2024年7月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
無料ブログはココログ

Chabo!応援してます。


散歩の収穫。

  • こういう色もよいですね。
    散歩をしていて見つけた風景や動植物を記録しておくアルバム。不定期だけど、できるだけ更新を目指す。コメント歓迎。

田舎の風景

  • 東京に戻ります。
    2008年9月8日~11日までの、田舎での時間。

« 圧倒されました | トップページ | だんべら、と言うそうです。 »

2012年3月 7日 (水)

大学生に勉強させたら、お金をあげますってことですか。

 すごいニュースを知りました。

 昨日とは別の意味で、圧倒されそうです。

 日本の大学生を勉強させるには、どうすればよいのか・・・。

 こんな部会が開催されていることを、この人(=私)は知りませんでした。

大学生に勉強させよ…対策の大学に財政優遇案
読売新聞 3月7日(水)18時18分配信
 大学生の勉強時間を増やせ――。

 中央教育審議会(文部科学相の諮問機関)の大学分科会大学教育部会は7日、学生の勉強時間を調べたり、勉強時間を増やす方策を講じたりした大学を、財政面で優遇するべきとする素案をまとめた。勉強しない学生を放置する大学に改善を促す狙い。大学分科会の審議を経て、文科省に答申される予定で、同省は2013年度にも実施する方針。大学生を勉強させるために、とうとう国が尻をたたく。

 日本の大学生は国際比較でも勉強時間が短いとされ、大学教育部会は、「日本の学生が主体的に勉強する時間は1日に講義を含めて4・6時間」とするデータをもとに、「必要時間の半分程度」と分析した。そして、このことが大学の学部教育への国民や企業からの評価が低い要因だとしている。

 素案では、こうした学生の評価を覆してグローバル化時代に対応できる能力を育成するために、大学に対し、学生の知性を鍛える課題解決型の授業の導入など、質の高い教育に転換するよう求めている。

 ここに、大学分科会大学教育部会の開催案内や議事録などがあります。

 学生の勉強時間については、こことか、ここにも関連情報があります。

« 圧倒されました | トップページ | だんべら、と言うそうです。 »

ニュース」カテゴリの記事

学問・資格」カテゴリの記事

仕事R」カテゴリの記事

冊子・報告書」カテゴリの記事

コメント

えふさん
  日本の学生が欧米の学生に比べ勉強しないのは単に成績が悪くても卒業できるからです。アメリカでは2つぐらいのコースで成績不良だと、本人が改善措置を取ることが要求され、改善できないと退学させられます。中教審の勉強時間を長くしよう発想はそんなこと管理できるかという実効性の問題のほかに、もし管理されたりしたら長時間勤務を規範的に要求する日本企業の発想と同じでたまったものではありません。効率的に学び成績も問題の無い学生が、自分の後の時間をどう使おうと本人の勝手ではないかと思うのですが。日本は本当に自由やダイバーシティ尊重の発想がないと感じます。中教審、古臭い発想の人間の集まりのようですね。

山口一男さん?

 コメントありがとうございます。

 日本の学生が勉強しない理由は、ご指摘のとおりだと思います。アメリカの学生のことは、知りませんでしたが、自分で改善策を出させるというところがよいところですね。

 後段のところで、今回すごく考えさせられたのは、勉強時間と勉強していて成績がよいかどうかということは、ある程度は比例関係にあるのかもしれませんが、とはいえ、勉強時間が長いことを持って、勉強していると言えるかどうかの検討、それから、勉強するとはどういうことかということかが、あまり深く考えられていないのではないかということです。
 
 仮に、勉強していても、成績が悪ければ、そういう勉強はやめるべきでしょうし、もしかしたら、勉強している成果は出ているのに、それを評価するためのしくみ(レポート課題とか試験)などの設計が悪いのかもしれません。その可能性も検討が必要かもしれません。

 さらに、時間をかけないで成績をよく保ち、持ち時間を別の有意義な活動に振り分けることにも、意義を見出すべきだということも、今回強く感じました。

 つまり、学生の本分が勉強だというのは否定しなくても、学生時代の持ち時間をどう使うか、勉強のほかの時間利用についても、学生のうちから、いろいろと工夫をする必要もあるのかなと思った次第です。

 それから、「勉強しているかどうか」や「仕事をしているかどうか」を測る指標が、時間の長さだというところの共通性が、残業時間が長いほどがんばっていると見なす価値観と同じで、これも、言われてみれば当然なのですが、がんばっているかどうかも、時間をたくさん投入しているかどうかで判断されてしまうということがわかり、はっとしました。

 持てる時間のすべてを投入しなくても、勉強もして、他の活動もして、つきあいたい人たちとつきあったり、家族と過ごす時間もあるような、そういう時間の使い方をしている人が、もっと評価されるような、そういう価値観に変換していく必要性を再認識しました。

えふさん
  名前を入れ忘れて失礼いたしました。また私の意見を十二分に組み、補足していただいたことを感謝します。勉強時間をもって「望ましい」学生の指標にする発想が、勤務時間の長さを持って、望ましい雇用者の指標とする態度と同じだと感じ、それに大きな疑問を持ったのです。私が教えたアメリカの大学での学生たちは多様で、勉強もしますが、ほかのことも随分しています。面白いのは「何かしていた」と他人に言えるようなことが多いということです。海外経験も多い。それは大学院に応募してくる学生の経歴の記述から歴然としている。逆に日本やアジアの学生は、どこの大学で何を勉強した、という以外あまり書くことが無い。ただ遊んでいたのでは、何も亜書きようがないわけです。それは一種の貧しさです。大学生が学ぶべきは狭い意味での学業に限られたことではなく、日本の学生の時間の過えんごし方に問題があるという点は賛成ですが、何を持って有意義な過ごし方であるかについては、異なった人々の多様性を積極的に考えることが重要と思います。もちろん家にこもっての勉強でも、別の
意味でですが、世界が広げることはできる。でもそれは単なる勉強時間の問題ではありません。

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 圧倒されました | トップページ | だんべら、と言うそうです。 »