『困ってるひと』の大野更紗さんインタビュー発見。
ともかく、エッセイを読んだ後、出版されたご著書も読んだし、その後も、何か見つけるとフォローしていたつもりだったんですが、結構いろいろと活動をなさっていました。
今回、なるほど・・・と思ったのは、「枠」についてです。
社会制度を利用する際には、制度が持つ限界が常にあるので、それを利用して公共サービスを提供する側は、枠があることを利用者に知らせて、枠の範囲内でよりよいものが何かを理解してもらい、実際に提供するというようになっていると思うんです。
それは、利用者の中には、平均的に考えて、あり得ない要求をしてくる人が居たりするからでもあり、制度の限界の中でもっともよさそうな選択をして、少しずつ自分の置かれている状況を改善していくことが、理解できない人もいるからだと思われます。
しかし、そのことと、制度そのものが持つ限界では、受け止めきれない事情を持つ人や、それをその人のわがままとか自己中心的な考えとは言いきれないところに出てくるニーズに対しても、同じように受け止めがちなところがあるということがわかりました。
ソーシャルワークは、あり得ない期待に対して、現実に引き戻しつつ現にあるサービスを選択させるような方向付けが基本なのではないかと思いますが、そうなると、これまで想定されていなかったより困難な人を救う、あるいは、より困難な人が利用できるサービスは提供できないということになってしまいます。
枠を考えるときに、最低水準と想定する利用者の事情の想定を引き上げるようなプラスのサービスと、想定している最低基準に達していない利用者の事情を想定することは、異なることなのだろうと思います。
大野さんの求めておられることは、きっと後者で、ぱっと見は、もっともっとと欲張ることと似ているものの、まったく水準の異なることなんだ、と思いました。
社会制度を考えるときに、どこかで枠を決めて、最低水準を確保し、それ以上は、高額負担による高福祉社会でもない現状では、よりプラスのサービスは自己負担にならざるを得ないのだと思います。
とはいえ、現状の制度が想定するゼロ地点よりも、マイナスの位置からのニーズに対しては、ゼロ地点を設定しなおして、困ってるひとに対する公的サービスが行えるようにする必要があるだろうと思いました。
難病の患者さんもさまざまでしょうが、常に患者としての生活だけを送っているわけでもなく、職業人としての側面もあれば、家庭人としての側面もある場合もあり、医療は患者としてのその人しか見ないけれど、そうではない生活者としての側面についても考慮しなければ、短期間で治る病ではない以上、患者をやっていくこともなかなか難しいのではないかと思いました。
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