないのだ。まして上司が、資料の作り方が悪いと言って、いちいち突き返すようなことがない。
これも、大切ですね。最初に方針を決めてしまうことがまずは大切なんだと思います。やり直しを繰り返すことほど、時間がどんどんかさんでいくように思えるからです。
もちろん、仕事の内容によっては、何度も推敲する作業が必要なことはありましょう。
ただ、ここで指摘されていることは、おそらく、何度もやり直させなければならないのは、最初に明確に方針が確認できていなくて(方針が定まっていなかったのかもしれません)、指示が不明確だったために、できたものを見たらダメだとわかった(指示が伝わっていなかったとわかった)などということが多いのではないかと思うのです。
社内の人間の交流についても、いろいろと考えさせられることがありました。フィンランドに限らず欧州の会社には「ネットワーキング・スペース」という概念があるそうです。多部門の人たちが自然に集まる場所のことを指していて、自由に集まってアイデアや情報を交換し、人と人とのネットワークを作る場所のことだそうです。
これは、普段個室で働く人が多い欧州の会社の事情が大きく関わっているかもしれませんが、業務時間内で多くの時間を割くことなく気分転換と情報交換ができるなら、日本でも取り入れてみたらいいのに、と思います。
著者は、日本の「赤ちょうちん」を出してきて比較なさっているのですが、終業後に飲みに出かけると短時間では済まないし、酒が入ったことに甘えたり、言わなくてもいいことを言ってしまったりして、関係良好を目的としていたのにもかかわらず、関係悪化に寄与してしまうという笑えない結果を招かずに済みます。それに、就業時間後に時間をとれない人が増えてきている職場では、全員参加が暗黙の了解になっていると、かなり苦しいと思われます。
そういう点で、先進的な企業では、社内にネットワーキングのためや気分転換、あと、個室までは用意できないけれども、ひとりで集中してアイデアを出したいときに使えるスペースを用意しているところもあるようです。こういうのを、社員に対する福利厚生ではなく、会社の業績に対する投資と考えることができる経営者が増えるといいですよね。
ほかに、紹介されている仕事の仕方については、ムダな会議を極力排することでした。
そんなことで、人材が財産であるフィンランドの人材フル活用の様子を見ていると、日本とかいう国だって、天然資源があるわけでもなく、土地が広いわけでもなく、人材育成と技術などを高めて付加価値のある知や商品を生み出していくくらいしか、生き残る道がなさそうなのに、大丈夫なんでしょうか、と心配になってきます。
そこで、「わが大日本は・・・」みたいなナショナリストにはなれませんが、そうはいっても、もう少し他国の変化の様子を直視して、取り入れるべきは取り入れて変化も受け入れていかなければならないのではないでしょうか。
余裕があるんだなと思うことが多いですが、その余裕が客観的なものではなく、主観的なもの、もっと言えば願望でしかないのではないか、という気もして、気を揉みつつ、自分のできることを少しでもやっていかねばならないと思うのです。
ということで、本書、また、後日続きを書くかもしれませんが。
いったんは、ここまで。
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えふさん
「ホウレンソウ」の「報」ですが、日本では文部科学省の学術研究費をうけたGCOEは分厚い報告書を作って文部科学省に提出します。その報告書には研究センター関係者の論文が多数載るのですが、きちんとした査読を経て学術雑誌に出たものではないので、影響のあるものではまったくなく、いわば「これだけやりました」という証拠づくりみたいなものですが、この報告書の準備に膨大な時間をかけます。米国ではそんなことに時間は全くかけません。研究センターは資金源の財団に報告はしますが、学術雑誌に掲載された論文のリストとその要約や学会発表論文の要約で、あとはその全体像の素人にわかる記述程度のもので普通センター長がかきます。センター研究者はただ自らの研究の公的発表に勤めれば良い。未だ公的に発表もされない論文を報告書用に書くことに時間を注ぐなどということは全くなく、その分実質的な研究に時間をそそげます。日本というのは学術の分野でも、不必要な「内部資料」や「内部報告」を必要とされるため学術生産性が大きく下がっていると思えます。研究センターの目的が研究の効率的促進ではなく、継続的に学術資金を受けるための資料作りになっているからです。もちろん、そういった「無駄な」資料を求める文部科学省の問題もあります。
