理由のわからないいじめと、理由はある排除。
『スタンリーのお弁当箱』は、インド映画です。
小学生のスタンリーは、お弁当を学校に持っていくことができません。ですが、ランチタイムには、「買いに行く」とか「家に帰って食べてくる」とかと嘘をついて、水道水を飲んで空腹を我慢する日々です。
だんだんとクラスメートたちにわかってきて、みんなのお弁当を分けてもらったりするんですが。
数人の先生たちが出てくるんですが、ひとりの先生がよくわからない人で・・・。
ですが、その先生のふるまいが不可解というよりも、理不尽なんです。
学校でのいじめと言えば、クラスの中でのいじめかと思いますが、ここでは、先生がいじめる人というか、なんだろう、大きないじめっ子みたいな感じでした。
その理由がよくわからないのでした。
標的は、スタンリーです。
何が気に入らないのか、この人(=私)にはわかりませんでしたが、もし、わかれば教えてください。
その後、ストーリーが展開していくと、スタンリーの家庭状況などもわかってきて、お弁当が持参できない理由もわかってきます。
日本では、小学生は給食を食べていることが一般的だとは思いますが、私立だと違うところもあるのでしょうか。
お弁当が持参できない事情のある家庭の子どもだったり、貧富の差が大きい社会では、しんどいことが多そうです。
最終的には、救いがあるんですが、なんだか、その大きないじめっ子の先生といい、あんまり見ていてハッピーな映画ではありませんでした。
次は、有名なアンナ・カレーニナです。
主役のアンナは、キーラ・ナイトレイですが、話そのものをよく知らないままに観てしまい、こちらはこちらで暗澹たる気分になってしまいました。
キーラ・ナイトレイの姿はとても美しく、まぁ、それだけがやや救いですが、話の展開や、当時の女性の生き方って悲惨です。
女性の生き方が固定しているということは、男性も同様に、あんまり意に沿わない結婚だったとしても、結構した後にあんまりよろしい関係を形成できなかったとしても、自由に離婚したりすることもかなわなかったわけですから、同じように不自由なのかもしれませんが。
それにしても、悲惨でした。
噂が広がれば、社交界にも居づらいでしょうし、目の前で非難する人も出てきます。
自由に生きられない世界に、息苦しい世間は、今の社会でもあるわけですけれども、そこから逃れる自由もあんまりなかったのかと思うと、今のほうがいくらかはマシなのかもしれません。
ストーリー展開に感情移入しやすいと、一緒になって落ち込みますので、注意が必要ですね。
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