「フクシマとチェルノブイリの比較(改訂版)」が出ています。
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コメント
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えふさん
早川由紀夫氏は放射性物質の分布について有用な情報を提供しているのかも知れません。
しかし、そのこととは別に最近問題になった「福島の農家はオーム真理教徒と同じ」という発言や、関連する一連のTwitter発言は、私は社会に貢献しているのではなく、むしろ差別や偏見を撒き散らす、大きな社会コストを生む行為と思えます。一例をあげると彼は
(福島の)引っ越さない親は、子どもに毎日たばこ一箱与えて子育てしたのと同等だ。そのような娘はわが家の嫁にもらうわけにはいかないとのたまうがんこ親父に私はなりそうだ。 ちなみにこれは差別ではないと思う。差別とは、非合理で根拠のないことを理由に人を不遇することだと思う。この不遇処置には、正当な根拠が求められる。http://togetter.com/li/127858
と述べています。ご丁寧に福島の「娘」を差別しても、合理的根拠があるので差別でない、とまでいっているのですが、2点において私は彼の意見を認められません。まず、ものごとに「合理的根拠」という場合、まず第一にその実証的根拠が必要です。早川氏は「福島の子どもたちは、毎日たばこをひと箱与えられているのだと同等だ」と述べています。私は米国でニコチン中毒を含む若者の薬物中毒の影響を研究者したことが有りますが、もし幼い子どもに毎日一箱タバコを消費させたとしたら、その行為の害悪は計り知れません。それは健康だけでなく、生活習慣も完全に破壊します。一方不幸にして外部・内部被曝した福島の子どもの発ガン率の上昇は、被曝の程度に依存しますし予断は許さないにせよ、比較にならないほど健康上のリスクが相対的に小さく、また生活習慣への影響は皆無と思われます。つまり早川の言う「科学的根拠」は実際は偏見に満ちた自説のプロパガンダにすぎません。第2に仮に100歩譲って、多くの福島の子どもに将来被曝による健康上の問題が起こるとしましょう。えふさんは拙著『ダイバーシティ』で、六つボタンのミナの「障害」をからかい、いじめを批判されて「本当のことをいってなぜ悪い!」と居直る子どもの話を覚えていらっしゃると思いますが、福島で育つということの結果に何の責任もない子どもを「欠陥者」と決めつけ、そんな娘は「嫁にもらうわけには行かない」と書く早川氏の発言は恐ろしいとすら思うし、その様な人の言に私は人々は一切耳を貸す必要なしと思います。私は段階的縮小を経た脱原発を支持しますが、政府の情報提供に大きな問題があるにせよ、他方で放射能被爆に対し扇動的に人々に不安と偏見を植え付ける者の言葉は断固否定し、理性と社会的包摂をもって困難な状況とそこにおかれた人々の問題に対処すべきだと考えます。
投稿: 山口一男 | 2011年12月10日 (土) 22時02分
山口一男さん
ご丁寧なコメントありがとうございます。
早川氏のご指摘のところ、拝見しました。たしかに、別のブログ記事においても、因果が証明されたわけでもない方々の死亡について、福島第一原発の事故による放射能の影響であると断じておられたり、私としてもやや疑問に思う事はありました。
差別の正当化についても、ひどい論理だと思います。「論理」とは言えないかもしれません。
おそらく、早川氏の意図は、なんとか、不要な放射能被曝を減らしたいというものだとは思いますが、差別や偏見を助長するような主張は、おっしゃるように、認めてはいけませんね。
早川氏の発言についても、いくつかご本人しか読めない設定になっているものもありますが、読める限りにおいても、差別については批判している人も多くいることがわかり、ちょっとほっとしているところです。
不安を煽ることで社会に警告を発するスタイルというのは、広く見られるものではありますが、そのことと、科学的根拠が希薄だから「ただちに、危険はない」と言うのとの、あいだくらいに、本来のあるべき態度や対処法があるように、私には思えるのですが、どうなんでしょうかね?
投稿: えふ | 2011年12月11日 (日) 20時02分
えふさん
疫学や統計学の立場から言うと、過去の事例から統計的に導き出した結論というのは「影響がある(影響が無いという仮説の否定)」は一定の誤差範囲で断言可能だけれど「影響が無い(影響が無いという仮説は否定できない)」という結論は常に暫定的で本来断言できるものではなく、それを強く依拠することは危険です。現在100ミリシーベルト以下は安全で気にすることは無いという論が放射線学者などから主張されていますが、これは安全であるということを明確に否定できるだけの事例が現在まで充分ないということに過ぎません。また放射線の影響は成長期の子どもに大きいといわれているので、もし100ミリシーベルトが明らかに発癌リスクを高めるのなら、子どもはもっと少なくてもリスクが高まるはずです。だから政府の一律の基準には曖昧さがあり、人々が自ら情報を集め予防的措置を取ることは当然です。だた早川氏の意見は比ゆが合理的根拠に欠けかつ極端で、なにより福島の子どもに対する将来の根拠無き差別を生み出す可能性の大きい発言なので、そういうことは単に被曝を少なくするための「勇み足」というような「好意的解釈」で看過するわけには行かないと思ったのです。
投稿: 山口一男 | 2011年12月11日 (日) 21時38分
山口一男さん
丁寧な補足説明をありがとうございます。
放射能による被曝の問題については、まだ、疫学的にも明確なことが言えないのだということはわかります。特に、「年100ミリシーベルト」を議論しなければならない事態を想定していなかったのでしょうから。
さまざまなことに、二者択一的な思考に慣れてしまった結果、知りたいのは単純な「大丈夫なのか」「大丈夫じゃないのか」になってしまいがちで、それは、問題の立て方が間違っていると説明する必要がありそうです。
冷静な誠実な情報発信とともに、冷静な誠実な受信ももとめられており、いずれも、多くの国民には、あまり慣れないこと、かつ、子どもの健康面に対する不安や恐れから、感情的になり、冷静になりにくい背景事情があるかもしれません。
ただし、ご指摘のように、その前段や、それまでの経緯からどんなに素晴らしいことを以前におっしゃっていたとしても、偏見を助長するような発言は看過してはいけないと思います。黙認は、その発言に対する肯定に受け止められがちだからです。
今回の原発事故のような、人間が直接に近づく事が許されない状況下で、速やかに正確な情報が収集できな場合には、暫定的にでも、どういう態度で暮らすのがもっともリスクを減らすのかなどについて、より成熟した議論が求められると思いました。
正確にわからない以上、考えられうる最安全の方法をとるのが、次世代に対する責任なのではないかと思うのですが。
事故前まで、あまりに想定がなかったことが、今回の対応の遅れを証明しているのだと思います。
投稿: えふ | 2011年12月12日 (月) 21時53分