投稿: 山口一男 | 2011年7月11日 (月) 02時00分
山口一男さん
コメントありがとうございます。
なるほど、GCOEの報告書はいくつか見たことがあったのですが、あれがあんなに立派なのの合点がいきました。印刷製本も立派で、表紙のデザインも素敵ですよね。
・・・そういうセンスの問題ではないですね。
おっしゃるように、報告書に掲載するための論文を書くよりは、査読のある学術雑誌に投稿して書き直す作業をしたほうが、ずっと実績になるかと思いますし、読む側からしても、専門家による査読を経ているほうが内容についても信頼をすることができるかと思います。
報告書を出させるのは、ある意味、資金を提供したことによる成果品を提出させて、資金支出の正当性を確認したいのではないかと思いますが、内容については、資金を支出した文科省担当者などでは、専門性や内容について判断できないわけですから、考えてみるとおかしな要求だと思います。
資金提供の成果を求めるのであれば、おっしゃるように、そのためだけの報告書を作成するよりは、専門学術誌に掲載された論文のリスト、あるいは、コピーなどを報告書として提出させればいいように思います。
言われてみなければわかりにくいですが、資金のために、報告書を作成する時間やエネルギーがあるなら、もっと集中的に査読論文を執筆するのに努力をするべきですね。
いろんなムダがありますが、能力もエネルギーもまだまだムダにしていられるほど、ある意味、余裕があるんですね。
私は能力もエネルギーもさして余裕がないのですけれども、このことを知って、なんとなく、反省しました。
投稿: えふ | 2011年7月11日 (月) 22時11分
えふさん
ただ公平のために言うべきなのはGCOEの報告書にも、良い物は例外的にあるということです。それは内容的に学術論文にはしがたく、かつ商業出版も不可能だけれど、印刷物にする価値のある場合です。一例を挙げると、東京大学GCOE「グローバル時代の男女共同参画と多文化共生」報告しシリーズの3『日韓社会における、貧困・不平等・社会政策:ジェンダーの視点からの比較』です。これは日韓の学者のシンポジウムの発表と討論内容を原型に近い形で掲載したものですが、最初の半分が日本語、後の半分がほぼ同様の内容を韓国語で併載しているのです。質の良いシンジオウムを商業出版することは不可能ではないですが、これをかつ日本語と韓国語の併記でするとなるとまず不可能です。このシンポジウムは情報に富む内容で、こういう物をGCOEの報告書の形で非売品印刷物として形ある物にしてより多くの人のために残す、こういう大沢真理先生の報告書利用のセンスは抜群にいいですね。
投稿: 山口一男 | 2011年7月12日 (火) 09時44分
山口一男さん
例外的なよきものの具体例を教えてくださってありがとうございます。
たしかに、報告書でもその特性を活かしたよいものはあろうかと思います。
大沢真理さんの指揮のもとにそういう意義深い報告書が作成されたのでしたら、たしかに、すばらしいセンスですね。
ある程度までは、センスは学べるものだと思うので、そういうよい事例に、他の報告書作成者が学ばれることを望みます。
とはいえ、そういう視点を提供しないと、なかなか自分でそういうことに気が付くことは難しいと思うのですけれど。
それと、その報告書、拝見したいです。
投稿: えふ | 2011年7月19日 (火) 20時44分
えふさん
すみません。非売品出版物というのは、個人ではどうやって手に入れるのかはわかりません。ただ官庁・団体・大学・民間研究機関などの場合、東京大学社会科学研究所に申し込めば在庫があれば無料で送ってくださるはずです。
投稿: 山口一男 | 2011年7月19日 (火) 21時03分
山口一男さん
ありがとうございます。
はい、大学の出版物などは、大学図書館だけではなく公立図書館などにも送付しているのではないかと思います。
また、ジェンダー関係の研究報告書であれば、ものによっては、男女共同参画センターのライブラリーなどにも入っている場合もあります。
東京都立図書館にはあるようですので、そういうところに行けば見られると思います。
こういう非売品の出版物、いわゆる灰色文献(gray literature)については、アクセスが限定されるため、価値が高く、一般社会においても有用なものでも、埋もれてしまう可能性が高いことが残念なことのひとつと言えるかもしれません。
投稿: えふ | 2011年7月19日 (火) 21時22分