
「戦後」が終わり、「災後」が始まる。
御厨貴 (著)
千倉書房、2011年12月刊
政治学者で、オーラルヒストリーの手法で研究されている御厨さんの、あちこちでの対談と書きおろし部分とで構成されたものです。
御厨さんと言えば、この人(=私)には、今もやっているのかどうか知りませんが、TBSで日曜朝6時からの『時事放談』の司会者として馴染みのある方ですが、司会者ではなく、学者なのでした。
最近では、震災以後の復興会議で議長代理も務めておられたのでしたが、本書では、その過程について触れながら、日本には、特に、民主党政権以後には、政治はないという「非政治」という表現での批判には、なるほどと思いました。
この会議を立ち上げるにあたり、当時の菅さんからは、方向性を示されなかったというのには、圧倒されました。
ふわふわです。
特に驚いたエピソードは、菅さんが「官僚は信用できるのですか?」と質問したというところでした。政治主導をうたって民主党で最初に首相になったのは、菅さんではありませんでしたが、それにしても、政治主導でもなんでも、一緒に仕事をする人たちを信用できるのかどうかと聞くこと自体、何かおかしいような気がします。
そういうことは、お互いに黙っていても伝わってしまうことなのではないでしょうか。
自分が信じなければ、相手も信じてくれません。
菅さんの誤り、菅さんだけではなく、民主党の首相たちの誤りというのは、政治主導を掲げるあまりに、それぞれの分野のことを詳しく知っている官僚の方々を信用して起用しなかったことにあるのではないかと思えてきました。
御厨さんは、復興会議の中でも、若手の方々の多い官僚チームの働きを評価しておられたわけですけれども、一緒に仕事をする仲間と見なすか、自分の邪魔をする敵と見なすかでは、相手の反応もおのずと変わってくるということを、一国のトップになる方は、わかっていてもよかったのではないかと思いました。
自民党政治がよかったとは言い難いかもしれませんが、それでも、御厨さんは、自民党の中には政治家を育てるシステムがまだあったというように言っておられました。
そこが、民主党との違いなのかもしれません。民主党には、今すぐに大臣になるべき人材がほとんどいません。それが、大変な問題で、今の政治状況の原因ではないかと思います。
そんなことを論じていたかと思えば、最後のほうでは(155ページ以降)、「強いリーダー待望論の不毛」と見出しをつけて、「非政治的リーダーシップ」なるものについて対談されているのです。お相手は、牧原出(東北大学大学院法学研究科教授)さんです。
ここでは、民主党には、自民党にあったような「名望家支配」がなかったが、2年半の間に政治主導を掲げて、政務次官や政務官たちがかなり必死に動き回った結果、現在では、それなりに経験を積んだ層ができてきた、それが長期的にはリーダー予備軍として考えられる、それは自民党にはなかったことと指摘しています。また、前原さんのように、多少失敗してもそれが致命的な失脚にはならずに、いまだ、総理候補としていられることもポジティブに評価されています。
民主党政権は、学級会的だという指摘もおもしろいです。全員で何かを決めようとするから時間がかかるし、さらに、根回し的なことをせずに「ガチンコ勝負」。だから、堂々巡りを繰り返すけれども、最終的にはストーリーのある収斂したものになるのだというのが、復興会議の提言に現れているのだというのです。
他におもしろかったのは、リーダーシップ論はフォロワーシップ論だという指摘です。先ほどの議論と関連しますが、強いリーダーシップを求めなくなってきているフォロワーがいるということで、これは、現在の大学生にもみられる傾向だそうです。結局、ものすごいカリスマ的リーダーを誰もが求めなくなってきている時代なのでしょうか。
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