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2020年2月 1日 (土)

オーケストラの指揮者を目指した女性の話。実話です。

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 2019年9月に上映していたときはまったく知らなくて、そういえば、9月以降年内は、止まらない咳との闘いがあり、まったく余裕がありませんでした。でも、いわゆる「名画座」(一番館落ちの映画を扱う映画館)で鑑賞することができ、ラッキーでした。

 この映画は、1920年代後半にオーケストラの指揮者を目指した女性の実話に基づくものなのです。いくつか実際にはなかった創作部分が含まれているようですが、当時、「チャンスがある国」であった米国でも、女性が指揮者になることはほとんど叶わず、その夢を口にした途端に一笑に付される時代状況において、夢を実現したすごい女性がいたのです。

 彼女の名は、アントニア・ブリコ。オランダ生まれでオランダ国籍。2歳の時に、生みの母に養子に出され、養親とは知らないまま育ってきたウィリー。養親が米国に渡ったので、米国で育ちました。名前も、アントニアではなく、ウィリーとして育ちます。音楽学校を目指していたものの、養親は貧しく、音楽への理解もない。ゴミ清掃員の養父が、ゴミに出されていたピアノを見つけて拾ってきてからは、弦に布を巻いて音を響かせないように気を遣いながら、おそらく、壁の薄いアパートの一室で練習をしていたのでした。

映画「レディ・マエストロ」公式サイト

 音楽学校に進学したいウィリーでしたが、養親にはそのような財力はありません。

 そして、オーケストラの演奏するホールでアルバイトをしながら、なんとか一流の演奏、そして指揮者のふるまいを勉強したいと思ったウィリーは、それを咎められて、アルバイトを首になってしまいます。

 困っていたときに、今でいうトランスジェンダーバーみたいなところで、生演奏のピアノ弾きの仕事を見つけ、少しずつでも貯金に励むアントニア。客からもらったチップをためているのを養母に見つけられ、オーケストラホールでの仕事も辞めたことがばれてしまいます。叱責される中で、本当の両親ではないこと、自分の生まれの名前があることを知ったアントニア。養親の家を追い出されて、路頭に迷いそうになりながらも、音楽の道を諦めませんでした。

 自分の生まれの秘密を知りたくて、少ない情報を頼りにオランダに渡るアントニア。そこから、ヨーロッパでの暮らしが始まります。

 ひょんなことから米国で知り合ったオランダ出身の男性有名指揮者に、何とか師事したいと申し出るも、女性嫌い、ヤンキー(米国人)嫌いのドイツ人男性に紹介状を持たされて、厄介払いをされてしまいます。

 しかし、思いの丈をぶつけると、その男性指揮者は受け入れてくれるのでした。

 当時、ただでさえ、女性がより少なかったオーケストラで、演奏者たちもプライドの高い男性ばかり。自分の演奏や音楽への思いについてだけプライドが高いのではなく、「女の指揮など受けるか」との思いを隠しません。

 男性たちの世界から、排除されていたアントニアに、男性指揮者は、オーケストラをリードすることを教えます。たぶん、当時も今も、こういう男性だからこそ知っているルールは、男性から教えてもらえなければ、知る由もないし、身に付けることもできないと思いました。実際、ビジネスで女性が成功するためのノウハウ本などにも、そんなことが書かれてあります。

 アントニアの経験、「女性は家に居ればよい。結婚して、子どもを産め」はジェンダー・ハラスメント(固定的な性別役割意識によって、女性や男性の生き方を決めつけてくる言動)や、セクシュアル・ハラスメント(女性は男性の下に居ればよい。女性や指揮をしている姿はみっともない。泊りがけの出張に連れて行ってやるから、言うことを聞けと同意のない性行為に及ぼうとすること)などに遭っていることは、現在でも、女性たちが経験していることです。

 また、アントニアが女性指揮者であるがゆえに、オケ団員に馬鹿にされたり、指導を無視されること(パワー・ハラスメント)も描かれています。

 そんな中でも、師事している男性指揮者や、ヨーロッパに出かける前に米国で世話になったトランスジェンダーバーの男女の仲間たちや、女性だから演奏家としてオーケストラに採用されない無職の女性演奏家たち、それから、有力者の女性たちの味方を得て、少しずつ公演活動ができるようになってくるのでした。

 それにしても、当時のマスコミの「からかい」はひどいものでした。また、女性であることで能力を低く見ようとする考えが、米国にもまだ明らさまにあったのでした(日本には、いまだ、明らさまにありますけど)。

 だからこそ、この映画は、1926年からの時代を舞台としつつも、日本で2020年を生きる女性たちや、ジェンダー状況に問題を感じられる人たちには、心を揺さぶられるものがあるのだと思います。

 あんなひどい境遇の中でも、アントニアを信じ、支援し、成功を祈り、喜ぶ人たちがいたこと。そして、それが女性たちの友情(シスターフッド)でもあったこと、最初は敵対していた男性たちの中にも、アントニアの言葉で「性別ではなく、プロ意識」に従うようになったことなど、示唆される内容は非常に多くありました。

 特に、1930年代の米国の状況と似た状況にある2020年の日本においては、考えさせられることが多いと思います。

 いまだに、オーケストラにおける主席指揮者の世界トップ20に女性がいないそうです。音楽を学んだり、演奏家を目指すことは、男性でも非常にお金がかかり、費用面だけでなく、困難な道だとは思います。演奏家には、世界的に活躍する女性たちが輩出されつつありますが、指揮者は中でも難関。そこに、女性がいないことが、いまだに男女の平等が達成されていないことを示しているのだと思います。

 この映画情報を見逃していたことに、深く反省するしつつ、馴染みのあるクラシックの名曲を映画館で堪能できたことは、非常によかったです。

 日本でも、女性監督作品がもっと世に出ますように。

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